泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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シュテーデル美術館展(6)

2011-04-04 23:00:01 | 古典絵画関連の美術展メモ
地誌と風景画(2)  展示順ではカテゴリーや時代順が不揃いなので,ここでは変更して提示する. 
  アラールト・ファン・エーフェルディンゲン「滝のある風景」1650/60年頃

 彼は初めルーラント・サーフェリーに学びその後ハーレムでデ・モレインに学んだ.40年代初めには単色調の海景画を描いたが,1644-45年にスカンディナヴィアを旅行し,そのスケッチを元にした山岳風景を絵画で低地地方に紹介し,初めは横長の画面に対角線構図でサーフェリーのチロル風景に影響を受けたフランドル風の色彩で描き始めたが,次第に山々,岩や滝,水車や針葉樹を組み合わせて,単色の灰褐色調に支配された薄い絵の具できめ細かく描くようになる.針葉樹が空にシルエットとして聳えるモチーフはハールレムのコルネリス・フロームにインスピレーションを得たのではないかと考えられている.48年頃から縦長の構図を好んで描き始め,とくに縦構図の滝のモティーフは1657年頃移住したアムステルダムにおいて,ヤーコプ・ファン・ライスダールの構図に大きな影響を与えた.その少し前からエーフェルディンゲンの画風はより装飾的になり色彩はやや明るく流れるような筆致を見せている.1660年以降のモティーフは殆ど滝となって過去のスケッチを反復し,多くは褐色調で幅の広い筆致となった.
 本作も特徴的な褐色調で線はやや粗め,印象としては1650年代の終わり頃に描かれた可能性が高そうである. 




ヤーコプ・ファン・ライスダール「滝のある森の風景」1655年頃

 ヤーコプは17世紀オランダにおける最高の風景画家とされ,Stechowは彼を最も偉大な「森の画家」と呼んでいる.鬱蒼とした森の風景は,ヤン・ブリューゲルI世やそれに続くヒリス・ファン・コーニンクスローらフランドル派の流れを汲む画家たちが得意としたが,それらは装飾的で大袈裟にも見える.ハールレムの画家コルネリス・フロームは森をテーマにした作品を制作したが,1630年頃からの作品における木々の構図的配置がヤーコプ・ファン・ライスダールの着想に影響を及ぼしたとされる.
 ヤーコプの森の風景は1640年代から制作されているが,深い森の中というよりは木々の群生を対角線様式で描く構図が主流で,1650年頃のドイツ国境付近ベントハイム城近郊への旅行後,その様式は壮大で劇的なモニュメンタリズムを呈するようになり,ことに50年代前半(ハーレム時代の後期)の森の風景では,画面の広い範囲を占める樫の巨木とそれに調和し従属するような木々を描いている.
 彼も1656年頃アムステルダムに移り,60年代にもこのテーマを再び取り上げているが,より静謐で崇高な自然を無理なく描き出している.70年代以降は小画面に開けた構図を用いて精緻な筆致で木々もこじんまりと描くようになった.
 この作品は森が主体ではなくて,より手前の,日本では滝といわない程度の落差の流れから,左に小屋を見ながらその奥の源流へと自然に視点を移動させられる.これらの配置から,この作品もこれらのパーツを意図的に組み合わせながらアトリエで作り上げられた虚構であることが分かる.自然の壮麗で堂々とした印象を強く感じさせるのはその構成力からで,40年代のやや荒削りな写実的画風から,完成度が高まった50年代の成果であろう.明るく描かれた小さな小屋を置くことだけで,右の暗い丘の木々と共生しつつ対峙する人間と自然との関わりを巧みに具現している点が心憎い.

・同「白鳥のいる湖と森の風景」1660/5年頃 静謐というかこじんまりした点で後期と読めるが,この作品は実はコンディションがあまり良くないらしい.図録によれば「穏やかな湖沼」に「木々がある平坦な風景」で,「木の頂きの繊細な描き方」「水面に映る反射」などから1660年代前半としている.

