D.D.のたわごと

現在ツイッターのまとめを上げてます

「なぜ人を殺してはいけないのか」◆入門編◆[後]

2006-08-20 15:12:09 | ニュース
小学校のホームルーム形式で人類の一大テーマを語る[前編]はこちら

もともと最初の記事「なぜ人を殺してはいけないのか」(06/02/16)はこちら。



■殺されたくないから「いけない」ことにした?
橋崎「そろそろ,結論になっちゃうと思うんですけどいいですか?
  つまり,昔の人たちが,殺されるのがいやだからお互い殺さないようにしましょう,
  守らなかったら死刑にしたり刑務所に入れたり追放しますよ
  って決めただけの話だと思うんですよ。
  むずかしく考える必要なんてないんじゃないのかなぁ。」
水戸光千代(以下水戸
 「ちょっと待てよ。殺されるのがイヤだから殺しちゃいけないと決めたとか
  殺さないほうが罰を受けずにすむから殺さないとか
  そんなせこい計算で物事を考えるお前みたいなやつといっしょにするなよ。
  世の中の人は,みな心の中に正義をもっているんだよ。
  おれだって,人を殺す必要があったとしてもその気持ちをおさえる
  ことが正しいという信念をもっている。だから殺さないんだよ。」
「??? 水戸くん?世の中のほとんどの人が
  人を殺しちゃいけないと思ってるのはわかってるよ。
  それがなぜなのかってのを話し合ってるんじゃないの?
  たとえば,君の信念って,どうして持つようになったの?」
「そんなこともわかんないのかよ?
  自分で考えてそう決めたんだよ。正義だよ正義!」
田嶋「…水戸くん,ちょっといい?
  君にとって,お母さんは大事?」
「?…ああ,当たり前だろ。何聞くんだよ,いきなり。」
「お父さんは?おじいちゃん,おばあちゃんは?」
「大事に決まってるだろ。」
「その大事なお母さん,お父さんが,家にやってきた
  ドロボウに殺されたとしたら水戸君はどうする?
  警察につかまってもそいつは死刑にならないとしたら?」
「そうだったら,警察よりも早く見つけて殺してやるって思うな。」
「それは水戸君にとって正義なの?」
「当たり前じゃないか。そいつ,人を殺しても死刑にならないんだろ?
  そりゃ,犯罪になるからがまんしないといけないのは知ってるけど。」
「あなた,必要にせまられて人を殺しそうになっても
  殺さない信念があるって,さっき言ったじゃないの!
  さっきの鮫田君でさえ,大事な人を傷つけようと思わないように
  いためつけるって言ってたのよ。あなた,犯人を殺しても殺された人は
  生き返らないのよ。殺す必要なんてどこにもないじゃないの。
  それなのに,警察より先に見つけて殺すって,何言ってるのよ!
  自分が警察につかまらないなら仕返しに殺すわけ?
  私は,たとえ今,自分が殺されそうになっても相手を殺そうとは思わないわよ。
  そういうのが信念じゃないの?なにを気軽に信念って言葉を使ってるのよ!
  そういうことを考えてる男が戦争を起こすのよ!
  マッチョぶってる(強さや勇敢ゆうかんさを自慢じまんする)男が
  世の中をダメにするのよ!」
先生「まあまあ,田嶋さん,話が飛びすぎ…」



