douce vie

現代アートを中心に、色々と考えた事とかを日々綴っています。主に関西の展覧会の感想なども書いております。

デュシャン2

2005-01-22 | 美術
マルセル・デュシャンと20世紀美術  国立国際美術館

この展覧会を見に行ったのが2004年11月5日、本日が2005年1月22日。
2ヶ月以上も前の事を私が覚えていられるはずないのだけど、
一応覚え書きということで図録を見ながら記憶を辿る。

デュシャンと聞くと頭に思い浮かぶのが<泉>
男性用便器にサインをし<泉>と名付けたレディメイド作品。
私の知っているデュシャンに関する知識はこれぐらい。

会場に入ってすぐのところに二つの作品
吉村益信の<大ガラス>とトニー・クラッグの<スパイロジャイラ>。
この時点でこの二つがデュシャンとどう関係があるか、私にはさっぱりわからない。

<大ガラス>はその名の通り、大きなカラス。
黒々とした毛並みや嘴が良い感じ。カラス好きの私の心くすぐる作品。
この背中に乗ってみたいなあ、と想う。
ポーの詩となにか関係があるのだろうか。

<スパイロジャイラ>は螺旋状に巻き上がる鉄骨に緑や茶色や白のガラス瓶がついている作品。
コマが回転する事によって安定し倒れにくくなる事がジャイロ効果、だったと思うが、
スパイロジャイラとはスパイラルとジャイロを足した造語だろうか。
確かに円錐の形に巻き上がる鉄骨につけられたガラス瓶はこれ以外にない、という絶妙のバランスでもって取り付けられていて、不安定な印象は全くない。
そして何より美しかった。

展示の第1部はマルセル・デュシャンの回顧。

まずは画家としてのデュシャン。
これはキュビズムかな。
幾何学的に分割され再構築された絵は、じーっと眺めてもなかなかタイトルと対象が結びつかない。
どこら辺が<花嫁>?どこに<階段を降りる裸体>がいるのか?苦手な部類の絵だった。

次は<大ガラス>。観念と視覚的産物の結婚、とある。
ここに来て入り口のカラスがこの作品と関係があることが分かる。
ただのシャレ?という気もする。
デュシャンの<大ガラス>(<彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも>)は
ガラスに描かれた作品なのだけど、やっぱり何が独身者なのか、どこに花嫁がいるのか、さっぱりわからない。
ただ、どことなくセクシャルな印象はある。
この<大ガラス>はデュシャン本人が作ったものではなく、デュシャンが<大ガラス>の構想ノートを<グリーン・ボックス>として出版しており、それをもとにして作られたレプリカ、とのこと。
作家の技術の結晶としての作品ではなく観念そのものが作品となっているように思う。

そしてレディメイド。
既製品の工業製品を用いて作品としている。
私でも知っていた<泉>以外に、自転車の車輪、ショベル、帽子掛けなどがレディメイド作品に選ばれている。後、ヒゲを書かれたモナリザも。
瓶乾燥器という物もあって、ここで入り口の<スパイロジャイラ>とつながる。
デュシャンはレディメイドの選択基準を「視覚的無関心」に置き、趣味に左右されないように選んだと言う。
ここで、数年前に藤本由起夫さんが言っていた事を思い出す。
「デュシャンは視覚的無関心と言っているけれど、レディメイドとしてカッコよく見えるものを選んでいると思う」
当時は何の事かわからなかったが、今は少し分かると思う。
デュシャンによって選ばれた工業作品は皆、作品として光をあてられ、美しいものとして見える。

この後もデュシャンの晩年の作品や<遺作>が展示されていたが、あまり記憶にない。
ここまでのイメージの繰り返しやまとめだったような気がする。

第2部はデュシャン以降の芸術。
デュシャンの影響が見られる作品の展示だ。

デュシャンのイメージそのものが作品に埋め込まれているものもあれば、
一見デュシャンとの関わりがわからないものもある。
いずれにせよ、こうやって繋がっているんだなあ、というのが、とても面白い。

現代美術の父とも呼ばれるデュシャンの作品と
そのデュシャンが20世紀美術に多大に与えた影響を目の当たりにできる展示だった。

蜜の罪

2005-01-22 | 
甘い蜜の部屋  森茉莉著  ちくま文庫

宝石を見つけた。
それはモイラが大事にしていたような金剛石(ダイヤモンド)の様な透明なキラキラした石ではない。
もっと暗く鈍く光るような石だ。
私はひどく気に入り、モイラのようにハンドバックにしまい、さらにマッフに入れておきたいと思う。

こんな訳の分からない事を考えてしまう程に、とにかくこの小説に圧倒された。
父親と娘の恋愛のような愛情の話、と言ってしまえば簡単だけど、
この親子といったら、もうとにかく凄い。

男たちを魔性の瞳と、無意識の媚態と、極上の皮膚で次々と絡めとり、苦悩の底につきおとしながら、まったく罪の意識はなく、子供のままでいるモイラ。
そしてモイラと男たちの全てを把握し、見守り、モイラには自分しかいないのだと微笑い続ける父、林作。
二人が棲むのが甘い蜜の部屋。
そこには罪など存在しない。
ただ、舐めても尽きぬ甘い蜜の壷があるのみ。