douce vie

現代アートを中心に、色々と考えた事とかを日々綴っています。主に関西の展覧会の感想なども書いております。

寒い朝は

2005-01-31 | 雑記
今日は寒い。
明日はもっと寒いらしい。

寒い朝は起きられなくて辛い。
しかし、今朝はCDプレーヤーにセットした事を全く忘れていたCDが流れた為、びっくりして目が覚めた。ラッキー。
「星の王子様」の朗読。フランス語でね。
朝から大音量でフランス語。
一瞬パニックになった。

私はフランスの子供が一生懸命しゃべってる感じが好きで、
この「星の王子様」も気にいっている。
「羊を描いて」とか「それじゃあ病気の羊だ」とか言っている(多分)ところが
可愛くて可愛くて。
「わんぱくニコラ」の朗読テープもお気に入りだ。
ニコラが可愛い。
帝人のCMで一生懸命しゃべってる女の子も好きだ。

今朝はいつもよりちょっとだけ(ほんとにちょっと5分くらい)早く
目が覚めたから、きちんと切ったパンをトーストして、食べた。
朝食を食べる時、たまにプレヴェールの詩を思い出す。
フランス語の授業で習った。「Dejeuner du matin(朝食)」という詩。
すべて複合過去の文なので、文法のテキストとして適当だったのだろう。

彼はコーヒーをカップについだ。
彼はコーヒーカップにミルクを入れた。
彼はカフェオレに砂糖を入れた。
小さなスプーンで彼はかき回した。

って淡々と続く。
静かな映画見ているみたいな。
感情は一切はさまず「私」が彼の行動を連ねていくのだけど、
悲しみが滲んでいる。
最後、彼が出ていった後、
バタンというドアの音、一人残された「私」、みたいな情景が思い浮かぶ。

なんだかフランスに行きたくなってきた。
でも今の時期、パリはもっと寒いだろうな。
とりあえず、今日より寒い明日の朝、ちゃんと起きなきゃ。

アーティストと職人

2005-01-30 | 映画
みんなのいえ  三谷幸喜監督 日本 2001年

若い夫婦のマイホーム建築をめぐる騒動のお話。

設計するインテリアデザイナーと大工の棟梁のぶつかり合いがとても面白い。
あくまでデザインにこだわり、フランク・ロイド・ライドの好んだ様式だとか、
アメリカでは一般的な様式だとか、何かとデザイン史を持ち出すインテリアデザイナーと
あくまで実用性、丈夫さにこだわり、和室とか大黒柱とか従来の日本家屋の伝統や
今まで現場でやってきたという経験を振りかざす大工の棟梁。
そこに、二人ので右往左往し、家主であるにも関わらず、
全く自分で決められない男(ココリコの田中直樹が熱演)がからみ、
とてもテンポよく、ユーモラス。

最後にはデザイナーと棟梁はお互いの職人気質を認めあい、わかり合うのだけれど、
このデザインにこだわり、アーティストであろうとするインテリアデザイナーが
すごく皮肉的に感じた。

特に印象的だったのは、バーでのシーン。
真田広之演じるこだわりバーテンダーが細部にこだわって何度もカクテルを作り直し、
客をいらいらさせているにも関わらず
「自分の問題ですから」と言って、ゆずらない。
これを見ていたインテリアデザイナーが何かに気付いた表情をする。
私は、ここで今まで自分がデザインにこだわりすぎて家主の事を考えてなかったという事に
気付くシーンだと思ったのだ。
しかし、インテリアデザイナーはあくまで自分を貫くべきだったんだ、と思ってしまう。
それこそがアーティストだ、という思いがあるのだろう。

しかしアーティスト=自分の思う通りに作品を作る人、というのは
非常に近代的な発想で、そもそも絵画も彫刻も建築も受注生産、というか
発注者あってのことだった。
近代になって、アーティストは自分の思い通りのものも発表するようになっているのだけど
建築はいまだに受注生産の分野だ。
やはり家というのは、他の芸術作品とは違って日常生活に何よりも密着している。
もちろん設計にこだわった家が生活を作り上げていくという事もあるだろうけれど、
やはり、使いやすさ、というものを考えなければならないものだ。