■本能なのか?
先生「橋崎くんは,殺されるのがいやだからお互い殺さないように
  殺してはいけないと決めたって意見だけど,水戸くんみたいに,
  最初から殺すのがダメだと思っているというのはどう思う?」
五輪鷹鷹氏)「人が人を殺さないというのは本能だからだと思います。野生の動物だって仲間とケンカしても殺すまでは絶対に戦わないし,動物をつかまえて食べるときも必要な分しか殺さないから,そういうふうにDNA(遺伝子=いでんし)にインプットされているんだと思います」
チンパンジーは子ザル殺すで。
 オスのチンパンジーが子連れのメスを自分のものにするときには,
 その,他のオスとの間にできた子を殺すんやて。で,
 子どもがいなくなったらメスは新しい子どもをつくるために
 新しいオスを受け入れるらしいで。
 …って,引くなワレ!
 おれの話やないて言うとるやろが!!」
「う~ん,むずかしいわね。
 人が人を殺さないのが本能で決まっているとしたら,
 殺人はいいも悪いもなくて,事故以外は最初から起こらないことになるわよね。
 実際に世の中で起こっていることはどう考えればいいかしら」
橋崎「こう考えたらどうかな。
 人が物を食べたいと思うのも本能だし,寝るのも本能。
 正確に言えば生理的な要求ってことになるんだろうけど。
 人が人を殺さないのも本能で,これを破るのはすごく苦痛なことだとする。
 けれど,拒(きょ)食症(しょう)や不眠(みん)症ってのが実際にあるように
 人が文明社会をもつようになってだんだん本能を忘れてしまうようになった。
 生まれたばかりの赤ちゃんはだれにも教わらないのにおっぱいを吸うことが
 できるのに,大きくなるとほ乳びんではうまく飲めなくなってしまうみたいにね」
小鉄「橋崎,大きくなってからほ乳びん吸ったことあるのか-?!」
「うるさいなぁ。(真っ赤)
 なかには,本能を忘れて人殺しをするようなやつも出てきた。
 それに対して,ほかの多くの人たちは本能的に不快であるとか危険だと感じて
 外敵と同じようにそれを排(はい)除しようとする。
 そういったことをあらかじめ防ぐために,法律とかルールといった形で
 “人を殺してはいけない”と,わざわざとりきめをした,と」
「考えただけでも人を殺すなんて,こわくて気もち悪いから,
  生まれつきそう思うようにできているって思いたいな」
藤原「逆に,人間って生まれつき残酷(ざんこく)だったりするよね。
  小さい子どもなんて,いけないことだと教わらなかったら
  トンボのはねむしったりアリンコふみつぶしたり平気でするし。」
「お言葉ですが,
  どんな動物だって,ほかの生き物を殺さず,つまり食べずに
  生きてはいけないから,草食動物以外は,ほかの動物を殺す本能を
  もっているのは当然だよね。
  問題なのは,人を殺さないという本能が人にあるかどうか。
  たとえば虫の死がいを見ても別に何とも思わないけど,
  人間に近い動物の死体を見たら気もち悪かったりこわかったりする。
  それは,さっきぼくが“本能的に不快であるとか危険だと感じる”と
  言ったこととつながるけど,
  自分の死を連想するからじゃないかなと思う。」

■教育?
沙真子「前に,ニュースで見たんだけど,赤ちゃんとその母親を
  殺した犯人がいて,その父親がインタビューに答えてたのね。
  その父親は,事件の当日,自分の住んでいる団地で事件が起こったことを
  知って息子に『お前がやったんじゃないだろうな?』って
  冗談で言ったんだって。
  そのしゃべり方とか,被害者(ひがいしゃ)への
  おわびとか思いやりより犯人である息子や自分の都合のことばかり
  話してるようすを聞いてたら,このお父さんは
  人を殺したり弱い人を傷つけたりすることが悪いことだって
  ぜんぜん息子に教えてこなかったんだな,残酷な事件とか
  悲惨なニュースも冗談にしか思えないような親に育てられたら
  人を殺すことに罪悪感をもたない人間になってしまうかもしれないって思った。
  だから,親の教育とかしつけとか,育つ環境って大事なんじゃないかな。
  人のことを思いやる気持ちがあったら絶対起こらないような事件なのに。」
橋崎「けど,それは,そういう親の子だから遺伝でそうなった
  という見かたもできるよね」
「『なぜ殺してはいけないのか』じゃなくて『どんな人が人を殺すのか』
  っていう話になりかけてるけど,『殺してはいけない』ことを
  生まれつき知っているのか,生まれてから教わるものなのか
  少なくともここまでの話では,どっちが絶対正しいとか絶対まちがってるとか
  絶対ってことはどっちもいえないわね。
※教員ですから。
   先生は,教育やしつけは大事だと思ってるけどね。」

