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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

寿湯(板橋区上板橋1-21-4)

2020-01-31 22:20:53 | 銭湯・温泉

#あぁ、ヤプログ終わっちゃったなあ。

 建国記念日に東上線沿線に用事があるのでそのときに訪問しようと予定していたが、調べたら火曜定休か。と言うことで繰上げ訪問。東武東上線上板橋駅南口。駅前は見覚えのない風景だが、寿湯の前に来て、ここは見覚えある。おそらく富の湯を目指した時に前を通ったのだと思う。ビニールのファサードで見えずらいが、これはなかなか立派な千鳥破風の面構え。のれんもカッコイイ。
 玄関横には「2/6は文旦湯」のポスター。中に入る、正面にフロント、女将さんに湯銭とスタンプ帳を。
 脱衣室、これは立派な折り上げ格天井だ!入口は狭かったが、中はかなりの大型銭湯。島ロッカーに荷物と衣服を。昔ながらのお年寄りの社交場。体重計はHOKUTOW のアナログ。
 浴室へ。湯道具はケロリン桶と水色台形座椅子。浴室も広いですな、島カランが2列(まあ左側外壁側の島カランはありませんが)。カラン数は右側女湯側から5・5・5・5・3。備え付けボディソープとシャンプーが充実してる、板橋区銭湯は良いね。
 ここの装飾は面白い。浴槽奥は桃太郎の戯画チップタイル絵。女湯側は人魚?
 浴槽は2槽。右側深湯、少し熱め。左側浅湯、中央付近は床バブル、左側に床バブル。
 湯上がり、明治系のビン入り乳飲料もあったが、今日はパス。南口側には適当な食事する店がなく、北口に出てラーメンをいただく。

AIとアニミズム

2020-01-30 19:19:55 | 社会・政治
 現代思想でアニミズムの話題キタ(ガッツポーズ)。それをAIに絡めて語るのだから、乗らない訳には行かない。
 先ほどの文法性の話とも近いが、モノに「魂が宿る」と言う考え方がアニミズム。筆者は狩猟者と熊との民族学的見地から、おとぎ話ではない交流を読み解く学者や文学者(宮沢賢治のことだ)を紹介している。3つのストーリーを紹介しているが、どれも膝打ちしたくなる話ばかり。
 ヴィーガニズムはある意味正しい。食用にすることだけが動物の殺戮ではない。象牙や毛皮などの採取も同様であって、そういう衣服なども一切拒否すると言うのは理にかなっている。そしてまた、間違ってもいる。草食で生きて行けるのは、植物の食糧が手に入る暖かい地方だけ。エスキモーのように極北の草木の生えない地帯に住む人々の立場を考えたら、空論でもある。
 さて本題のAI との関係。これまでの人間と機械の関係は、人間が一方的に機械を操作する。と言うものだった。しかし、AI になり、自律性を持つ存在になった場合、人間と動物のような互恵関係が必要になると言う。もちろん、AIBO のような愛玩ロボットは一つのヒントだ。Siri などの対話相手のAI もすでに登場している。しかし今後は、時として敵対関係にもなりうる存在として、どのような互恵関係を築くべきか、と言う話になる。現代思想で言及した物語では、普段は「人が熊を殺す」関係だったが、年老いて狩猟ができなくなった老人は熊の生け贄になる。、と言う結末を迎える。
 果たして、人間とAI はどのようにして互恵関係を築くのだろうか。

プロテスタントは人類の持続性を危うくする

2020-01-30 08:10:57 | 社会・政治
 現代思想でも環境問題を取り上げる論者が増えた。もはや原発などの特定の設備の話ではなく、私たち環境生活で排出するゴミ。特にプラスチックゴミが問題視され、それはもはや1人ひとりの自覚ではどうにもならない(先進国で使用を規制したところで、技術も制度も生活もはや未熟な発展途上国にもそれを押し付けて、先進国のエゴだ、と言う批判が繰り返される)。先進国は先進国で、資本を回すために生産活動、消費活動を止めるようなことはしない。規制ができたところで、明日から急にレジ袋が一切使えなくなるようなハードランディングはしない。
 しかしグレタ・トゥンベリが主張するように、彼ら若い世代が中心になる未来にはそれでは手遅れなのだ。現にこれだけ異常気象が続く中、待ったなし、と言う緊張感は全ヨーロッパの高校生に浸透しているし、日本の高校生でも志ある者たちはちゃんと運動をしている。
 もはや、私たちがモノを生産している、消費していること自体が環境破壊なのだ。資本主義そのものが悪、昭和から平成、令和と言うレベルではなく、産業革命、帝国主義まで遡って我々人類が犯した過ちを語るべき時代になったのだ。それで私はタイトルの宗教革命にまで言及したのだ。そして単に思想がラジカルであるばかりでなく、彼らは思想を待たない、行動あるのみだ、と訴えている。

文法性とpolitical correctness

2020-01-30 07:58:19 | 社会・政治
 どうも文法性のある言語学習が日常になっている身からすると、英語圏の男女平等およびLGBTの性の多様性を認めるために「中性化」と言うアプローチには強い違和感を覚えざるを得ない。つまり、「性の垣根を取っ払う」と言う運動が、かえって「性を尊重する」こととは真逆に思えて仕方ない。
 例えばペットとして飼っている動物に対しては、愛着を込めてhe、sheで呼ぶ人は多い。性を区別することは、相手の属性を尊重する。文法性のある言語では非生物にも性がある。「本」はフランス語では男性un livre、ドイツ語では中性das Buch、ロシア語では女性Книгаであり、モノへの愛着も感じられる。
 自分はLGBTの当事者ではないが、少なくとも彼らが求めているのは「多様性diversity」だ。誰でも彼でもtheyで十把一からげにする「中性化neutrality」はむしろそれに逆行するものではないか。英米はpolitical correctnessについてはその点で後進国だと思っている。