最近、建築家に住宅の設計を依頼するのが流行りみたいなのだけれど、
これは本当に住みやすい家が出来ているのか、疑問に思っている。
実際に、日常生活には支障があるような住宅も出来ているのではないかと思う。
それを「デザイン」だと押し付ける事は、エゴ以外の何ものでもない。

世の中「仕様」だとか「美しいものを作った」とか言えば良いというものではない。
あ、最後は映画とは違う話になってしまったかも。

やっぱり薔薇か

2005-01-28 | 雑記
「エロイカより愛をこめて」には番外編がある。
それは「Z-ツェット-」。
少佐の部下の新人Z君が懸命に任務を遂行しようとする話。
本編のエロイカとは違ってほとんどコメディの要素のないハードボイルドな世界。

持ってはいるが、現在、手元にないので、
タイトルが思い出せないのだが、
薔薇が重要なモチーフの話があった。
青薔薇の第一号と言われる「スターリング・シルバー」が事件の鍵を握る。
青薔薇作りに人生を狂わされた男が出てくる。
初めに読んだ時(10年くらい前かなあ)は、別にどうとも思わなかったのだが、
最近、読み返し、本当にこの薔薇が存在する事を知って、改めて凄いなあ、と思った。
ちょっとしたことだけど。
あ、もちろん青薔薇と言っても、真っ青な青ではなく藤色の事。

昨日から、エロイカより愛をこめてもイブの息子たちもエルアルコンも
読み返したくてしょうがないのだけど、全て今、手元にない。
もう一度、購入してしまいそうな勢いだ。持ってるくせに。

愛をこめて

2005-01-27 | 雑記
昨日、BS2で「少女マンガ!〜作者が語る名作の秘密〜」というのをやっていた。
3回シリーズで私が見たのは「エロイカより愛をこめて」青池保子編。
青池保子は大好きな漫画家の一人。
私は70年代の漫画が好きで、青池保子のほか、萩尾望都や山岸涼子、
池田理代子、木原敏江、坂田靖子とか好きだ。
もちろん今でも現役の方々ばかり。

番組は青池保子の半生、
人気マンガ「エロイカより愛をこめて」が生まれた背景、
「エロイカより愛をこめて」の制作の裏、
などが本人のインタビューも交えて構成されていた。

「エロイカより愛をこめて」はなんと説明したら良いんだろう。
ハードなスパイアクションに絢爛豪華な美術品泥棒を足した
抱腹絶倒のコメディーとでも言おうか。とにかく面白い!
NATOの情報部に所属するサド目の黒髪(ここ重要)の「鉄のクラウス」ことエーベルバッハ少佐が
任務遂行(国際的な諜報活動)をしようすると
必ず決まって、美しいものを手に入れる為に美術品を盗み出そうとする金髪巻き毛のエロイカことドリアン伯爵に邪魔をされてしまう。
少佐は伯爵を嫌いながらも(伯爵は少佐が好きなのに)、
なんとなく二人が協力したような形で事件が解決する。

東西冷戦当時の国際情勢を巧みにエンタテインメントにしている。
またスパイ活動と美術品が本当にうまく絡み合った緻密なストーリー展開だし、
各国の情報部のエージェントたちがそれぞれお国柄や文化の特色が
ものすごくうまく描きわけられているのだ。
冷戦終結後、休載していたが、また再開され現在の国際情勢を描かれている。

番組中のインタビューで99%の真実と1%の嘘とおっしゃっていたが、
本当に国際情勢などにリアリティがある。
だからこそエンタテインメントの部分がおもしろい。
こんなストーリーを「机の前でもんもんと考えていたら思い付く」
とさらっとおっしゃっていた。本当に凄い人だ。
一つの作品を描くのに膨大な資料を集めるらしい。
その膨大な真実の資料に、1%の大嘘を加えて、「エロイカより愛をこめて」ができる。

