DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

空と大地の歴史館@成田空港裏+成田空港見学

 三度目の正直でようやく空と大地の歴史館の閲覧に成功。前回の積雪のため休館、と言う言い訳に納得が行かなかったので、今回も「コートジボワールに負けたから休館」なんて言い訳されたらどうしてくれようか、と思っていた(笑)。西千葉からはJRで成田まで行き、京成/芝山鉄道に乗り換え芝山千代田駅、そこから徒歩30分。前回訪れた冬とは変わって、青々と道端に雑草が生えている風景の中を行く。
 中に入ると係りのおばさんが出てきて、パンフレットを渡され「スリッパに履き替えてください」との指示。ちなみに隣の航空科学博物館は入場に500円取られるが、こちらは入場無料。
 これはすごい。いちおう中立の立場での語り口ではあるが、避けては通れない流血の反対闘争を生々しく語る展示品。デモ隊がかぶっていたヘルメットや荒々しい毛筆でメッセージが書かれた横断幕、ハチマキ、など。史実も細かい。羽田がいっぱいになり、高度成長期の日本が次の空港予定地を選ぶにあたり、最初は浦安なんて名前も上がったようだが(つまり当初は羽田同様海辺が候補だった)、やがて候補地は下総大地に移り、富里町、八街町(現在はいずれも市に昇格)なども候補に上がっていたが、最終的に三里塚の御料牧場が栃木県に移転したところに作ることに。それにしても、それまでの候補地も地元の反対で取り下げられたのに、なぜ三里塚だけが血みどろの争いに発展するまでに強行したのかは謎である。オイラみたいに血の気の多いw人間は喜んで観ているが、子どものいる家族連れにはなかなかハードな展示(カップルはいましたがさすがにファミリーはいませんでした)。
 その一方、空港反対闘争は確かに当時の学生運動の力を借りはしたが、やはり本質はこれまで丹精込めて作り上げてきた開墾地を奪われることに対するストレートな憤りであり、当然ながら地元住民は家族総出で戦ってきた。そんな住民の小学生がヘルメットをかぶっての記念集合写真なんてのもある。
 空港決定が1966年、開港が1978年だから圧倒的に開港後の歴史の方が長い訳だが、最終的な国と地元反対住民との和解は2009年とごく最近であり、開港後も続き闘争の長さが分かる。と言うことは、この展示施設自体が和解を象徴するものと言うことか?
 展示品の新聞記事のほとんどは朝日新聞提供である。また、反対闘争史を綴った文献資料もある。ちょっとまた読みたい本があったなあ、探さないと。
 帰りは前回のようなちょうど良いバスがない。仕方ない、また芝山千代田駅まで歩くか。10分くらい歩くとこんなところに?って感じの停留所に人がいる。ちょうど来るバスがあるのか、ラッキー。そのバスは成田空港バスと言うまさに空港が運営するバスで、先ずパスモスイカが使えない。現金払いで空港まで210円を。更に空港敷地内に入るとゲートで係員が乗り込んで来て税関よろしく身分証明書の提示を求められる。スゲー。
 成田空港は軽くお土産だけ見るつもりだったが、羽田に比べて何もないな(笑)。国際的なお土産はなんかバカ高いし。大したものも買えず食事だけして帰る。なるほど、京成と成田スカイアクセス線は線路は同じでもプラットホームの乗り位置で分かれているのか。
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