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douce vie

現代アートを中心に、色々と考えた事とかを日々綴っています。主に関西の展覧会の感想なども書いております。

松井冬子展 世界中の子と友達になれる

2012-02-18 | 美術
どうやら私は選ばれなかった人間らしい。
年とともに繊細さは失われ、厚かましさが増長していく。
それならば、なるべく平穏に暮らしたい。
痛みや苦しみから逃れ、楽に生きられればいいじゃないか。
事実、どんなに悲しいニュースが流れようと、
世の中が不安に満ちあふれていようと、
私は平然と当たり前の毎日を過ごしている。

しかし、選ばれた人間がいる。
いつまでも繊細さを失わず、痛みや苦しみを過敏に感じ取り、
さらに、それを卓越したテクニックで人に伝えられる人間が。

松井冬子の作品を見ると、
痛み、苦しみ、不安、不条理、絶望、死への恐怖が、身のうちにじわりとあふれだす。
これが「視覚によって覚醒される痛覚」なのだろうか。

さて、大山崎

2009-03-22 | 美術
さて、大山崎 ~山口晃展 @アサヒビール大山崎山荘美術館

以前から気になりまくっていた山口晃の個展。
行かねば、と思いつつ、いつものごとく会期ギリギリ。
それでも行けて本当に良かった。
どこがどう、とかではなく、
何もかもがツボでした。

絵がずば抜けて上手いのはもちろん、
ユーモアかつシニカルな視点。
ご本人の作品ワンポイント解説も面白い。
とにかく一言でいうと軽妙洒脱。
いやいや、世の中、軽妙洒脱なものってめったにないから。
ほんとうに貴重です。山口晃。

壁面見立なんかも最高。
コンクリートの壁面のシミやひび割れを
むりくり何かに見立てて作品にしてしまうという。
安藤忠雄(*)もびっくりな作品。

なんとなく、哲学者の土屋賢二先生に近いものを感じる。
多分、エッセイとか書いてもすごく面白いと思うんだけどなー。

*:作品は安藤忠雄が設計した新館展示室の壁面コンクリート。

チャロー!インディア

2009-03-22 | 美術
チャロー!インディア インド美術の新時代 @森美術館

うっかり寄り道をしたまま、一ヶ月以上経ってました…

タイトル通り、インドの現代アートシーンを紹介した展覧会。
めずらしく音声ガイドを聞きながらの鑑賞でした。
全体的に色彩も明るくエネルギッシュで、
まだ見ぬインドへの憧れと怖れをかきたてる感じ。

ただ、経済大国へがんがんに突き進んでいるイメージとは
うらはらに、宗教、人種、制度などの多くの問題を孕み、
必ずしも前だけを向いてるわけじゃないんだな、と思った。
インドはどこに向かうのかしら…

そうそう、今回の27組のアーティスト全員、知らない。
わりといろいろと現代アートは見ているつもりでも、
偏ってるもんだなあ、と思いました。
どうやったって欧米中心になるのね。

オープン・スペース 2008

2009-02-11 | 美術
オープン・スペース2008 @NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)

ICCのギャラリーやラウンジに作品がある。ここは入場料無料。
これだけのものを無料で見せるって太っ腹な…

アートとテクノロジーが融合している作品を見て回り、
「来てるな、未来…」と思った。

一番良かったのが、「情報を降らせるインタフェース」
石田陽子+中茂睦裕+小林稔 NTTサイバーソリューション研究所。
両手をかざすと手のひらに二つの違う映像が映る。
片方の映像をもう片方の手に移すと、一つに合わさって違う映像に変わる。
言葉では説明しづらいのだけど、どんなテクノロジーなのかはさっぱりわからんが、
これがとても楽しく、また手のひらサイズなので愛おしい。