私はこのマンガでドイツ(少佐の母国)が好きになり、
NATOが北大西洋条約機構だということを覚え、
ロシアの情報機関がKGB、アメリカがCIA、イギリスがSISということを覚え、
フェルメール(17世紀オランダの画家)を知り、クラナッハ(16世紀ドイツの画家)を知ったのだった。

最近は、ますますキャラのガタイが良くなってきて、
少佐も含めておっさん度が上がってきたような気がするけど、
もはやおっさんしか登場していないような気もするけど、
それもオッケー。
もうすぐ新刊がでるらしく楽しみだー。

きっかけ

2005-01-25 | 美術
私が現代アートを意識して初めて見たのは、なんと贅沢にもヴェネツィア・ビエンナーレ。
2001年の事。
イタリア旅行で中世の宗教画やルネサンスの絵画を観続けて
ちょっと食傷気味(これもまた贅沢)になっていた頃にビエンナーレに行き、
まるで遊園地に来たみたいに楽しくて、一日中歩きまわったのを覚えている。

同じ年、現代アートに味をしめた私はビエンナーレのような楽しさをもう一度味わいたくて、
横浜トリエンナーレに行ったのだった。
これもヴェネツィアほどではなかったが、かなり楽しかった。

それまでも、現代アートの存在は知っていたし、いくつか作品も観た事があったけど、
ヴェネツィアでの体験がとても新鮮だった為、以前の現代アート体験が思い出せないくらい。
もちろん、ビエンナーレでは作品自体や解説とかもイタリア語や英語だったので、
ほとんど理解出来ていなかった。
日本館の展示さえ良く分かっていなかった。
(この時の日本館のアーティストのうち藤本由起夫は、
日本に帰ってから、展覧会に行き、好きなアーティストの一人になった)
言葉が分からなくても、こんなに楽しいんだな、っていう事が驚きだった。

その後に行ったトリエンナーレは今になって出品アーティストを見ると、
最近、観たいと思っているアーティストめじろ押し。
あれ、私、すでに観た事あったの?とびっくりする。
意識して観ていないから、覚えていないものもあるけれど、
行っておいて良かったと思う。

出会いなんてどこにころがっているかわからない。
きっかけはいつだってつかめるだろう。
ほんのちょっとでもアンテナにひっかかったら、すぐに動き出せるよう
いつだって、身軽であり続けたいな、と思う。

筆舌に尽くしましょう

2005-01-24 | 
ヨコオ論タダノリ  荒俣宏著  平凡社

去年。初めて横尾忠則の絵を観た。
それはもうなんというか筆舌に尽くしがたい、独特の絵だった。
その横尾忠則の絵を筆舌を尽くして読み解こうと試みた本。
今まで単体で発表してきたものをまとめた本なので
全体としてのまとまりは、あまり、ない。

こういうと失礼かも知れないが、美術の専門家でない人だからこそ
好き勝手に解釈し、小学生がなぞなぞを解いたように喜んでいるところが非常に面白かった。
心から横尾さんを好きなんだなあって事が伝わって微笑ましかったし。

荒俣宏は横尾忠則と友達らしいので、ヨコオさんってこんな人っていう軽い紹介も交えつつ、
古今東西の様々な知識を引用し、横尾忠則の絵を理解する方程式を組み立てていく。
そして、もうおそらく筆者自身わけが分からなくなる程、ハイテンションに
「これはこうに違いない!」と結論付け、横尾さんに聞くと、
「分からない」とか「考えてない」とかいう返事が返ってくる。
そのギャップがまた横尾忠則という人物の魅力も伝えてくれて面白い。

横尾忠則の絵はそのモチーフのぐちゃぐちゃさもさることながら
色彩のぐちゃぐちゃさも素晴らしかったので、
一部でも良いから、カラーで載せて欲しかった。残念。

蜘蛛巣城とマクベス

2005-01-23 | 映画
蜘蛛巣城  黒沢明監督  日本  1957
マクベス  ウィリアム・シェイクスピア  新潮文庫

蜘蛛巣城はシェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代の置き換えたものだ。
武将鷲津は森で出逢った物の怪の予言と妻のそそのかしによって主を殺害し、自らが主となる。
主を殺害するあたりまではほぼシェイクスピアと同じようなストーリーだが、
ここから大きく違うところがある。

