意志薄弱で 銀閣寺。
1489年・書院造(上層)禅宗様 銀閣寺
[ポイント]
1.銀閣寺は、1489年建設の上層が書院造下層は禅宗様の銀閣と、東求堂からなる。
[解説]
1.8代足利義政が、義尚に将軍職を譲ったのち、1482年、京都に東山山荘(東山殿)の造営を開始、そこに義満にならって、1489年、銀閣を建てた。ちょうど応仁の乱が終わった直後で経済が疲弊していた時期。いくつかの建物群から構成されていたが、現存する当時の建物は銀閣と持仏堂(仏像を安置しておく建物)の東求堂(とうぐどう)のみ。義政が死去したのち、かれを弔うため禅寺にかえられ慈照寺と命名された。銀閣と通称されるが実際には銀箔を使用していない。東求堂内の東北に位置する4畳半の書斎が、義政の書斎同仁斎で書院造の源流とされる。
〈2016早大・社会科学
室町時代の文化は後世に大きな足跡を残した。(中略)また、禅の精神を反映した(6)この時代の建築や庭園には、後世、日本文化の精髄と称される要素が数多く組み込まれている。
問8 下線部(6)に関する記述として、不適切なものはどれか、2つ選べ。
イ 鹿苑寺金閣……現在の金閣は太平洋戦争後再建されたものである。
ロ 慈照寺銀閣……銀閣は三層の楼閣である。
ハ 慈照寺東求堂同仁斎……典型的な書院造として知られる。
ニ 天龍寺庭園……苔寺の異称をもつ回遊式庭園である。
ホ 大徳寺大仙院庭園……枯山水の代表的な庭園といわれる。
(答:ロ・ニ ※ロ×二層である、ニ苔寺は西芳寺の異称)〉
〈2014明大・農(食料環境政策)
問9 下線部キ)都市や村の祭礼、芸能、住宅建築などで現在の日本の生活様式に直接つながる文化に関連して、今日の和風建築につながる書院造の代表的建築で、8代将軍足利義政の書斎としてもうけられたものを何というか。下記から最も適切なものを一つ選べ。
A興福寺五重塔
B苔寺庭園
C東求堂同仁斎
D竜安寺石庭
E鹿苑寺金閣
(答:C)