「で…さっきから,何,みんなこっち見んねん?」
小鉄「サメダの父ちゃんすげぇよな~。
  “表出ろコラァ!!”って,すぐ怒(いか)るよな。」
「うちの親はたしかにアホなとこあるし言葉も汚いけど
  “人様に迷惑だけはかけるな”っていつも言われてるし
  おれなりにいい悪いの区別はつくって…たのむから構わんといてくれ
  うちの親のことは…」
田嶋「ってことはよ,鮫田くんは,本能的には怒りっぽいけど
  『人を殺してはいけない』と教えられているから人は殺さない。
  やっぱり,遺伝より教育なのよ!」
先生「理屈は通ってるように思えるけど,そこまで単純かな?
  ほかにもいろいろな要素がないかもっと考えて,
  かんたんに決めつけないほうがいいわね。
  それに,鮫田くんがどうだからという話は彼に失礼よ。

■社会状況?
「いろいろ(意見が)出てきたけど,逆に,殺してもいいんだと
  犯人が自分を正当化する理由を考えてみた。
  3番の『殺したかったから』は身もフタもないけど,
  1番だったら『お金をうばわないと自分がうえ死にするから』
  2番は『そいつを絶対にゆるせなかったから』
  ってところだろうね。そんな自分勝手な理由で人を殺すなんて
  ゆるせないって,みな思うよね。」
「思うね。」
「それはつまり,みんなが安心してくらせなくなるから。
  みんなが,安心してくらせる社会を大事だと思っているから
  『殺してはいけない』というルールを決めた
  ってことでどうだろう?
  有名な剣の達人の宮本武蔵(むさし)がいた,あの時代,
  戦国時代が終わって平和な江戸時代になると,
  戦いに自信のある人たちは戦(いくさ)で手柄を立てられなくなって
  困っちゃったんだよね。
  彼らは,平和な世の中では逆に役立たずになっちゃうんだ。
  そういうふうに,平和じゃない,殺すのも殺されるのも自己責任って
  世の中のほうがいいって人も,実際いるわけだから,
  今の日本でそうなっていないってことは,
  みんなが殺してもいい自由よりも安心を望んでいる
  ってことなんだと考えていいんじゃないかな」
「だから,それってさっき言ってた『殺されたくないから』って話だろ?
  そういうせこい次元で考えてどうするんだよ?!」
「君はさっき,自分で考えて人を殺すのはいけないって
  信念を持った,みんなもそうだって言ったけど,
  そうじゃない国や地域は今も存在するって,
  最初に話があったじゃないか。
  君が赤ん坊で生まれて大きくなるまでに,だれにも何も教わらずに,
  親や学校や日本の社会のえいきょうを受けずに自分だけで
  自然にそんな信念を持つなんてありえないんじゃないの?」
鷹氏「ぼくは,人が人を殺さないというのは本能だからだって
  さっき言ったけど,今でも別にまちがいじゃないと思うよ。
  だって,世の中の人のほとんどは平和にくらしてるわけだし,
  人を殺すようなやつはほんの少数のおかしなやつっつーか,
  なんかキレちゃってるようなやつだと思うんだよね。
  戦争をしたり殺人の多い国とかも,みんな苦しい生活してるとか
  いつ自分が殺されるかわからないようなくらしをしてるせいで,
  本当は殺しちゃいけないとあたりまえに思ってるんだよ。」
沙真子「戦争に行った兵士の話なんかを本で読んでも,
  上官の命令で捕虜(ほりょ)を殺したときすごく苦しくてはきそうになって
  まわりの兵士に,みんな最初はそうだ,そのうちなれると言われたとか
  ベトナム戦争とかでは人を殺しても平気になる薬を使ったとか
  書いてありました。
  イラク戦争に行ったアメリカ兵の人たちも心の病(やまい)になる人が多いとか
  ニュースや新聞でよく見ます。」
「戦争の場合は,殺されるストレスもあるから
  いちがいに人を殺すことが心の病の原因のすべてとはいえないけど
  確かに,実際に人を殺せと言われたら殺せないよな…
  本能でってのは,ぼくも否定してないし。」
「戦争とか震災とかで難民となっている子どもの写真って,
  本当は苦しいんだろうけどすごく明るい顔をしてたりするし
  住むところや食べ物にも困っているのに難民キャンプで殺人事件があるって
  書いてあるのを読んだこともない。
  貧しければ悪いことをするわけじゃなくて,
  何か心の問題があるんじゃないかな。」
先生「自分が読んでいないからないというのは正しい考え方とはいえないけど,
  貧しくても悪いことをしないで正しくくらしている人は
  本当に,日本にも世界にもいっぱいいるよね。」


