泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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シュテーデル美術館展(5)

2011-03-24 19:54:12 | 古典絵画関連の美術展メモ

 17世紀オランダ風景画を論じる際にバイブルとなるのは1966年に刊行されたW.Stechowの"Dutch Landscape Painting of the 17th century"であろう.ここでは,(1)オランダ風景として,田舎の風景(砂丘や田舎道・パノラマ・河川や運河・森)・冬景色・浜辺・海景・都市景観),(2)他国の風景として,想像上の風景・チロルやスカンジナヴィア・イタリア風景,(3)夜景 に分類されている.
 過去の展覧会として重要なのは1987年にボストンやアムステルダムなどで開催された"Masters of the 17th-Century Dutch Landscape Painting"でSuttonが監修しており,対象としては上記から海景と都市景観画を外している.日本では,1992年に小林頼子先生が監修された17世紀オランダ風景画展がその嚆矢である.その中でEdwin Buijsenは,I.空想の風景画(1530-1640),II.初期写実主義の風景画(1600-25),III.単色主義の風景画(1625-50),IV.壮麗なmonumental古典としてのclassical風景画,V.親イタリア派の風景画(1620-80),VI.理想化された風景画(1680-1750)と分類している[訳語表記は筆者が一部改変].その油彩画の展示総数は66点であった.今回の風景画の展示数は38点で,教会内部画や海景画,あるいは18世紀の作品2点が含まれているとしても,それに次ぐほどの内容である.

 まず,BuijenのI~IIIにあたる作品を展示順を変更して観てみよう.なお,歴史的に定まったタイトルがある有名作品を除いては,静物画や風景画の題名は厳密さにあまりこだわる必要はなかろう.

地誌と風景画(1)  
小品4展の展示 一部画像なし

49

52
・メッヘレンのピーテル・ステーフェンスという馴染みのない画家の1614年作「修道院のある森の風景」は 紙のトランプ・カードの裏に油彩で描かれていることが珍しい.一見殺風景だが,よくみると右下に修道士の半身,中央上に礼拝堂と修道士が見えてくる.

 これ以外の3点は15x25cmほどの銅版に描かれた小品で,あるいは家具に嵌め込まれるキャビネット画として使用されていたのかもしれない.

(49)ヒリス・ファン・コーニンクスローの周辺画家「狩人のいる森の風景」1600年頃
 細密さ・コントラスト・構図の面白さのあらゆる点で52より魅力的で,図録によれば,ヤンI世にしては葉や樹皮の仕上げが甘く,コーニンクスローの樹皮のハイライトや葉の表現,優れたやわらかい配色に近いとのこと.この時代のフランドル派の風景画家の同定は必ずしも容易ではない.

△(52)ヤンII世の追随者「エジプト逃避のある森の風景」1620/50年頃
 49とは葉の描き方が少し違い,やや装飾風図式的である.ともに森の風景を近い位置から観察し,色彩遠近法を用いて表現したかなり質の高い作品だが,視点は49が高いのに対して52は低く,それによって52のほうが制作年代は下っていることが窺える.ただし,52の年代推定には30年の幅を持たせてあるように確定は困難だろう.

ヤンI世の「森の外れの風景」1605/10年頃はヤンとしては構図がやや寂しいかもしれないが,標準的な作品.



ルーカス・ファン・ファルケンボルフ「乳絞りのいる森の風景」1573年

 緑にあふれた画面で,村人の衣服の赤がアクセントとなった細密で美しい作品である.前景の村人のモティーフは恋の戯れとのこと.フランドル派の風景画は一方ではやや厚塗りの色付けもあるが,ルーカスの関心は細部にあり,ここでは葉一枚一枚を点描する凄い技法を用いている.

同「スヘルデ川の彼方に見るアントワープの冬景色」1593年

  ファルケンボルフの地名はマーストリヒト近郊に残るがルーヴェン出身で,1535年頃の生まれと考えられ,アントワープ時代にオーストリア大公に仕え,その後,同国内を移動したが,この作品の年にフランクフルトに定住し数年後に死去した.したがって,この風景は過去のスケッチを用いて再現されたものと考えられる.先の作品と比較すると,20年の時間を経て,さらに薄くさらさら塗り上げていく様式に変化しているようだ.
 このような冬のモティーフは,高い視点から俯瞰したピーテル・ブリューゲルの世界風景の名残があるが,その後,冬景色として一つのジャンルとして定着するようになる.氷の上での遊びはブリューゲルの作品にも表されているように「人の命の不確かさ」を示しているという.


ルーカスは「バベルの塔」もよく製作した.これは1594年のルーブル所蔵品.

