絶滅危惧種「トゲソ」観察会の案内状に、磐越西線猿和田駅近くの坂田家にカミさんと出かけてきました。
その昔、子供の頃に裏の川で沢山つかまえた「イトヨ(糸魚)」思い出しました。
カラ揚げにして食べたもんです。
その川も埋められて宅地になっています。
NPO五泉トゲソの会は、イバラトミヨ(地元でトゲソという)の保護活動を続けています。
トゲソはイトヨと同じトゲウオの仲間で、水温の低い湧水池や小川の綺麗な淡水に生息します。
なんと、オスが作った水草の巣にメスが産卵したあとオスは食べ物も取らずひたすら卵に新鮮な水を送り巣を守るのです。
開発による湧き水の減少や生活排水など環境の悪化でいまや絶滅が危惧されているんだそうです。
五泉市ではこのトゲソを湧き水のシンボルとする保全活動が市民により活発に行われています。
2008年に「湧水保全フォーラム全国大会inごせん」が開催され、秋篠宮がここでトゲソを見たのです。ゴム長履いて・・
同じ絶滅危惧種でも「トキ」と「トゲソ」の待遇の違いは何なんでしょう?
今年の夏のクジラ汁はどーなるんだろう?と考える私にトゲソを守れ!の資格があるのかと自問してしまいます。
湧水の近く、NPO五泉トゲソの会が事務所を置く「坂田家」は幕末文政から慶応4年(1868)まで沼津藩の飛び地で1万1千石の領地で庄屋を務めた名家です。
第18回を数えるトゲソ観察会に合わせて坂田家一般公開があり、新大教授の岡村先生による坂田家所蔵品の講演会がありました。
数ある所蔵品を前に、坂田家第五代東木書付や、憲政の神様尾崎咢堂の書からは新潟新聞の主筆をしていた話、富岡鉄斎の南画と賛文など書画好きにはたまらん講演だったのでしょうが、残念私の感性は遥か届かない逸品ぞろいでした。
知ってる名前、幕末の日本が生んだ最高の知識人佐久間象山の書が2点。
うち1点は若書ニ行書と解説に。
小林虎三郎の年譜を見ると天保9年(1838)閏4月佐久間象山越後に北遊、新潟で新潟町奉行であった父、小林又兵衛と出会うとあります。
象山門下の二虎とは吉田松陰(寅次郎)と米百俵のあの小林虎三郎のことですが、文化8年(1811)生まれの象山は若くして新潟に来た折、五泉の坂田家に立ち寄ってこれを書いたのでしょうか?
写真右端の軸に象山とあります。
去年の三月に鷲さんと歩いた高瀬川沿いの象山受難碑。
八重の桜で馬上の奥田瑛二が鮮明に蘇ります。なんとそっくりな配役。
裏庭周りに咲くいちめんのムラサキケマン(紫華鬘)。
秋篠宮にトゲソで随行説明する坂田家子孫の写真と、佐久間象山の奥田瑛ニが印象的な五泉の一日でした。
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熊谷市ムサシトミヨ保護センターへもどうぞ。
「ミナミトミヨ」EX絶滅
「ムサシトミヨ」CR絶滅危惧ⅠA類
「エゾトミヨ」VU絶滅危惧Ⅱ類
とあり、トミヨ、キタノトミヨ(イバラトミヨ)の指定はありません。
どちらも新潟県レッドリストの絶滅危惧種Ⅰ類CR+ENランク指定でした。
J1とJ2の違いでしょうか?
昔の人がどんな交流があったのか、その背景を考えるとおもしろいですね。
お二人でお出かけ頂き感謝!感謝!
土蔵にはまだお宝いっぱいなのでしょう。
TVも写真も無い時代。
南画に賛文、箱書きは最高の意思表示だったんですね。
それにしてもその軸を読めないなんて、情けない日本人です。