douce vie

現代アートを中心に、色々と考えた事とかを日々綴っています。主に関西の展覧会の感想なども書いております。

寿初春大歌舞伎 松竹座 夜の部

2005-01-17 | 歌舞伎
<一條大蔵譚>
夜の一つめは時代物。
大河「義経」を意識しているのか、いないのか、源平の物語。
時は平家が驕りまくっている世。
公家の一條大蔵長成の妻となった常盤御前と源義朝の家臣だった吉岡鬼次郎幸胤とその妻お京は源氏の再興を目指す。
その事を平家側の人間に見つかるが、危機を救うのが一條大蔵長成。
実は一條大蔵長成は源氏の血をひくがそれを隠して阿呆のふりをしていたのだった。

阿呆と正気を行ったり来たりする大蔵卿が見どころ。鴈治郎の老獪さが良い感じだった。
私の中では「公家=まろ=アホ」という図式があるのだけど、何でだろ?
多分、武士とかと違って、金持ち喧嘩せずみたいな争わない穏やかさ、雅びを愛でる風流さ(他にする事もないしな)が、ぼーっとしているイメージを生むのだろう。
だからこそ、実は源氏の再興を願い、平家の滅亡を望む正気の部分との対比が際立って面白みが増す。

この演目は確か勘三郎の襲名公演でもやるはず。
もちろん大蔵卿が勘三郎だろう。見比べてみたいなあ。

<廓文章 吉田屋>
二つめは和事。和事中の和事。
傾城に入れ揚げて借金を抱え、勘当された若旦那伊左衛門と傾城夕霧とのじゃらじゃらとした恋愛もの。
最後には何故か勘当が解け、夕霧の身請け金も出してもらい、ハッピーエンド。

基本的に傾城買狂言は好き。
勘当されて落ちぶれて、まさに金も力もない色男に惹かれてしまう(あくまでも役柄だが)。
というか、こういう男に魅力をもたせるのが物語の力であり役者の力なんだろう。
落ちぶれてもなお失われない気概、夕霧が他に客をとったと拗ねる可愛さ。
それにしても、こんな男に店を継がせたら、確実に身代潰すぞ。
勘当されても全く懲りてないだろ、コイツ。

<幸助餅>
これはもともと喜劇として書かれたもので歌舞伎としてやるのは初めてみたいなのだが、世話物として違和感はなかった。
主役の幸助を藤山寛美が当たり役としてたらしい。
角力が大好きで贔屓の力士に入れ揚げたあげく身代を潰した大黒屋幸助と幸助が贔屓にした雷という力士の人情話。

喜劇だけあって、幸助やその家族は大変な状況であっても明るい話。
わかりやすいし、笑いも多くおこっていた。
そして最後に明かされる真相にはほろりとさせられる。
こういう世話物はあまり歌舞伎を見たって感じはしない為、可もなく不可もなく、というかその場が面白ければ良いかなって気がする。
能の狂言みたいなものだろうか。(ちょっと違う?)