 画像なし ヤーコプ・サーフェラィ(サーフェリー)「村の風景・秋」 1600年頃 画面はウェットな印象だが緻密に描かれたフランドル派の流れを汲む風景で,町並みも師のハンス・ボルの作風だが,牛は明らかに弟のルーラントの作風に影響している.個人的にはルーラントより好きかな.

 展示する壁の都合もあったのだろうが,流れから言えば次はホイエンであるべきだ.
53



55



56



54 

ヤン・ファン・ホイエンの田舎道を描いた風景画群4点

 1628-9年という近接した時期の,そして35x60cmほどの同サイズのホイエン作品が4点も展示されるというのは,勿論国内初めてであり,欧米の主要美術館でもそうあることではない.作風が近似していて,続けて見てしまうと「おんなじ~」で終わってしまいそうである.シュテーデルがどういう意図でこれらを貸し出されたのか,自分がキュレーターならどういうセールスポイントで展示しようとするか,考えさせられてしまった.
 すべての作品で水平線は画面の比較的低い位置にあり空が占める割合が大きい.ということは視点が低く,人々の営みに近づくと共に,さささっと仕上げられる空の占める部分が広く,結局沢山描き上げられるということになる.それが1630年前後以降のホイエン作品の第一の特徴で,事実,ホイエンは多作の画家であった.

 53や55の構図は木の頂点から対角線の構図で,前景の影が暗い三角形になっていてその向こうを浮かび上がらせる引立て役(ルプソワールRepoussoirは打ち出しの意.一般的には55の木のように画面の左か右端に用いる)の効果があり,こういった構図は二重対角線と呼ばれる.色調は53が比較的青みが強く55は黄味が強い.前者は修復が完了しているのに対して,後者はニスがまだ強く残っていることも関係するが,画像処理をしてみても同じ年の製作でこれだけ違う.青い空に雲が広がるので天候の差はさほどないとすれば,時刻が異なるのだろう.よくみると55では家々の煙突から煙が上がっているので,夕餉の支度の時間のようだ.日が傾いたことは木々などの影の長さでも分かる.木の葉を良く見ると,葉一枚一枚の描き方は笹の葉型に近く筆を斜めにぽんぽんと置いているようで共通しているが,.53の木では枝葉の広がりが狭いのに対し55では丸く広がっており,53の幹はくねくねしているが55では比較的直線的なことから,木の種類が違うようだ.立ち止まって語らう人々や馬車が行き交うモチーフは共通,ただし,55の家には旗のように看板がかかっているので,宿屋らしく,より賑やかだ.

 56も完全な対角線ではないが,画面の半分で対角線となっていて,低地帯のオランダでありふれた光景である砂の丘に小さな木と旅人が描かれている.このような木は風で倒されないように[要確認]背丈ほどで切られ刈り込まれる習慣があり,オランダ風景画には(例えば,ブリューゲルの冬景色にも葉が落ちた状態で)よく登場する.左前景は引立て役,その遠方には小さく都市が描かれている.砂丘の中には黒チョークの大雑把な下書きがくねくねと透けて見えており,彼の作品には良くあることだ.残念ながら,暗い色の雲は擦れて色落ちしてしまっている.

 54はStechowの著作に図版入りで紹介されていて(p.27 fig.26),研究者にとってはこれらの中で最も有名な作品だ.「エサイアス・ファン・デ・フェルデの名残はあるが色のニュアンスなどは抑えられ,道は奥に抜けるが基本的な構図はまだ左右が主張している」(三軒の家の屋根を結ぶ対角線の構図は,他の三作とは違って右の木で崩されている).しかしながら,ここで描かれている村人の営みは普遍で,遠景に映るにつれて,色彩遠近法のバリエーションとして灰色がかって彩度を落としているのが見て取れる.

 これらの作品は本来は屋敷の壁に左右対称に擬似的な対作品として飾られただろうが,54と56以外,額もやや異なっているし....ここでは,見比べやすくするように田形に集めて展示するのが最も良いかもしれない.


(図録の写真は青過ぎ)
ヤン・ファン・ホイエン「ハールレムの海」1656年

 これは前作群から25年以上経過したホイエン没年の海景画で,この作品もStechowの著作に図版入りで紹介されている(p.114 fig.225).ホイエンの海景画は100枚ほどもあり,1655年に急にその製作数は増えたという.荒れた海もあれば凪いだ海もあるが,晩年になるにつれ,後者が増えていった.本作は「ホイエンの晩年の円熟様式を最も雄弁に物語る傑作」であるとしている.
 この作品は薄く描かれているので結構擦れており,空の殆どは補彩と黄変したニスの残りで覆われていて,鑑賞の妨げになるのが残念.水平の構図で単色調の時代に準じているが,とくに左下の漁師の服の赤褐色などは眼に留まって鮮やかである.風車が遠景に描かれている.筆致を別にすれば19世紀ハーグ派による灰白色の「オランダの光」ないしメスダッハ(メスダフ)の「日没の穏やかな海の漁船」を思い出してしまった.

