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ベック式!難単語暗記法ブログ

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連歌

2018-10-14 | 入試問題+ゴロ合わせ

基く送信 山犬は。

二条良基(にじょうよしもと)・菟玖波集(つくばしゅう)
宗祇(そうぎ))(新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)(山崎宗鑑(やまざきそうかん))犬筑波集(いぬつくばしゅう)・


[ポイント]

1.連歌二条良基(菟玖波集)に始まり、宗祇新撰菟玖波集水無瀬三吟百韻)を経て、山崎宗鑑犬筑波集)へ伝わった。

[解説]

1.二条良基(1320~1388)は、歌人であり連歌の大成者。南北朝時代の北朝4代の天皇の摂政・関白を務めた。句集『菟玖波集』を撰し、作法書『応安新式』を制定して、連歌の方式と地位を確立。

2.宗祇(1421~1502)は、正風連歌を確立。古典に通じ、東常縁(とうのつねより)より古今伝授を受けた。後半生を旅に過ごし旅中に没したため、西行・芭蕉と並び称される。和歌の余技として発達した連歌を、芸術的なものに高めたので正風連歌という。撰した『水無瀬三吟百韻』(1488成立)は、後鳥羽上皇を祀(まつ)る水無瀬宮(摂津)で、宗祇・肖柏・宗長の師弟3人が詠んだ連歌百句のこと。『新撰菟玖波集』(1495成立)は、宗祇が正風連歌のみを集めた連歌集で勅撰に準じられた


3.山崎宗鑑(1465~1553)は、従来の連歌に滑稽味を加えた俳諧連歌の祖。これを略称して俳諧になった。江戸時代の松永貞徳へと連なる。『犬筑波集』が、その俳諧連歌集。

〈2014慶大・文

問5 下線dの高山宗砌(そうぜい)は連歌の名手で、同じ和歌会に参加した幕府直臣の杉原賢盛や政所代という要職にあった蜷川智蘊らとともに連歌七賢と称された。彼らの連歌を収録した1495年成立の准勅撰連歌集の書名を記しなさい。

(答:新撰菟玖波集)

 

●室町時代(後土御門天皇 足利義澄)

 1495年       宗祇   『新撰菟玖波集』            

Sōgi begins compilation of the renga collection Shinsen-Tsukubashu.

意欲込めそう 親切は。 

 1495年       宗祇   『新撰菟玖波集』                                   

                                   正風連歌


〈2015立命館大・全学部

 連歌師の[ F ]が弟子たちと詠んだ『水無瀬三吟百韻』の冒頭部分は、

(発句)雪ながら山本かすむタベかな [F]


(脇句)行く水とほく梅にほふさと   肖柏


(第三句)川風に一むら柳春見えて  宗長


となっている。室町時代の文化には、人と人とのつながりを大切にし、集団で楽しむ精神が満ちあふれていた。


問 空欄[ F ]にあてはまる、もっとも適当な人名を答えよ。」


(答:宗祇)〉

〈2013早大・文化構想学部

 室町時代には、有職故実・注釈研究がいよいよ盛んになり、b一条兼良らが活躍した。応仁の乱で室町幕府が衰退し、京都が一時荒廃するなど、中央への求心力が減退すると、貴族や僧侶等のなかには、地方へ赴く者も現れた。彼らによって、c戦国時代には学問やさまざまな文化が地方にもたらされることとなった

問5 下線cに関連して述べた文のうち正しいものはどれか。1つ選べ。


 ア 大内氏の城下町である萩には、雪舟など多くの文化人が集まった。

 イ 桂庵玄樹は、朱子の『大学章句』を土佐で刊行した。
 ウ 南村梅軒は吉良氏に招かれて儒学を講じ、薩南学派の祖となった。
 エ 下野国の足利学校は、宣教師によって「坂東の大学」としてヨーロッパに紹介された。
 オ 連歌を地方に広めた山崎宗鑑は、弟子とともに『水無瀬三吟百韻』を詠んだ。」

