夫と話がかみ合わない
夫に不登校本を何冊か渡したが、読まない。
夫「こんなもの、うそっぱちだ。」
夫「もう半年だぞ!そろそろ学校へ行かせろ」
などと言う。
不登校でもありのままの息子を受け入れるなんて、とてもできそうにない。
認知的不協和という言葉を思い出した。
http://ronri2.web.fc2.com/hanron17.html
人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。
その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。
これを認知的不協和と呼びます。そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。
つまり、夫の信念は
「学校は当然行くもの」
だから学校へ行っていない次男を見ると”不快な感情”を引き起こす。
自分の信念を変えることができず
「不登校の子供をありのままに受け入れましょう」という説を否定するのだ。
こんなお父さんが家にいては、次男も心が安まらないだろう。
私と2人の時は笑顔でいるのに
夫の姿をちらっと見ただけでイライラしてしまう。
もう、、、
どこかへ行っててちょうだい。
「亭主元気で留守がいい」は名言だ。
夫に不登校本を何冊か渡したが、読まない。
夫「こんなもの、うそっぱちだ。」
夫「もう半年だぞ!そろそろ学校へ行かせろ」
などと言う。
不登校でもありのままの息子を受け入れるなんて、とてもできそうにない。
認知的不協和という言葉を思い出した。
http://ronri2.web.fc2.com/hanron17.html
人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。
その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。
これを認知的不協和と呼びます。そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。
つまり、夫の信念は
「学校は当然行くもの」
だから学校へ行っていない次男を見ると”不快な感情”を引き起こす。
自分の信念を変えることができず
「不登校の子供をありのままに受け入れましょう」という説を否定するのだ。
こんなお父さんが家にいては、次男も心が安まらないだろう。
私と2人の時は笑顔でいるのに
夫の姿をちらっと見ただけでイライラしてしまう。
もう、、、
どこかへ行っててちょうだい。
「亭主元気で留守がいい」は名言だ。