かで&ぐりこの IKI IKI TRIP!!!

☆2014IKIIKI幼稚園建設1000縁プロジェクト始動☆

world clock

ひめゆり学徒。

2009-06-06 08:51:19 | 沖縄
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へにほんブログ村←ポチッとね



沖縄に来て二週間ちょっとがたった☆彡


知れば知るほど、好きになれば好きになるほど沖縄という国の深さに惹かれて行く今の心境!!



そんな沖縄を知りたい今どうしても行きたかった



『ひめゆりの搭』



に今日行ってきました!



今日は地元の幼なじみのタラ&ポッポンが沖縄に来てくれて合流してからひめゆりの搭目指して出発(^O)=3



やっぱ地元仲間は落ち着くし楽しいもので、車の中ではワイワイ笑える時間がありながら、沖縄の歴史について話せることを話したりもしていた。



着いて歩いて行くとすぐにひめゆり学徒や目の前にあるこのガマ(防空豪)で亡くなった人達の慰霊碑があり、ガマは思っていたよりも深さがあって約60数年前この場所で戦争があった当時の事を考えさせられる場所だった。



『ひめゆり学徒』



恥ずかしながらオレは沖縄に来てから知った。


ウィキペディア参照↓↓
ひめゆり看護学校を卒業して、生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は沖縄陸軍病院の看護要員として動員された(ただし、強制ではなく志願)。しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。その内の14人は荒崎海岸で「集団自決」をしている(自決の強制性については論争あり。当該項目を参照)。
戦後、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔であるひめゆりの塔が建立された。




資料館では沖縄戦争当時、戦争で傷ついた兵士達の手当て(たいした器材もない時代に蛆のわいた傷口から蛆をとったり、動かなくなった腕や足を切断、止血したり…)やご飯を作っては砲弾や銃弾の飛び交う間を抜けていろんなガマへ届けに行ったり…



の看護をしていた様子。ガマの中では怒号や悲鳴、糞尿や嘔吐物の匂い、蛆の這う音なとが響いていたという(´Д`)



今は目の前の通りではパロディーのTシャツやお土産が売っていたりして…同じ国の同じ場所に戦争が起きていたというそれだけで、こうも違うものか…



すごく戦争という愚かな出来事を考えさせられた時間だった。



歴史を知り、その上で今の時代個人個人に出来ること。



それはやっぱり『戦争は嫌だ』と言い続ける事が大切なのかもしれない。





世界一周ブログランキング参加しています一日一回ポチッとよろしくで~す♪♪


にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へにほんブログ村←ポチッとね