去年、SCAI THE BATHHOUSEで見たチェ・ウラム再び。
無機質な機械が有機的に動く様が良いなあ。

他も色々と面白いものがたくさんあって、わりと人も多かった。無料だしね。
時間が無くて、岩井俊雄の「TENORI-ON」が体験できなくて残念。

ライト・[イン]サイト

2009-02-11 | 美術
ライト・[イン]サイト 拡張する光、変容する知覚 @NTTインターコミュニケーション・センター

タイトル通り、光と知覚をテーマにした展覧会。

入ってまず、ナムジュン・パイクの「キャンドルテレビ」。
古いブラウン管テレビの中をくりぬいて、ろうそくを立てた作品。
ラッキーなことにろうそくが点灯する時間だった。
テレビの持つ機能をそっくり無くして、オブジェへと変換している。
多分、前にもどっかで見たな、これ。

次の部屋はインゴ・ギュンターの「サンキュウーインストュルメント」。
白い壁と床の薄暗い部屋に、時々ストロボが光る。
すると自分の影が床や壁に残る、という仕掛け。
これだけだと、色んな動きをして影を残すのが楽しい! で済むのだけれど、
広島の原爆投下時の瞬時に消えてしまった人が残したシルエット、
という発想がベースにあることを知ってしまうと、また違う心境に。
小学校のころから擦り込まれてきた原爆の怖さや、
中学のとき不眠症になりかけた原爆記念館の恐ろしさが甦り、長居は出来なかった。

あと印象に残っているのは、アンソニー・マッコールの「You and I, Horizontal」
暗い部屋の中で、ミストに光をあてることで、彫刻のようなものを作り出している。
少しずつ形を変える“彫刻”を触ろうと手を伸ばすと、光の被膜を身体がすり抜ける。
その感覚が楽しい。

藤本由紀夫の「PRINTED EYE<LIGHT>」。
光を網膜にあてて、“LIGHT”という文字を焼き付ける。
しばらく、どこを見ていても“LIGHT”が見えるという仕組み。
瞼を閉じても作品が消えない。

ミシャ・クバルの「space-speech-speed」は綺麗だったな。
プロジェクタから映し出されるspace、speech、speedという文字が
ミラーボールに反射して、部屋中をキラキラと回り続ける。

「光」という非物質的なものを、どういう風に「知覚」するのか。
そこに物質が無くても、存在するものについて考える展覧会だった。

原良介展

2009-02-03 | 美術
原良介展 @東京オペラシティアートギャラリー 4Fコリドール

オペラシティアートギャラリーが若手作家の育成・支援を目的として
行っている展覧会とのこと。

プロフィールなどを見る限り初めて見る作家なのだけど、なぜか初めての気がしない。
不思議な既視感のようなものがあった。

明るい色彩と大胆で面白い筆致。題材ものどかな感じ。
奇をてらわない素直な絵、な気がするのだけど、どこか違う。
なんだろ、この違和感。いやじゃないけど、と思ってリーフを見ると、
どうやらその理由が書かれている。

一つの絵の中に、異なる時間軸や次元が存在しているということなのね。
一見しただけじゃ、そこまではわからないけれど、
よく見ると、影がなかったり、同じ人物?と思われる人が3人描かれていたり。
とても面白かったので、覚えておこう。

ディーナー&ディーナー

2009-02-03 | 美術
都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み @東京オペラシティアートギャラリー

“窓からの眺めも、私の部屋の一部なのでしょうか?
  私たちの思い出も、建物や街並みの一部となっていくのでしょうか?”

というキャッチとモノクロームに近い程、色調を抑えた写真があまりにかっこ良く、
行ってはみたものの、私にはちょっと専門的すぎた…

ディーナー&ディーナー(ダイナー&ダイナーだと思ってたんだけど)の建築は、
現存する都市の一部であることにこだわりをみせていることが特徴。
各プロジェクトがいかに都市の歴史性や文化、生活に基づいて進められてたかということを、
模型やコンペ案、モックアップ、そして映像で紹介している展覧会。
どれを見ても専門的で、建築は美術と似ているようで違うんだよな、って改めて思いました。
ただ、建築の思想というか哲学な部分が、わからないなりにとても好きだ。