それは妻の行動。

マクベス夫人は王殺害に手を貸した後、わりとあっけなく精神狂乱に陥り自害する。
鷲津夫人(名前は聞き取れず)は、とことんふてぶてしい。
世継ぎがいない為、養子をとるといった鷲津に嫌だとごねたあげく「身籠りました」と。
母親の強さというのは全く...
(音が悪く良く聞き取れなかったので「身籠ります」とも聞こえた。そっちの方がもっと怖いが)

その後、この子供を死産。ここでようやくマクベス夫人にならって精神狂乱に陥る。
しかしこの精神狂乱も殺害への良心の呵責というよりも、
なぜ世継ぎが生めなかったのか、という悔しさがきっかけのように思える。
おそらくマクベス夫人よりも一枚も二枚も上手である。

鷲津夫人が夫をそそのかし主を殺させる夜のシーンが圧巻だ。
鷲津夫人の衣擦れの音、不吉な鴉の泣き声、針のような細い月。
暗闇に消え、またあらわれる鷲津夫人のぞっとする佇まい。
白黒の様式美に女の執念が浮かび上がる。

またラストで鷲津に雲霞のように矢が射られるシーンも凄い。
どうやって撮ったんだろう...

初めて黒沢映画を見たんだけれど、巨匠と言われているわけが分かった気がする。
見た事のあるようなシーンがいくつかあった。
他のドラマや映画にイメージなどが使われていて、
それを知らず知らずのうちに見ている為なのではないか、と思った。
つまりはそれだけオリジナルが凄いのだろうなあ。

今年の大河ドラマ

2005-01-23 | 雑記
「義経」を第三回目にして初めて見た。
そろそろタッキーがでるかなっていうのと、美輪様が出るらしい、というので。
蝦子さんの大蔵卿も見れた。
わりと普通に良い人そうでしたが。

美輪様が登場した時、さっき見たばかりの「蜘蛛巣城」のもののけかと思った。
演出が似てないか?武蔵の時と同じことにならないと良いけど。
もう一人もののけがいたな。あの人はなんであんなに怖いんだろう。
語りも怖く感じるくらいだ。白石加代子。

去年は日曜八時と言えば、テレビの前にかじりついていたけれど、今年は無理そう。
しみじみと三谷幸喜のすごさを噛み締めただけだった。
キャストもタッキー一人で香取慎吾と山本耕史と堺雅人と藤原竜也とオダギリジョーと中村勘太郎と佐藤浩市をカバーは出来ないし。
去年は本っ当に豪華だったもんなあ。
そういえば上戸彩は、てっきり静御前だと思ってたのに違うのね。

勝者の影には

2005-01-23 | 映画
エリザベス  シェカール・カプール監督  イギリス  1998

イングランドの女王エリザベス1世の半生を描いた作品。
16世紀のヨーロッパ情勢をいくらか知っていないとちょっときつい。
昔読んだ「7つの黄金郷」での知識がぎりぎりの私なので、途中、登場人物すら誰が誰だかわからなくなったりもした。
歴史ものはストーリーの流れと状況説明のバランスが難しい。

知性の勝る顔つきのケイト・ブランシェットがエリザベス女王を好演。
統一法を議会に通す時のシーンがなかなか良かった。
黒い服を着ている枢機卿たちの中でひときわ目立つ赤のドレス。
女である事を巧みに生かして切り返し、居並ぶ諸候を説得する。
前日までは不安で言うべき事を自室で何度も練習していたのが嘘のように。

「勝てば官軍」とは良く言ったもので、歴史はいつも勝者の味方だ。
弱小国だったイングランドをヨーロッパの列強にしたエリザベス女王の手腕、意思の力は確かに凄い。
その陰で敵とされ悪に仕立て上げられ歴史の流れに飲まれたものもいるだろう。
あまりにアホすぎる設定にされてしまったフランスの王子様が不憫でそんな事を考えてしまった。

