南京豆の花を初めて見た。ミツバチが離れようとしない。
きのうは久しぶりの青空。カミさんに「もうウチのイモも大きくなった?買わなくてもいい?」って言われて地面が乾いてきた昼頃にジャガ芋試し掘りに出かけた。5月末に退院してから植えた南京豆が芽を出して黄色い花が咲いていた。「4月になったら植えるんだよ」ってもらったタネ。2か月遅れだけど花が咲いて受粉するとめしべが伸びて地面に突き刺さり(落花生)地中に潜って(じもぐり)豆に育つのを早く見たいな。楽しみにしている。
「僅かに出た南京豆の芽が豆をかぶったままで鉢の中に五つばかり並んで居る。混沌。(五月三十一日)」:墨汁一滴 食いしん坊子規の南京豆。
田舎暮らしをしているけど南京豆って初めて植えてみた。エッ、これって土の中に出来るの?ってのは、皮ナシのピーナッツを食べてる都会に暮らす人の言葉なんだろうな。いまどこにでもある民俗資料館。むかしの田舎には食糧生産の道具、生活の道具が何でもあった。資料館に残された、動力のない時代の道具の数々を見ると百姓や漁民の果てしない苦労を想像してしまう。
いま新潟日報連載、伊集院静の新説忠臣蔵「いとまの雪」はついに松の大廊下で刃傷。「赤穂藩上屋敷は大混乱に陥っていた。・・・江戸と赤穂の距離は、百五十五里(約六百二十キロメートル)。参勤交代なら十七日の旅程だが、早駕籠は五日ないし六日で駆け抜けた。・・・赤穂への第一報となる早駕籠が鉄砲洲の上屋敷を出たのは、未の下刻(午後三時半)であった。・・」 情報が伝わるのに人が口で手紙で知らせる時代。今なら瞬時に映像付きで伝わり、、資源・エネルギーの飽食は快適便利の代償に地球環境を滅ぼそうとするほど進んだ時代。そのころ自分は間違いなく生きていない50年後の温暖化した地球を想像できる出来るだろうか?
人力の手間辛さ苦痛を嫌って人は完成品、結果だけを求める。入院生活中の食事に出た魚にはなんと骨がなかった。中でも不思議はカレイの切り身。まんなかの骨がないのは一度は三枚におろして表裏をくっつけたって言うことか?人件費の安いタイの工場で、トゲぬき持ってタイの切り身と格闘している女性たちが頭に浮かんでしまう。
子規が親友夏目漱石を、まだ近所に早苗の田んぼが残る牛込の自宅をたづねた時、「この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかったといふ事である。・・・もし都の人が一匹の人間にならうといふのはどうしても一度は鄙住居をせねばならぬ。(五月三十日)」 四国の田舎から上京した子規は都会に育った漱石とのギャップに驚き、都会人に鄙住居(ひなずまい)=田舎暮らしをすべきと「墨汁一滴」の中で言っている。
この地、「越の国原渺茫と 瑞穂の波の寄るところ・・(相馬御風)」と限りなく水田が広がる西蒲原。近くにコンビニない田舎でも感染者は出ていない。コロナ禍のいま、鄙住まいの良さを実感している。
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