 やや荒れた海の例は西美の「マース河口」1644年という佳作がある.


 ヤン・ファン・ホイエンは,今日,最も有名なオランダ風景画家の一人で,1617年頃に1年間ハールレムで6才年上のエサイアス・ファン・デ・フェルデのもとで学び,その後の方向に大きな影響を受けた.その後1632年に首都ハーグに移り,1640年頃には同地の聖ルカ画家組合の組合長を務め,油彩1200点以上,素描800点以上を制作するが,当時の売却単価は比較的低かった.ホイエンは富と名声を求めた野心家であったが,チューリップ相場などの失敗で多額の負債を残している.
 ヤン・ファン・ホイエンの初期(1620-26年)の作品(署名は:I.V.GOIEN )は明らかにエサイアス・ファン・デ・フェルデの影響を示し,一部はフランドルの伝統による円形画面の対作品として仕上げられているが,それ以外はかなり横長の画面に村や海岸の情景を描き,ファン・デ・フェルデと違って襲撃や戦闘の場面は描いていない.多くの人々を登場させ,高い木を配して構図を分割し,近景から遠景への奥行きを感じさせる.その後(1628年から署名は通常VG),ハーレムのピーテル・デ・モレイン,サロモン・ファン・ライスダールらとともにオランダの風物をより自然に近い色彩で描く単色調の写実的風景画を目指すようになった.1630年代を通じては褐色と緑色調で砂地や河を表現し,対角線で奥行きを持たせる構図,30年代末から調和と統一のとれた作品を描き始め,微妙に変化を与えた銀灰色の色調が優位となるが,1640年代には簡素な黄金色を帯びた褐色調となり,河に描かれた帆船は背景から前景へと位置を移し,河岸は隅の方へ後退してくる.この頃から対角線の構図から水平の構図も取り入れるようになり(特に遠景),空を覆う雲は陰の効果で光の対比を生む.描かれた都市には記念碑的な建物がしばしば登場している.40年代後半には単調な褐色が支配し,1650年代には再びより自然な色彩に戻り,とくに海景画が傑出して行く.

 これらの作風の変遷が分かるような展示,あるいは師やライバルらの作品の展示がもっとあればよかったとは思うが.
サロモン・ファン・ライスダール「渡し舟のある川の風景」1664年

 サロモン・ファン・ライスダールは,1623年にハーレムの画家組合に入会し生涯その地に居を構え,初期にはエサイアス・ファン・デ・フェルデ,次いでピーテル・デ・モレインの影響を受け,1630年代にはヤン・ファン・ホイエンとともに単色調の河の風景という独自の画風を確立する.この頃の様式はホイエンと区別しがたいが,微妙な緑,黄,灰色を寒色調に用いながらより細かい筆致で描いている.ホイエンらと異なり,サロモンは素描を残さず,直接油彩の[要確認]デッサンの上に作品を仕上げていったらしい.二重対角線の構図で描かれた渡し船や漁夫のいる河辺の風景が典型的である.1640年代には甥のヤーコプ・ファン・ライスダールの影響からか上下の構図が強調され,色調が鮮やかさを増してくる.マックス・フリードレンデルがいみじくも述べたように,ホイエンが嵐の前の風景とすればサロモンは雨上がりの新鮮な風と大気を感じさせる,といわれる所以である.

 1660年代のサロモンの作品は1640年代のモティーフの描き直しが比較的多いが,より線は荒めにコントラストは強めになっているようだ.ここに展示されている作品も標準的な良品である.
画像なし  ヘルマン・サフトレーヴェンIII世「河の風景」1650年 薄く塗られた顔料が磨耗しオークの板の木目が出てきているしニスもくすんでいるようだ.コンディションが悪いので,この画家本来の美しさが損なわれている.サフトレーヴェンは,おもにユトレヒトで活躍した親イタリア派の風景画家で,1640年代にはヤン・ボトと比肩するような大画面の作品も製作していたが,そこで用いた葉の細かい仕上げに見られるようなオランダ絵画特有の細密さで,1650年代以降はフランドルの風景画の研究とドイツ旅行を通じて,ライン川などを高い視点から見た世界風景として,本作のような小画面に仕上げる技法を生み出した.

・ヨハネス・ スフッフ「夕暮れの川の風景」1648年頃 並品.ホイエンの影響を受けた多くの画家の一人としての展示か.近景のホイエン風,遠景のサフトレーヴェン風(河岸の平地もそうだが,山の形が62とそっくりだ)の仕上げが読み取れる.