周辺の街並みを含めて同じ素材で作られた模型のどの部分がD&Dの建築なのか、
理解するまでに時間がかかる。
横にある平面図を確かめ、入り口でもらったガイドブックを読み、
時に背伸びをして(展示台が高かったため!)、考えるのは楽しくもあった。

コンペ案とかは読めないので、しっかりと理解できたわけではないのだけれど、
例えば、回りに建物がなくぽつんとたたずむ在独スイス大使館。
ドイツのベルリンにあるこの建物は、もともと周囲の建物と連続していたものだったのが、
第二次世界大戦時の空爆によって破壊され、一部しか残らなかった。
戦後あえて周辺に立て直さず、破壊を逃れた一部分を残す形で新しい建物と生まれ変わることで、
この街の歴史の証言者となっている、ということ。

最近、街の歴史というものを考えることがあって。
少し前のCOURRiERの記事で、新興国の都市開発について読んだため。
地球のあちこちで歴史的なレイヤーのない都市が増えているのだな、と思ったので、
こういったD&Dの建築の姿勢がとても興味深い。

建築と都市が相互干渉し、歴史を刻んでいくのが良いな。

ポワレとフォルチュニィ展 その2

2009-02-03 | 美術
ポワレとフォルチュニィ ー20世紀モードを変えた男たちー @東京都庭園美術館

なんで「その2」かと言うと、去年同じ名前の展覧会を神戸で見たから。(その時の記事
神戸ファッション美術館では副題が「コルセットをめぐる冒険」だったのだけど、
今回は、文字通りポワレとフォルチュニィという二人のデザイナーに焦点をあてたものだった。

ポワレのイスラムやオリエンタルのテイストを取り入れたドレスに、
フォルチュニィの古代ギリシャの衣装に着想を得た“デルフォス”ドレス。
どれも保存状態がよく、また今復刻されたとしても古さを感じないデザインだ。
そして、旧朝香宮邸の美しいアールデコ装飾に彩られた室内が、二人のドレスにぴったり。
夜会をイメージしたという展示空間デザインが成功している。

前回はコルセットを語る上でのポワレとフォルチュニィだったので、
西洋服飾史における女性の解放みたいなものにも思いめぐらせたが、
今回は、とくに何も考えずにただただ、綺麗でいいな、こんな服着たいな、で終わってしまった。

エモーショナル・ドローイング

2008-12-30 | 美術
エモーショナル・ドローイング 現代美術への視点 @京都国立近代美術館

アジア、中東の作家のドローイング作品を集めた展覧会。

ドローイングといってもアーティストによってその表現は様々で、
そしてどうやら目的もバラバラなものを集めている印象。

作品として見られることを意識していなさそうなものもあれば、
発表することを前提として作られているものもあり、
ちょっと展示としてどうなのかな、と首を傾げたくなった。

作品の完成度を求めるよりは、感情の発露を見ろということかもしれないが、
そのレベルが作家によってあまりにもバラツキがあるので、
全体としては、なんだかよくわからない感じ。

まあ、坂上チユキの作品が見られたので、それだけで満足。

アジアとヨーロッパの肖像

2008-12-29 | 美術
アジアとヨーロッパの肖像 SELF and OTHER @国際美術館

アジアとヨーロッパがそれぞれ、自ら(SELF)をとお互い(OTHER)をどのように捉えていたのか、
というテーマのもとに作品を構成した展覧会。

近代までは、なんとなく西洋中心的なものを感じたし、
テーマがはっきりしているので、牽強付会?って思わないこともなかったけれど、
展覧会の流れは、とても面白かった。
やっぱり人間って見知らぬものに対する警戒心とかは共通なのだな、と。
それでも、いずれはそれを受け入れ、取り入れて行くものなのだな、と。

現代においての自己と他者はもうアジアやヨーロッパのくくりではなくなるところも
興味深いですなー。
現代は、自己を確立するための帰属感が薄いということなのかな。
拠り所というか立ち位置が定まらんと、他者も定義しづらそうだ。

見てから時間が経ち過ぎて、色々忘れてしまいました。