デュシャン2

2005-01-22 | 美術
マルセル・デュシャンと20世紀美術  国立国際美術館

この展覧会を見に行ったのが2004年11月5日、本日が2005年1月22日。
2ヶ月以上も前の事を私が覚えていられるはずないのだけど、
一応覚え書きということで図録を見ながら記憶を辿る。

デュシャンと聞くと頭に思い浮かぶのが<泉>
男性用便器にサインをし<泉>と名付けたレディメイド作品。
私の知っているデュシャンに関する知識はこれぐらい。

会場に入ってすぐのところに二つの作品
吉村益信の<大ガラス>とトニー・クラッグの<スパイロジャイラ>。
この時点でこの二つがデュシャンとどう関係があるか、私にはさっぱりわからない。

<大ガラス>はその名の通り、大きなカラス。
黒々とした毛並みや嘴が良い感じ。カラス好きの私の心くすぐる作品。
この背中に乗ってみたいなあ、と想う。
ポーの詩となにか関係があるのだろうか。

<スパイロジャイラ>は螺旋状に巻き上がる鉄骨に緑や茶色や白のガラス瓶がついている作品。
コマが回転する事によって安定し倒れにくくなる事がジャイロ効果、だったと思うが、
スパイロジャイラとはスパイラルとジャイロを足した造語だろうか。
確かに円錐の形に巻き上がる鉄骨につけられたガラス瓶はこれ以外にない、という絶妙のバランスでもって取り付けられていて、不安定な印象は全くない。
そして何より美しかった。

展示の第1部はマルセル・デュシャンの回顧。

まずは画家としてのデュシャン。
これはキュビズムかな。
幾何学的に分割され再構築された絵は、じーっと眺めてもなかなかタイトルと対象が結びつかない。
どこら辺が<花嫁>?どこに<階段を降りる裸体>がいるのか?苦手な部類の絵だった。

次は<大ガラス>。観念と視覚的産物の結婚、とある。
ここに来て入り口のカラスがこの作品と関係があることが分かる。
ただのシャレ?という気もする。
デュシャンの<大ガラス>(<彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも>)は
ガラスに描かれた作品なのだけど、やっぱり何が独身者なのか、どこに花嫁がいるのか、さっぱりわからない。
ただ、どことなくセクシャルな印象はある。
この<大ガラス>はデュシャン本人が作ったものではなく、デュシャンが<大ガラス>の構想ノートを<グリーン・ボックス>として出版しており、それをもとにして作られたレプリカ、とのこと。
作家の技術の結晶としての作品ではなく観念そのものが作品となっているように思う。

そしてレディメイド。
既製品の工業製品を用いて作品としている。
私でも知っていた<泉>以外に、自転車の車輪、ショベル、帽子掛けなどがレディメイド作品に選ばれている。後、ヒゲを書かれたモナリザも。
瓶乾燥器という物もあって、ここで入り口の<スパイロジャイラ>とつながる。
デュシャンはレディメイドの選択基準を「視覚的無関心」に置き、趣味に左右されないように選んだと言う。
ここで、数年前に藤本由起夫さんが言っていた事を思い出す。
「デュシャンは視覚的無関心と言っているけれど、レディメイドとしてカッコよく見えるものを選んでいると思う」
当時は何の事かわからなかったが、今は少し分かると思う。
デュシャンによって選ばれた工業作品は皆、作品として光をあてられ、美しいものとして見える。

この後もデュシャンの晩年の作品や<遺作>が展示されていたが、あまり記憶にない。
ここまでのイメージの繰り返しやまとめだったような気がする。

第2部はデュシャン以降の芸術。
デュシャンの影響が見られる作品の展示だ。

デュシャンのイメージそのものが作品に埋め込まれているものもあれば、
一見デュシャンとの関わりがわからないものもある。
いずれにせよ、こうやって繋がっているんだなあ、というのが、とても面白い。

現代美術の父とも呼ばれるデュシャンの作品と
そのデュシャンが20世紀美術に多大に与えた影響を目の当たりにできる展示だった。