和納中37年入学

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岩室温泉街そぞろ歩き その2

2011-12-10 14:15:17 | 日記
10月から始まった公民館の「岩室温泉を歩く会」(正式名称は知らない:ガイド養成(要請?)講座とか?)にくっついて、温泉街はずれにある「無匠庵」を訪問。
能面師、吉川花意氏の工房、アトリエ?だ。

三味線の音が聞こえて来るような家の造り。
「三味線の手と太鼓を工夫して今の岩室甚句を昭和の初めにつくった鶯芸者、小竜(こりゅう)さん(新潟市文化政策課ホームページ)」の住まいを居抜で求めたと伺った。
黒塀に松。
春日八郎の「お富さん」を思い出すのは私の世代以上だけか?
「 ♪ 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん エーサオー 玄冶店」
昭和を生きた人は皆、春日八郎とお富さんを知っている。
しかし、歌詞をわかる(歌える、ではなく歌舞伎か落語のどちらかで歌詞から場面?を思い浮かべられる)人は還暦過ぎの人だろう。
歌詞は玄冶店(げんやだな)だが、歌舞伎源氏店妾宅の場より片岡仁佐衛門の与三郎に、坂東玉三郎のお富 の台詞(せりふ)はこうだ。

与三郎 「え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさ、お富。久しぶりだなぁ~。」
お 富  「そういうお前は。」
与三郎 「与三郎だ。」
お 富  「えぇっ。」
与三郎 「おぬしぁ、おれを見忘れたか。」

歌舞伎座で玉三郎のお富を見たいものです。


玄関をくぐると、・・・・・んっ? ちょっと違う。
粋ってこういうこと?

花意氏は所用で新潟のお宅に帰り、奥様とばあ様が一行を出迎えてくれた。
よろぶちの炭火を火吹き竹で起こす奥様。
わらで編んで、吊るして乾かしたゴマと豆のかたもちは炭火焼きでカリカリだ。
市販のせんべいとは、もちに添加物するかで決定的にちがう。自然なのだ。

下越だけの方言のようだが「よろぶち」はすっかり見なくなった。寄縁、四炉縁からの変化とされる。
良寛も訪れたという250年の歴史の島屋のロビーには「よろぶちの間」がある。米、味噌貯蔵庫だった「蔵の間」での食事や、ヒノキ造りの風呂も歴史を感じ趣き深い。
うちの娘は中学校の職場体験授業でヒノキの風呂磨き掃除をさせてもらった。
今は閉めた綿々亭綿屋でも、よろぶちでご主人のお茶とかたもちの接待が懐かしい。

吉川氏が主宰する能面教室・面怡会(めんいかい)は毎年県民会館で展示会を開いている。
今年の案内はがき。昭和62年からじきに25年だ。


今年の2月、新潟市の砂丘館で特別展示「吉川花意の能面」が催された。
『新潟で能面を「打ち」続けて24年になる吉川花意さんは、砂丘館のすぐ近くにお住まいです。吉川さんの見事な能面の数々を紹介します。
 舞台とは違った距離で見る能面から、幽玄の世界と言われる能の、魅力の秘密の一端を発見していただければ幸いです。』 砂丘館ホームページから引用

「巻タリアンニュース」第34号
『吉川は初対面の人から時折名前の由来を聞かれるが「花意の花は世阿弥の風姿花伝」からとったと答え、また「花意の意の文字は音の心、立つ日の心と書くことから好きな字のひとつで、面に音を吹き込み、舞う為の心を打っている」と答えるそうである。
世阿弥の能楽論書・十六部集には花鏡や至花道など「花」に纏わる書が多く見られ、これにあやかって自分で命名した高位な名前で、自らに負荷を与えるように作品の制作に励んでいる。』「巻タリアンニュース」第34号

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
「花と、面白きと 珍しきと、これ三つは同じ心なり」 風姿花伝:世阿弥

芸術は奥深い。
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