大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

生徒の染髪と脱色の区別に拘る中学校長―こんな校長が生徒を殺す

2012年07月16日 07時47分21秒 | 教育問題


もう20年も前になりますか。東京23区内でも進学校の多い区の,進学校の一つに接したところに住んでいました。区立中学校でした。
こんな進学校でも,その頃は荒れていて,暴走族の仲間もいて周辺を荒らしていました。
なかでも,盗品じみた(小型バイクではなく)オートバイを乗り回している生徒がいて,フェンスに囲まれた校庭にいる生徒に見せつけるように,周辺に爆音を轟かせていました。
あまりうるさいので,この進学校の校長に電話したのです。
校長が言うことに,「どんな生徒ですか」 と訊くものですから,「茶髪の生徒だ」と応えたのです。
すると,「当校には茶髪に染色した生徒はおりません」と断言するのです。「いや,間違いなく茶髪で,しかもおたくの生徒だ」と云うと,「茶髪はおりません,脱色した者ならばいますけれど」とあくまでも染髪を否定するのです。
「脱色でも,染髪でも,茶髪じゃありませんか」と云うと,「いや,脱色です」と脱色に拘り,最後まで染髪を認めようとはしませんでした。
そこで思い当たりました。なにか文部省(当時)の通達に,統計上染髪は禁止するが,脱色は容認する,とでも文言にあるのかも知れない。茶髪と認めなければ,学校長としてペナルティを科されないのかも知れない,と。
その後20年経っても,この校長のことは忘れませんでした。あまりにも奇妙な校長の拘り方でしたから。
そして,この事件の1年ほど後に,この校長は無事?何処かへ転任したらしく,皮肉にも校長が交代した途端に,この進学校は静穏になりました。もしかすると,この進学校が荒れた原因は,件の校長にあったのかもしれません。
今回大津市の公立中の生徒が自殺する,という残念な事件が発生し(昨年9月),その処理のまずさが,警察の介入を招いています。(これも泥縄式ですが。)
ところが,最近ようやくマスコミに姿を現した中学校長は,「いたずらと,いじめの区別が甘かったようだ」,と薄笑いを浮かべながら云うではありませんか。
そこには全く慚愧の念も悔悟の念も見られませんでした。
この大津市の校長の発言は,私に20数年前の茶髪騒動の校長を思い出させました。
「脱色した生徒はいるが,茶髪にした生徒はいない」と頑なに云い張った東京都区内の中学校長と同じでしょう。いや,生徒を死に追いやっただけ悪質です。
そこに見られるのは,典型的な事なかれ主義,文科省に目を付けられない,という事なかれ主義です。
「先生と,云われるほどの馬鹿でなし」と云われますが,もともとは学者馬鹿を皮肉った言葉でしょうが,今日では意味が変わってしまったようです。まさに馬鹿,それも救いようのない馬鹿が,先生,特に中学・高校のごく当たり前の先生の間にいるようです。
これも,日教組という異常イデオロギー集団の存在が真因かも知れません。なにしろ,国歌も歌わない連中ですから。日教組から成り上がって校長になっているのでしたら,許せないことです。