■あなたの結論は?
先生「そろそろ時間だし,いろいろな意見が出ましたので,
   ここまでの意見をまとめてみましょう。」

なぜ人を殺してはいけないのか
 ・人にはもともと仲間を殺さない本能がある。 
    ※ふつうは人を殺すというのはこわくてできない。
    ※自分の死を想像するから人の死もこわい。
    ※むりやり殺人をやらされると心の病になる。
    ※しかし他の生き物や敵を殺すのは同じではない。
 ・けれど,世の中には殺人が起こっている。 
    ※文明が発達して本能がうすれた。
    ※社会で生活して損得や感情など他の人と対立することが増えた。
 ・それでは安心してくらせないので,あらためて
  殺してはいけないことをルールで決めた。
 
    ※みんなが殺人をしない・したくないということと,
     人を殺すことをゆるさないということは別。
 ・親が悪いと子どもも悪くなる可能性がある。 
    ※教育?
    ※遺伝?
 ・法律で決まっているから。 
    ※法律を決めるのは人。
 ・社会環境で命の重さは変わる。 
    ※貧しいから命の価値が軽くなるということではない。
 ・ダメなものはダメ。    


先生「こんなところでいいかな?
  それでは,最後に,みんな,これらのポイントの中で
  今,『人を殺してはいけない』世の中であるのはなぜか,
  その理由として一番重要だと思うのはどれか,手を上げてください。」

 A.生き物としての本能
 B.教育やしつけ
 C.安心なくらしを求める思い
   (戦争やすさんだ社会はいやだ)  
 D.人に対する思いやり
 E.ひとりひとりがもつ信念


「…はい。こういう結果になりました。(黒板に書く)
  今日は,こういうことで終わりますけれど,
  まだここで出なかった,みんなが知らなかった話とかもあるかもしれないし
  この後,ちがった考え方が思いつくかもしれないね。
  それでは,プリントの(1)と(2)(3)に記入して提出してください。
  (1)は『いけない理由』の割合を円グラフでかきこんでください。
   さっき手を上げた理由が100%だったらそうかけばいいし,
   A~E以外の理由があるならグラフの外にはみ出てもいいから書いてね。
  (2)は,今日のホームルームで印象に残った意見があったら書いてね。
   誰が言ったかとかも覚えていたら書いてね。
  (3)は,今日の感想。なんでもいいから書いてください。
  いつもと同じように,今日のホームルームのことは学級新聞に書いて
  家に持って帰ってもらって,お父さんお母さんに見てもらいますからね。」



と,いうことで,最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は長いだけで,目新しい視点も特にないし,
そもそも「なぜ人を殺してはいけないのか」に対してどう答えるのか
という記事になっていない,どうなんだこれは?という感もありますが,
要するに,元記事では「『人を殺してはいけない』ルールがきちんと守られている
世の中だからこそ自分が無事に生きていられている
。そのことがわかっていれば
自分の勝手な思いでこのルールに疑問を持ったり否定するなどできないはず」
ということが言いたかったので,
「入門編」というコンセプトのもとに,
愚かな意図でこの質問をするような人間にならないよう,
小学生~中学生くらいの子が読んで,
『人を殺してはいけない』のが当たり前に守られているのは
今のこの時代,この場所に生まれ育ったからこそであること,
人々の思いや人の命が軽かった歴史やその反省があって
このくらしが成立していることをわかってもらえるエントリーを
目指して書いてみました。

あとは,話し合いの手順として,できるだけ論点を整理する手間とか
全員が共通した話の前提で意見を出し合えるようにすることの
必要性もわかってもらえるよう,
かなり先生に出しゃばってもらう形にしました。

これらの意図,実現してるでしょうか?
TB・コメント欄にてご意見いただけると嬉しいです。

********************
※最後までお読みいただいて本当にありがとうございました。
 「ご苦労さま,つか,こんなの読まされて苦労したのはこっちだ」と思った人も
 救いのクリック←お願いします…。
 (8/20現在,テレビラジオ部門37位ですが,今は?
もしくはにほんブログ村 テレビブログへブログランキング にほんブログ村ブログ村では17位。
********************
「人を殺してはいけない」と子どもに教えるには―次世代に伝えたい10の“ルール”
ヘンリー クラウド, ジョン タウンゼント, 飯塚 真奈美
花風社
コメント (20)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なぜ人を殺してはいけないの... | トップ | 週末のスポーツ!!(8/19・2... »
最新の画像もっと見る