同「滝のあるスカンディナヴィア風景(ノルウェーの滝)」1670年頃(Sliveは1660年代前半と推定している)

 1965年の修復で上端10cmの追加された部分が取除かれ,本来の正方形の構図が明らかになったが,これはヤーコプにしては異例の形だし,画面の下1/3を占めるほどの渦巻きの図も珍しい.バランスからするとあるいは右端の一部が切断されているのかも知れない.背景の木々が精緻に描かれているので1670年代の推定はもっともらしいが,この渦巻きのダイナミズムは水飛沫の中の流木の配置で強調され,自然の営みが力強く表現されており,より早い年代推定も妥当性を持っているかもしれない.

ヤーコプ・ファン・ライスダール「街灯のあるハールレムの冬景色」1670/80年頃

 これは彼の冬景色の最高傑作の一つであろう.街灯の先を歩く後ろ向きの二人の人物に深い叙情性を感じる.黒雲の支配した闇で,白く浮かび上がる地面には日差しが射しているのだろうか.しかし,それは日の傾いた時間とすれば現実的ではなく虚構であろう.低いところにある明るい雲に橙白色を用いているのも目新しい.
 ガラスのランタンに入れられたオイルランプの街灯は1668年に画家兼発明家のヤン・ファン・デル・ヘイデンの発案で欧州で初めてアムステルダム市に設置されていった.地平線の左寄りにハールレムの聖バーフォ教会が見えるが,この街灯のある村は想像上のもので,街灯の発明者であるヘイデンへのオマージュであるとされる.

 この様な冬景色の小品をライスダールは1670年代に30点ほど描いている.これらは水平線がやや低く位置した構図で黒雲と前景の褐色が支配する色調が共通しているものが多い.隣にある「木立のある冬景色」(1678/80年頃 Sliveは60年代としている)もその一点で,灰黒色の重い雲の下,黒褐色の前景の奥に日の射した雪の道と枝にかかった雪の白が浮かび上がり,犬を連れた人の先に建物があることが,自然と人の関わりを示してくれているかのようだ.ここにもモティーフの(壮麗とはいえないまでも堂々とした)monumentalityが描かれている.

海景画(ホイエンは既出)  ・ユリウス・ポルセリス帰属作品は父ヤンや,フランドル派のヤン・ペーテルスを含めてイニシャルも同じで,荒れた海のモチーフも共通しているため,特定が難しい.

・デ・フリーヘルの作品は,一言で言うと単色調の「静寂な大気」が特徴で描画は繊細であるが,この作品では構成要素が少ないこともあって弱い感じを否めない.ヤン・ポルセリスに由来する遠・中・近景の船の配置に,船の角度や海面の反射などを用いて,奥行きを表現しようとしている.モティーフは曇天の凪いだ海や荒れた海が多いかと思う. 
ウィレム・ファン・デ・フェルデII世とその工房「穏やかな海」1660年頃

 彼はオランダ海景~帆船画の頂点に立った画家で,父I世やおそらくフリーヘルにも学び,アムステルダムに工房を構えて制作した一連の凪いだ海の風景が芸術的には最も優れているとされるらしい.本作もその一つであろうが工房共作とされる小品で,大航海時代末期のオランダ商船の接岸を描いている.黄変したニスが残るのが鑑賞の妨げになる.その後,英国宮廷でも活躍したが,その頃の荒れた海や海戦シーンは同一モチーフの工房作も非常に多い. 
都市景観画と親イタリア派風景画
 前者は後者の範疇に重なる
ヨハネス・リンゲルバッハ「ナヴォーナ広場の市場」1657/8年頃 標準的な大作

・フレデリック・デ(ド)・ムシュロン「フランシュヴィル城のある風景」1669年頃 親イタリア派風景画家として,ヤン・アッセレインに学び,滞在したフランス風景を良く描いた.コントラストが低いので好みではない.人物はアドリアーン・ファン・デ・フェルデによる.