(図録の写真は青過ぎ)

 


アールベルト・カイプ「運河の風景」1641年頃 

 アールベルト・カイプは肖像・風景画家ヤーコプ・ヘリッツゾーン・カイプの息子で,ドルトレヒトで多様なジャンルの絵画を残したが,オランダ風景画の題材にイタリア風の光の効果を導入した風景画家として18世紀英国において高い評価を得,オランダ風景画の巨匠の一人とみなされている.画風が写実主義から親イタリア派に転換してゆく好例なので,先に取り上げた.
 カイプの初期(1639- 1645年頃)の作品には,ヨース・ド・モンペルII世, ヘルキュレス・セーヘルス,やエサイアス・ファン・デ・フェルデらへの関心が認められるが,次第にホイエンやサフトレーヴェンらの影響を受け「ホイエン様式」,その中においてもカイプは常に強く明るい光のコントラストを追い求めている.本作品もホイエンより明るい画面だが,空の青を除けば,ねっとりした細密なクリーム色と褐色のエスキースのような単色調である.余談ながら集う村人の一人の横顔の鼻が大きいのも特徴であろう.

同 「羊の群れのいる風景」1645/55年

 カイプは1645年頃から親イタリア派風景画家であるヤン・ボトの強い影響を受け初期「逆光」様式を導入し,明るい黄緑色のアクセント(今回展示されているホイエンの1629年頃の作品を見ているとこの色もそこに原点があったのではないかと思えてしまう)で草を表現したり,点景として現れる羊飼いや家畜たちは次第にクローズアップされてくる.その後,「黄金の雰囲気」をたたえた円熟期の作品を完成してゆく.
 本作はその移行期の作品で,1645年よりはかなり後であろう.間近で見るとボテッとした粗大さを感じるが,独特のクリーム色と淡褐色で描かれた町の遠景や,白変してしまったグレーズが近景に見出され,前作共々画面右端の最高点が中央レベルにとどめられる構図や,大気を表す雲の卓越した表現と相まって,すべてがカイプのオリジナルの特徴である.また,本作のような50x75cmの板の支持材はこの頃のカイプによく認められる.
 この作品もStechowの著作に図版入りで紹介されており(p.40 fig.68),両端の前~中景に縁取られた新しい様式のパノラマ風景画の嚆矢として論じられている.
アールト・ファン・デル・ネール「夜の運河の風景」1645/50年

 ネールはアムステルダムの風景画家で夜景画の第一人者.本作は典型的な佳作である.消失点が水平線の中央右寄り,月明かりの光源近くに位置している.両側の立ち木による額縁効果で構図が引き締まって見える.

「月明かりの船のある川の風景」1660/70年は,約20年を経て,月光を受けた雲の雰囲気は相変わらず良かったが,構図には単調さを感じた.これは前作が広角レンズでみた構図であるのに対し,こちらは望遠レンズで中央を切り取ったような設定となっていることによる.
 この作品では月を船の帆に隠しているが,このように光源を隠す技法は,例えば1628/9年のレンブラントの作品のように,風俗画や歴史画での蝋燭の光源の処理に際して,他のジャンルではしばしば行われていた.


3 コメント

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ホイエンが (おのちゃん)
2011-03-25 15:38:19
陸地の風景画を描いてたとはしりませんでした!でもやっぱり嵐の前の海の印象は強いですね…ファン・コーニンクスローといえば僕みたいな素人からすると何となく影の薄い西美の絵を思い出し、謎の画家でしたでも館長さんの解説で少しプロフィールがわかったような気がします
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書き込みいただけるとうれしいですね (toshi@館長)
2011-03-25 19:15:47
 コーニンクスローの名前をご存知とはなかなかだと思います.
 西美の作品は大振りで装飾的図式的ではあるのですが,研究者が真筆と認めているようですね.ただ異論もあるので,あれが彼の本質であると思われるとどうかなと思います(もっとうまい).
 
 ホイエンは確かに河の風景として少なくとも500点ほどを描いているので,田舎道の風景はかすんでしまうかもしれません.村の風景でも川の一部が描かれることが多いため,それが殆ど描かれていないものは100点ほどではないかと思いますが,1641-2年頃までの作品が多い印象です.最も有名な作品としては「2本の樫のある風景」1641年 アムステルダム国立美術館蔵 があります.
http://www.dutchbaroque.jp/goyen2_txt.htm
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西美の (おのちゃん)
2011-03-25 22:39:48
コーニンクスローの作品は風景はイマイチボケてますが描かれてる女性はいいかな〓〓って思う男性は多いと思います蛇足です
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