(答:エ ※ア×萩ではなく山口、イ×薩摩で刊行、ウ×土佐南学の祖、オ×『水無瀬三吟百韻』は宗祇〈ギ〉)


室町文化(水墨画家)

2018-10-14 | Weblog

モカ見んじょ終節。

庵(もくあん)・翁(かおう))(兆(みんちょう)・拙(じょせつ)・文(しゅうぶん))(舟(せっしゅう))



[ポイント]

1.水墨画は黙庵可翁明兆如拙周文と続き雪舟が大成した。

[解説]

1.黙庵(生没年不詳)は、南北朝時代の画僧。元に留学し彼の地で没した最初の水墨画家。

2.可翁(生没年不詳)は、南北朝時代の画僧。伝記も不詳。代表作は『寒山図』。


3.明兆(1352~1431)は、東福寺の画僧で室町絵画の先駆者。


4.如拙(生没年不詳)は、相国寺(しょうこくじ)の禅僧。『瓢鮎図(ひょうねんず)』(ツルツル丸い瓢箪(ひょうたん)でヌルヌルのナマズを捕るという禅宗的な世界感を描く)で知られる。なお「鮎」は国字では「アユ」だが、中国では「ナマズ」を意味している。


5.周文(生没年不詳)は、相国寺の画僧。『寒山拾得図(かんざんじっとくず)』で知られる。奇行で知られる唐代の僧、寒山と拾得は、俗世からの超越しているところが好まれ禅宗の好画題となった。


6.雪舟(1420~1502?)は、相国寺の画僧で周文に学ぶ。勘合貿易の覇権を握る大内氏の庇護をうけ周防に移り、明に留学。その後、諸国をまわり日本の水墨画を大成。『四季山水図巻(しきさんすいずかん)』(『山水長巻(さんすいちょうかん)』)・『天橋立図(あまのはしだてず)』が代表作。

〈2016早大・社会科学

 室町時代の文化は後世に大きな足跡を残した。日明貿易が拡大するなかで、美術は中国大陸の影響を受けた。例えば、画僧として知られる[ B ]は宋元画に学び、「瓢鮎図」を描いた。

問7[ B ]に該当する人物は誰か。1人選べ。

 イ明兆 ロ如拙
 ハ周文 ニ黙庵
 ホ可翁」

(答:ロ)

1409年 如拙「瓢鮎図」。

石置く除雪 「瓢鮎図」。

1409年 如拙「瓢鮎図」

〈2015立命館大・全学部

 禅の精神を具体化した水墨画でも、『[ K ]』で有名な雪舟が出て、禅画の制約を乗り越えた日本的な様式を生み出した。

問 空欄[ K ]にあてはまる作品として、もっとも適当なものを下から一つ選べ。


 あ瓢鮎図  い天橋立図

 う大仙院花鳥図 え山水図屏風」

(答:い)〉

〈2014明大・法(法律):「
 足利義満の時代には、北山文化が花関いた。この時代には、中国からの渡来僧や中国帰りの留学僧により、禅の精神を具体化した水墨画や庭園様式などが伝えられ、すぐれた作品が生み出された。当時の水墨画の代表的な作品としては、[ 9 ]によって描かれた妙心寺退蔵院の『瓢鮎図』があり、庭園の代表作としては、[ 10 ]がある。

〔語群〕        

 A大鏡 
 
B醍醐寺三宝院庭園
 
C如拙 D雪舟 
 E周文 
 F大徳寺大仙院庭園     
 G鹿苑寺庭園
 H太平記 I
増鏡
 J梅松論 
K明兆
 L竜安寺庭園」


(答:9C,10G)〉       

〈2013明治大学・商:「
 この時期の水墨画では雪舟が著名である。雪舟は相国寺の画僧で[ お ](生没年不詳)の弟子であり、明から帰国後に諸国をめぐり、日本の自然を描き、水墨山水画を極めた。」

(答:周文)〉