ヘリット・ベルクヘイデ(ハイデ)「アムステルダムの二つのシナゴーグ」1680/5年頃 ベルクヘイデは地誌的に正確な都市景観画で名を馳せた.写真では単調で様式的に見えるかもしれないが,コントラストは高く,しっとりした色調で,かつ精緻に描かれている.
ヤン・ファン・デル・ヘイデン(ハイデン)「ルーネルスロート城」1665/70年頃
 次作とともに20x30cmほどのヘイデンとしても比較的小品.地誌的な絵画というのは,例えば16世紀末のホーヘンベルフのヨーロッパ都市地図(G. Braun and F. Hogersberg, Civitates orbis terrarum1572-1619)などに集大成された銅版画からの流れを汲むが,17世紀後半になるとこのような都市景観の油彩画が盛んに描かれていた.ヘイデンの特徴は,有名な建築物を想像上の設定で細部にこだわって緻密に描いていることだ.写真では分からないほど細かいレンガや葉の一枚一枚を描く技法について,従来は虫眼鏡を使用したと推定されていたが,図録によると押型を利用しているという.これは新説かと思ったら,自伝の中で述べられているとのことだった.
・同「田舎道の風景」1666/8年頃 親イタリア的な柔らかい色調だが,都市景観でないと家のレンガや木の葉以外あまりヘイデンらしさと感じなかった.右下の人物はリンゲルバッハの共作.
ヨプ・ベルクヘイデ(ハイデ)「アムステルダムの株式取引所」1675/80年

 これは都市景観というより建築画であるが,これだけ日常的な群集を大勢描いた作品も珍しいのではないか.画面全体にクローズアップされた日陰の暗い画面が却って中央のアムステルダム市の紋章の下奥の強い日の当たる場所を強調し極端なキアロスクーロをもたらしている.ヨプはヘリットの兄で教会内部画なども比較的よく描いていてハールレムで活動していたが,しっとりとした色調はアムステルダムのエマヌエル・デ・ウィッテの流れを汲んでいるようだ.この作品の上端の帯状の空の部分は本来もっと明るいはずで,写真でみる限りは修復が必要かもしれない.
ヘンドリック・ファン・フリート「デルフト旧教会の内部」1660/3年

 教会内部画は,広い意味では建築画である(室内画の一種としては,小屋の内部などは既出) .このような作品のポイントは視点の位置と遠近法の表現だろう.フリートはデルフトで活動しハウクヘーストに倣って1650年以降この分野の仕事のみをこなしているが,1660年代以後はマンネリの早描きで質が落ちたという.この作品もシャンデリアなどの荒い仕上げは水準以下のような気もするが.彼の作品の子供や犬の点景は共同制作を採らず自分で描いているのが特徴で,その流れはコルネリス・デ・マンらに受け継がれる.
 新教会の内部同様,新教国の旧教会は宗教絵画や彫刻をかけることは出来ず寄進者などの紋章に変わり,内陣の祭壇から,信者の集まる身廊に設けられた説教壇へと重心は移っていった.画面では内陣側から振り返って身廊を見ているので,正面に見ているのは入り口側でその上にあるのはパイプオルガン,説教壇は画面左に小高く造られている.


4 コメント

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ヤーコプ・ファン・ライスダール (おのちゃん)
2011-04-05 07:53:10
の作品は素晴らしいですねやはり東洋人の感性に合うのでしょうか!そういえば以前ある雑誌で日本にある西洋美術の特集をやっていてその中でメトロポリタンの学芸員だったと思うのですがフェイさん(といっても中国人じゃないです)という方がその中から名作を風景画を中心に選んでました。その人は西美のクロード・ロランの作品を激賞してましたがその時向こうの人から見ても風景画が日本人は好きだと思われていると感じました。その反面、公立の美術館宗教的な作品を購入するのにはかなり苦労されるだろうなと思いました
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風景画 (toshi@館長)
2011-04-05 19:11:49
 そうですね.日本人はフランスの名画が好きなので,派生的にとくにバルビゾン派の風景画が流行ったようです.彼らはライスダールの作品に学んだので,ライスダールも好まれるだとか.

 ちなみにHorst Veyだとすると昨年2月になくなったそうです.よくご存知ですね.
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フェイさん (おのちゃん)
2011-04-05 19:31:15
亡くなられたんですかフリックコレクションなんかの学芸員もやられてたようですね。ハンサムな方でしたね
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Unknown (クワトロチェント・チンクエチェント)
2012-11-28 10:51:18
フリックに居たフェイ、というと Everett Fahyのことでは?
彼はメットはリタイアしたはずですが、オークションカタログではちらほら目にするんで、健在と思います。
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