mieのひとりごと。

生きていく。

重い話。

2014年06月20日 00時56分48秒 | Weblog
父の通院に付き添うために静岡にきました。少し早く着いたので昔友達とよく行った喫茶店、
カフェじゃないです。
昔はしゃるまん…でした。
今はLouisianamama。イタリアンレストラン。
上の牧之原公園。良い景色です。
お天気が良ければ富士山が見えるけど今日は見えません。
大井川とお茶畑と鉄橋と富士山。
静岡らしい風景。
ここからは夜景もキレイで昔付き合ってた銀行員と2人でご飯食べながら夜景見てた。なんで別れたんだっけ?忘れた。

実家ついて地獄が待ってた。
ピカピカにしたはずの家が二週間余りでまたゴミ屋敷化してた。
まずはトイレから。誰にも見せられない。ほんと、凄い。
テーブルもコタツの上も板が見えません。広告やら書類やら領収書、レシートの山。掃除しなくてもいいから散らかすな!なんでこうなの!
床に衣類が脱ぎっぱなし。新聞も広げたまま。
片付けて掃除機かけて布モップで拭きまくり。
はぁ疲れた。

しかも大ゲンカ。このケンカの理由は言えません。
父が私に死んでくれ!と言った。
これには私も呆然。
ほんとに変わった人です。

私は結婚してから夫の両親を看て、ただ働いて子育てして
子どもたちが成人するまで頑張った。
なのに、父は今、私の人生を全否定。

夫が早死にしたのも私のせい。
亡くなってからも私を労う言葉は
一度もなく、ただ責めます。
私が体を壊したら、贅沢なものばかり食ってるからとか、夫や子どもが病気になれば作るものが悪い。お前がバカだからとしか言いません。

昔から母と私と兄は愛されてないと思ってた。なんで離婚しないのかわからなかった。
孫は可愛がりますが
孫の仕事にまで口を出す。
もっといい所へ就職できたはずだとか。

私と娘たちは夫の稼ぎは使わず私のパート代と
娘たちのバイト代と奨学金で大学を卒業し、自分が望む仕事に就いた。
私は立派な仕事に就いた娘たちが誇らしいです。

実は今でも父とうまくいってないのです。
確執はさらに続いている。
今までよりひどいかもしれない。
他人には優しくいい人。
厳しいのではない。
私が気にくわないらしい。

母親はほんとに苦労してきた。
そんな父から暴言、罵倒、暴力を受けて
かわいそうだった。
幸せにしてあげたかった。
今は認知症だけど
私が行くといつも、みんな優しいよ、嬉しいよ
と何度も繰り返します。
父は兄にも私にも手を上げた。
昔、数学で2を取ったとき、平手で叩かれた。やっぱりバカだ!
頭が悪いのは治らん!とか。
私は高校卒業してから東京へ逃げた。
事務職に就いた。
私は結婚できないだろうな。
結婚が幸せとは思えない。と、ずっと思ってた。職場の人に付き合ってと言われても結婚生活を想像すると怖かった。

父は働き者で家族にはひどい事しても
人には優しい。親切。
朝早くから暗くなるまでよく働く。
そこは認める。凄いと思う。

何があってもどんな親でも私が親の面倒をみるしかない。

ゴミ屋敷でも、散らかった部屋でも
トイレが汚くても、まないた、スポンジがカビだらけでも
それが正しい。
掃除する、除菌、漂白する私がバカヤローなのだから。どうにもなりません。

私は自分がやってきた事は間違ってない。頑張ってきたと思う。
間違ったと思うのは、母と兄を置いて遠くに行ったこと。

結婚して子育て義両親の介護で忙しい中でも母の事が気がかりでした。
なかなか帰れなくても
大丈夫だよ。お父さん、働き者だから
私も頑張るよといつも言ってた。
その頃は足を引きずりながらお茶や田んぼを頑張ってた。
ごめんね、お母さん。
今は幸せだよね。冬は暖かく夏は涼しいお家でみんなに優しくしてもらって。
担当者の方が、○○さんは一番癒やしてくれますよ。と話してくれました。
笑顔がかわいいんです。
母を思うと涙が出ます。

娘たちは今までつらかったからこれから
いい事が待ってると言います。
二人がいてくれて、ほんとに良かった。
つらいこともあるのにこんな母を支えてくれて。感謝です。

朝、サッカー観なきゃ。
父の様子を見てなるべく早く帰ります。
明日はお母さんの所にいって手を握ってもらおう。
そして私はごめんね。と、何回も言おう。今からでも母と兄と3人で暮らしたい。もうできないけど。