douce vie

現代アートを中心に、色々と考えた事とかを日々綴っています。主に関西の展覧会の感想なども書いております。

アーティストと職人

2005-01-30 | 映画
みんなのいえ  三谷幸喜監督 日本 2001年

若い夫婦のマイホーム建築をめぐる騒動のお話。

設計するインテリアデザイナーと大工の棟梁のぶつかり合いがとても面白い。
あくまでデザインにこだわり、フランク・ロイド・ライドの好んだ様式だとか、
アメリカでは一般的な様式だとか、何かとデザイン史を持ち出すインテリアデザイナーと
あくまで実用性、丈夫さにこだわり、和室とか大黒柱とか従来の日本家屋の伝統や
今まで現場でやってきたという経験を振りかざす大工の棟梁。
そこに、二人ので右往左往し、家主であるにも関わらず、
全く自分で決められない男(ココリコの田中直樹が熱演)がからみ、
とてもテンポよく、ユーモラス。

最後にはデザイナーと棟梁はお互いの職人気質を認めあい、わかり合うのだけれど、
このデザインにこだわり、アーティストであろうとするインテリアデザイナーが
すごく皮肉的に感じた。

特に印象的だったのは、バーでのシーン。
真田広之演じるこだわりバーテンダーが細部にこだわって何度もカクテルを作り直し、
客をいらいらさせているにも関わらず
「自分の問題ですから」と言って、ゆずらない。
これを見ていたインテリアデザイナーが何かに気付いた表情をする。
私は、ここで今まで自分がデザインにこだわりすぎて家主の事を考えてなかったという事に
気付くシーンだと思ったのだ。
しかし、インテリアデザイナーはあくまで自分を貫くべきだったんだ、と思ってしまう。
それこそがアーティストだ、という思いがあるのだろう。

しかしアーティスト=自分の思う通りに作品を作る人、というのは
非常に近代的な発想で、そもそも絵画も彫刻も建築も受注生産、というか
発注者あってのことだった。
近代になって、アーティストは自分の思い通りのものも発表するようになっているのだけど
建築はいまだに受注生産の分野だ。
やはり家というのは、他の芸術作品とは違って日常生活に何よりも密着している。
もちろん設計にこだわった家が生活を作り上げていくという事もあるだろうけれど、
やはり、使いやすさ、というものを考えなければならないものだ。

最近、建築家に住宅の設計を依頼するのが流行りみたいなのだけれど、
これは本当に住みやすい家が出来ているのか、疑問に思っている。
実際に、日常生活には支障があるような住宅も出来ているのではないかと思う。
それを「デザイン」だと押し付ける事は、エゴ以外の何ものでもない。

世の中「仕様」だとか「美しいものを作った」とか言えば良いというものではない。
あ、最後は映画とは違う話になってしまったかも。