教師はなぜぼけるのか(2)
「ぼけの原因は脳ではない」その1
タイトルテーマの前に。
認知症には普遍というパターンがいくつか存在している(と思われている)が、日々、認知症の方々に接していると、教科書通りの典型的な例などはないことを知る。
普遍とは理論でハウツーで専門性であり、確立されているもの。
個別とは個々のケースである。ケアは個別である。
個別は必ず普遍を超える。
ケアは個別である。そして、ケースに当たるごとに自分の中の普遍を壊して再構築する柔軟性がなければ、個々のケースに対応できない。
思い込みの1つに「脳の萎縮」がある。いかにも認知症の原因になっていると考えているが(もちろん全面否定はしない)脳萎縮と症状は対応していないことは、誰もが気づいているだろう。
これは、エラいお医者さまが、原因解明のため、認知症患者の解剖をしたら、脳萎縮だった、という、ある種の偶然(と言ってよい)の重なりの所見により、「原因」と「仮定」された。その後、これが主流を占めることになり現在に至っている。しかし、認知症の全ての原因は脳萎縮てはないはず。
次回はそのあたりを。
「ぼけの原因は脳ではない」その1
タイトルテーマの前に。
認知症には普遍というパターンがいくつか存在している(と思われている)が、日々、認知症の方々に接していると、教科書通りの典型的な例などはないことを知る。
普遍とは理論でハウツーで専門性であり、確立されているもの。
個別とは個々のケースである。ケアは個別である。
個別は必ず普遍を超える。
ケアは個別である。そして、ケースに当たるごとに自分の中の普遍を壊して再構築する柔軟性がなければ、個々のケースに対応できない。
思い込みの1つに「脳の萎縮」がある。いかにも認知症の原因になっていると考えているが(もちろん全面否定はしない)脳萎縮と症状は対応していないことは、誰もが気づいているだろう。
これは、エラいお医者さまが、原因解明のため、認知症患者の解剖をしたら、脳萎縮だった、という、ある種の偶然(と言ってよい)の重なりの所見により、「原因」と「仮定」された。その後、これが主流を占めることになり現在に至っている。しかし、認知症の全ての原因は脳萎縮てはないはず。
次回はそのあたりを。