基く送信 山犬は。
(二条良基(にじょうよしもと)・菟玖波集(つくばしゅう)宗祇(そうぎ))(新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)(山崎宗鑑(やまざきそうかん))犬筑波集(いぬつくばしゅう)・
[ポイント]
1.連歌は二条良基(菟玖波集)に始まり、宗祇(新撰菟玖波集・水無瀬三吟百韻)を経て、山崎宗鑑(犬筑波集)へ伝わった。
[解説]
1.二条良基(1320~1388)は、歌人であり連歌の大成者。南北朝時代の北朝4代の天皇の摂政・関白を務めた。句集『菟玖波集』を撰し、作法書『応安新式』を制定して、連歌の方式と地位を確立。
2.宗祇(1421~1502)は、正風連歌を確立。古典に通じ、東常縁(とうのつねより)より古今伝授を受けた。後半生を旅に過ごし旅中に没したため、西行・芭蕉と並び称される。和歌の余技として発達した連歌を、芸術的なものに高めたので正風連歌という。撰した『水無瀬三吟百韻』(1488成立)は、後鳥羽上皇を祀(まつ)る水無瀬宮(摂津)で、宗祇・肖柏・宗長の師弟3人が詠んだ連歌百句のこと。『新撰菟玖波集』(1495成立)は、宗祇が正風連歌のみを集めた連歌集で勅撰に準じられた。
3.山崎宗鑑(1465~1553)は、従来の連歌に滑稽味を加えた俳諧連歌の祖。これを略称して俳諧になった。江戸時代の松永貞徳へと連なる。『犬筑波集』が、その俳諧連歌集。
〈2014慶大・文
問5 下線dの高山宗砌(そうぜい)は連歌の名手で、同じ和歌会に参加した幕府直臣の杉原賢盛や政所代という要職にあった蜷川智蘊らとともに連歌七賢と称された。彼らの連歌を収録した1495年成立の准勅撰連歌集の書名を記しなさい。
(答:新撰菟玖波集)
●室町時代(後土御門天皇 足利義澄)
1495年 宗祇 『新撰菟玖波集』
Sōgi begins compilation of the renga collection Shinsen-Tsukubashu.
意欲込めそう 親切は。
1495年 宗祇 『新撰菟玖波集』
正風連歌
〈2015立命館大・全学部
連歌師の[ F ]が弟子たちと詠んだ『水無瀬三吟百韻』の冒頭部分は、
(発句)雪ながら山本かすむタベかな [F]
(脇句)行く水とほく梅にほふさと 肖柏
(第三句)川風に一むら柳春見えて 宗長
となっている。室町時代の文化には、人と人とのつながりを大切にし、集団で楽しむ精神が満ちあふれていた。
問 空欄[ F ]にあてはまる、もっとも適当な人名を答えよ。」
(答:宗祇)〉
〈2013早大・文化構想学部
室町時代には、有職故実・注釈研究がいよいよ盛んになり、b一条兼良らが活躍した。応仁の乱で室町幕府が衰退し、京都が一時荒廃するなど、中央への求心力が減退すると、貴族や僧侶等のなかには、地方へ赴く者も現れた。彼らによって、c戦国時代には学問やさまざまな文化が地方にもたらされることとなった。
問5 下線cに関連して述べた文のうち正しいものはどれか。1つ選べ。
ア 大内氏の城下町である萩には、雪舟など多くの文化人が集まった。
イ 桂庵玄樹は、朱子の『大学章句』を土佐で刊行した。
ウ 南村梅軒は吉良氏に招かれて儒学を講じ、薩南学派の祖となった。
エ 下野国の足利学校は、宣教師によって「坂東の大学」としてヨーロッパに紹介された。
オ 連歌を地方に広めた山崎宗鑑は、弟子とともに『水無瀬三吟百韻』を詠んだ。」
(答:エ ※ア×萩ではなく山口、イ×薩摩で刊行、ウ×土佐南学の祖、オ×『水無瀬三吟百韻』は宗祇〈ギ〉)
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