大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

のらりくらり…急行「のりくら号」

2007年01月02日 | 記憶
もう20年以上前になる…。
高校3年の、たしか正月。

富山は上市の叔母一家を訪ねて行くために、ひとり「名古屋」駅の「みどりの窓口」に居た。
「しらさぎでいくの?」と窓口の係員。
「いえ、『のりくら』で…。高山線、遅れてますか?」
「ええっと、今は大丈夫ですよ」。

当時の「北陸ワイド周遊券」という割引切符は、急行の自由席が無料。
時間は「北陸本線」の特急のほうが早いが、高校生には時間が充分にある。
「高山本線」の急行(のりくら号)を選んだわけだ。

当時のディーゼル車のシートは、硬い対面式。
タバコやオイルの臭いの混ざった、なんともいえない車内の空気。
不思議とそれが旅心をくすぐったりも…。



急行とはいえ、単線の高山本線。
信号所、そして急行停車駅でもないのに対向列車を何分も待ったりと、のんびりしたもの。


多分「美濃太田」あたりだったと思う。
私の前に、小学校高学年か中学生くらいの女の子が一人乗ってきた。
オドオドしているような、それでいて寂しそうな…。
その雰囲気が、なにか普通ではなかったので、あえて目を合わさないよう、私はそれからずっと窓の外に目をやっていた。

雪も無く、順調に、しかし、のらりくらりと、飛騨川沿いに列車は登っていく。
「白川口」の手前だったか、車掌が検札に来た。
彼女はなにやら困ったようにどもりながら車掌に話し、車掌も困ったような話し方に変ったが、小声で内容は聞き取れなかった。
車掌は彼女を連れて行ってしまった。

止まったその駅のホームには、彼女を連れた車掌の姿。
そのあとどうなったかはわからない。
いったいどんな事情だったかもわからない。
ただ、彼女のがっくりした表情だけは脳裏に焼きついている。



その後、日も暮れ、私の乗った「のりくら号」は、高山を越えて、地面が白くなった夜の「富山」駅に到着。
迎えに来てくれた従兄の自動車に乗り込んだ。


なんでこんなことを思い出したかというと、今日(2日)未明、飛騨路へ出かけるから。
もっとも、そうでなくても、時々あのときのことを思い出しては、高校3年の自分が話しかけてくる。
いったい彼女はなんだったのか?
いや、知らないままのほうがいいだろうな。

41号線をのらりくらり運転しながら、どんな思い出に出会えるのか楽しみだ。