DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

役に立たない人間を選別する社会

 子どもと言うのはくだらないことに夢中になる。昨日の「団地ともお」を見ていたら、そんな素朴な少年時代の記憶がよみがえった。いや、大人になった今でもくだらないことをたくさんしてる、アイドルやあれやこれやに夢中になったり。しかし、ともおのように先生に面と向かって「くだらないことに夢中になるのがそんないけないことですか?」などと主張するのはなかなかできない。
 しかし、大学が就職予備校化したり、気持ち悪いくらいに自己啓発が流行ったり(自己啓発なんて一歩間違えばカルト宗教ですから)、そんな時代にいくらちきりんさんが「これからは人と違うことをして自分の価値を差別化しよう」と叫んでみたところで画一的な新社会人しか出て来れないのは当然。型破りになる覚悟があり、社会の価値観を一変させるような人材を作りたければ、くだらないことに夢中になる子どもの価値観を否定なんかしてはいけない、と言うことをきちんと主張していかないとまずいのではないか。
 「取り替えの効かない」人材が重宝されるなら取り替えの効かないスキルを身につけるべき、なんてことは誰でも分かるが、そもそも(義務レベルの)学校教育は集団教育なのだから、先ず基礎として「取り替えが効く」能力を求めるのは仕方ない。だからそこではくだらない遊びこそがユニークさを芽生えさせる行為となる。可能なら大学なり留学なり、あるいはもっと別の方法で能力を高める機会を自分で作って行かないといけない。
 安定した人生を選択するにしても、病気や事故の可能性を考えると人生には博打的要素は避けられない。博打だからこそセーフティネットが必要になる(老人介護だけが福祉ではない)。つまり、新しい価値を生み出すために、生活保護的なセーフティネットが必要なのであって、働かざる者食うべからずと言う近視眼で社会福祉を抑えると社会の成長も止まるのである。現在の非正規雇用の問題点はまさにそこにある。
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