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青森県むつ市 霊場・恐山(おそれざん) 恐山温泉 地獄谷 極楽浜

2023年08月11日 19時51分13秒 | 青森県

恐山。太鼓橋。青森県むつ市田名部宇曽利山。

2022年10月3日(月)。

道の駅「わきのさわ」で起床。廃駅に近い状態だったが、トイレはあった。海岸沿いの脇野沢地区に悦心院という寺がある。江戸時代中期までアイヌ部落が津軽半島と下北半島にいくつか存在しており、アイヌの墓標が悦心院に残っていると、山川の「歴史散歩」に書いてあった。早朝に立ち寄って、寺の墓地をくまなく捜しても見つからなかったので諦めて、恐山へ向かった。

恐山(おそれざん)は、下北半島(青森県)の中央部に位置する活火山である。カルデラ湖である宇曽利湖の湖畔に出ると、三途の川に架けられた太鼓橋があった。ここから1分ほどで恐山の駐車場に着いた。月曜日とはいえ、駐車台数は多かった。

恐山菩提寺(ぼだいじ)。山門。菩提寺は曹洞宗の寺院である。

この寺の創建年代等については不詳であるが、寺伝によれば862年(貞観4年)天台宗の慈覚大師円仁がこの地を訪れ創建したと伝えられる。その後衰退していたが、1522年(大永2年)曹洞宗の僧聚覚が南部氏の援助を受け円通寺を建立して恐山菩提寺を中興し、曹洞宗に改められた。1871年(明治4年)には本坊の円通寺に斗南藩(旧会津藩)の藩庁が置かれた。

本堂。

本尊・地蔵菩薩を祀る地蔵殿が奥に見える。その右側に湯小屋の「薬師の湯」がある。

 

湯小屋「薬師の湯」。

脱衣棚はある。入浴を楽しみにしていたのでタオルを持参していた。

硫化水素含有酸性緑ばん泉。いわゆる硫黄泉である。秘湯らしい湯槽に入ると、適温であった。

冷抜(ひえ)の湯(女性)

「古滝(こたき)の湯(男性)」。「女性」の表示あり。

境内には、「古滝(こたき)の湯(男性)」「冷抜(ひえ)の湯(女性)」「薬師(やくし)の湯(男女交代制)」「花染(はなぞめ)の湯(混浴)」の4つの湯小屋があり、恐山への参拝料を除き無料で入浴可能である。明治〜昭和初期に存在した恐山鉱山(硫黄鉱山)の掘削時に噴出したものという。

 

奥の院「不動明王」。

恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、古くから崇敬を集めてきた。

地蔵殿横の山道を登ると奥の院があり、不動明王が祀られている。ここからは見晴らしがいい。

地獄谷と極楽浜方向。

恐山は、比叡山・高野山とともに日本三大霊山といわれる。地元では古くから「人は死ねば恐山に行く」と言い伝えられてきた。外輪山に囲まれた霊場は、外部からは見ることのできない途絶された場所である。

例年7月20日から24日に行われる「恐山大祭」と、10月上旬の連休に行われる「恐山秋詣り」には、イタコと呼ばれる巫女が死者の御霊を呼んでくれるとあって、多くの人達が列をなし、あの世からのメッセージを聞きに集まる「イタコの口寄せ」が行われる。なお恐山で口寄せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。イタコは、八戸や、青森から恐山の開山期間中にのみ出張してきており、むつ市には定住していない。

慈覚大師堂。

硫黄臭が立ち込める地獄谷。

地蔵殿。

宇曽利湖。

八角円堂。

血の池地獄。出産の折に死んだ女性の供養が行われていた。

水子供養御本尊。

極楽浄土を思わせる美しさの極楽浜。

亡くなった幼い子供を弔うために両親が積んだ石や、くるくるとまわる風車があり、もの悲しさが漂う。

極楽浜。東日本大震災供養塔。

 

下北半島は道路閉鎖が多い。恐山から北の道路は閉鎖されていたので、往路を戻って、下風呂温泉「海峡の湯」経由で大間崎へ向かった。

青森県むつ市 奥薬研温泉 東通村 寒立馬 尻屋崎灯台



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