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新潟県糸魚川市 国史跡・寺地遺跡 縄文の巨木祭祀 ヒスイ工房 

2024年03月26日 14時47分34秒 | 新潟県

青海(おうみ)神社。新潟県糸魚川市青海。

2023年10月5日(木)。

名勝・親不知子不知の見学を終え、糸魚川市街地方向へ引き返して、青海神社寺地遺跡、その後、フォッサマグナミュージアム長者ヶ原考古館を見学した。

青海神社は神武東征のさいに水先案内をした国津神の椎根津彦(しいねつひこ)を祀る式内社で、頸城国造家の根拠地であったと伝えられている。

椎根津彦の後裔は、頸城氏(くびきうじ、姓は直)、青海氏(おうみうじ、姓は首)がおり、倭国造と同族である。

頸城国造の支配領域は当時久比岐国と呼ばれた地域、後の越後国頸城郡西部、現在の糸魚川市に相当する。

系図学者の宝賀寿男は、大和川や青海川、青海町、青海神社など国造に関係した地名が糸魚川市に多く見られる一方、上越市や妙高市にはこれら地名が見られない。また深江の地名が頸城郡内にも存在したと見られ、郡内に高志深江国造の後裔氏族が居住していたことなどから、久比岐国造の本拠は糸魚川市に比定する方が妥当であると主張している。

国史跡・寺地(てらじ)遺跡。糸魚川市大字寺地字寺地。

繩文時代中期から晩期にわたる遺跡で、新潟県の西端、親不知にほど近い青海地区を流れる田海(とうみ)川左岸の低丘陵とそれに接する沖積地に営まれた。遺跡公園として公開されている。

縄文時代中期前半から晩期に至る硬玉及び蛇紋岩製石斧の工房跡と、晩期の極めて特異な配石遺構からなる寺地遺跡の内容は、繩文時代における硬玉生産の実態と、この地域における特殊な祭祀の形態をうかがわせるものとして、貴重である。

発掘調査の結果、竪穴式住居跡7軒が見つかり、ヒスイ玉などが出土した。特に竪穴式住居跡からは、多くのヒスイのかけらや未製品が出土しており、ヒスイの加工場として使われたと考えられている。

玉造工房跡とみられる竪穴住居跡と、巨大な四本柱を持ち、立石が囲んだ中に偏平な礫を敷きつめた信仰に関わる配石遺構、多量の土器・石器と植物性遺物及び叩石・石鋸・砥石・硬玉原石・硬玉製勾玉・丸玉・小玉など硬玉の玉作りに関する遺物が豊富に発見されている。

以上のことから本遺跡は硬玉の加工生産が行われた場であることが明らかになり、また配石遺構は繩文時代晩期の祭祀地として全国的に類例がない貴重な遺構として高く評価されている。

縄文時代の巨木柱の周囲から石棒や御物石器、焼人骨などが出土し、様々な祭祀が行われていたと考えられる。

また、数多く出土している中屋式土器(3200〜2900年前頃)は北陸地方との強い結びつきを示し、遮光器土偶の存在は東北地方との交流を物語る。

このほか、県内2例目となる縄文時代の丸木舟も見つかっている。

全形の検出されたI号竪穴(中期前半)は、径5mの円形の竪穴で、壁面に沿って幅50~70㎝のテラスを設け、中央南西寄りの部分に方形の石囲炉、北東部のテラス上に埋甕の施設をもつ。注目すべきは、この石囲炉の南に接して扁平な大形砥石が埋設され、またテラスの南壁に接する位置に、内部に細砂の堆積の認められる径60cm、深さ5cm程の浅い円形のピットがあり、それに接して径30cmの扁平な河原石と、この河原石に乗せた砂岩質の砥石が検出されたことである。

竪穴内部からは、中期前半の土器とともに、姫川あるいは青海川の河床で採取したとみられる多数の硬玉礫、硬玉の完成品・未成品、蛇紋岩製の石斧及びその未成品と、石鏃・石槍・叩石・石錘などの石器、蝋石製大珠などが検出されており、このI号竪穴において、硬玉を主とする玉類の生産が行われたことが明らかである。

また、VI号竪穴(中期中葉)においては、I号竪穴と同様の工作用とみられる浅い円形のピット、砥石、硬玉礫などとともに、多数の蛇紋岩製石斧の未成品と剥片が検出されており、硬玉の生産と同時に、硬玉の母岩である蛇紋岩を利用した石斧の生産の行われたことがうかがえる。こうした各竪穴の出土品の内容は、他のIII・V号竪穴(中期)やIV号竪穴(後期末)、II号竪穴(後期-晩期)についても全く同様であり、この遺跡が中期の前半から晩期までの長期間を通じて、硬玉を主とした玉類と蛇紋岩の石斧を生産した、生産の遺跡であることが判明したのである。

竪穴群の東方の低地部分で検出された配石遺構は、東西12m、南北16mの拡がりを持ち、柱状あるいは扁平な河原石の立石でつくられた区画と、その内部及び外周を埋める扁平な河原石の敷石からなっている。

配石遺構の主要部は、西北部の長径5m、短径3mの楕円形の環状配石と、その東方にある中央敷石部分に径60cmの巨大な木柱4本をもつ、一辺4mの方形配石、方形配石の南方に拡がる三重の弧状配石と、中央部に位置する径2mの炉状配石の4種の配石で構成されている。

環状配石内部から、大形の甕形土器に納めた小形の壺形土器1(晩期)と朱漆塗の櫛・骨片が、また炉状配石の内部からは、土器片・砥石片・石斧・硬玉とともに、一部獣骨を含む多量の人骨片(10体分以上)が出土している。

4本の木柱をもつ方形配石では、三隅に石棒を立てており、配石内部から、独鈷石と朱漆塗の櫛数個が出土した。

新潟県糸魚川市 国名勝・親不知 子不知「おくのほそ道の風景地 親しらず」



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