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (ikasama4)
2006-08-20 17:54:38
どこまで言って委員会(笑)

最近の生徒さんはフェミニストの思想に

弁護士や落語家を目指してる方が結構おるようですね(苦笑)



さて本題の方ですが

一番重要なのは私の場合、Bでしょうかね。

こういう議論もまた教育の一環でもありますからね。





考え方、議論の展開としては面白いですね。

ただ、どこを個々で根幹としていくという事になると

自分で答えが見つけられない方には

ちょいと難しいかもしれんですね。



まぁいずれは自分なりの答えを見つけてくれるとは思いますがね。
返信する
ルール (まっく)
2006-08-20 17:54:53
d_d-さん、初めまして。



T.B.頂戴して拝見しました。

私は、善悪については、出来るだけ「ルール」に結び付けては教えないです。一つには、ルールに結び付けるには(軽微なことも含めて)「違反者」が多過ぎるからで、ルールを教えるときは「何故、そういうルールがあるのか?必要なのか?」を出来るだけ色々な角度から考えさせるようにしています(こちらでの討論ですね)。

そして「自分にも違反者になりかねない面があること」も、少し大人になってからでも良いので理解して欲しいと願っています。

p.s.

T.B.して頂くときは、コメント等と合わせて頂くと意図も分かり易くて助かります。
返信する
初めまして (鳥取砂丘)
2006-08-21 06:42:26
どうも、初めまして。



>「『人を殺してはいけない』ルールがきちんと守られている世の中だからこそ自分が無事に生きていられている。そのことがわかっていれば自分の勝手な思いでこのルールに疑問を持ったり否定するなどできないはず」



これは理解できませんでした。



たしかに私はこのルールに守られていますし、これからもこのルールが存続して欲しいと思っています。けれども、なぜそれが「人を殺してはいけない」ということになるのでしょうか?



現に私は「殺人禁止のルールは必要である」と思っていますが、それは「自分の勝手な思い」に過ぎません。よって、「人を殺してはいけない」という説明にはなりません。
返信する
鳥取砂丘 (初めまして)
2006-08-21 06:54:29
どうも、初めまして。



>「『人を殺してはいけない』ルールがきちんと守られている世の中だからこそ自分が無事に生きていられている。そのことがわかっていれば自分の勝手な思いでこのルールに疑問を持ったり否定するなどできないはず」



これは理解できませんでした。



たしかに私はこのルールに守られていますし、これからもこのルールが存続して欲しいと思っています。けれども、なぜそれが「人を殺してはいけない」ということになるのでしょうか?



現に私は「殺人禁止のルールは必要である」と思っていますが、それは「自分の勝手な思い」に過ぎません。よって、D.D.さんの説明では「人を殺してはいけない」という当為命題の証明にはなっていません。
返信する
二重投稿になってしまいました。 (鳥取砂丘)
2006-08-21 06:58:58
誠に申し訳ありません。



お手数ですが、最初の投稿(2006-08-21 06:42:26)を削除してくだされば幸いです。
返信する
みなさんコメントありがとうございます (d_d-)
2006-08-21 07:45:47
ikasama4さん

当初“委員会”は意識してなかったんですけどね(;^_^)>

ヨーコ・アイランドさんはまんまですが,橋崎君はあまり自分の主義主張はなくて自分の知ってることを全部言うタイプで便宜的に「橋下+宮崎」の名前をもらったというところです。自分的には暴力的だと意外に物知りなサメダ・ショーキ君がこの記事のスパイスかなと(けどご指摘のようにざこば師匠入ってるかもしれませんね。自分では気付きませんでした)。



> 一番重要なのは私の場合、Bでしょうかね。



分類や選択肢の設定にはかなり改善の余地があるかと思います(動機…狭い意味の“理由”と,それが実現・維持される条件がごっちゃになってるなど)けど,子どもの話し合いで,出てきた話をその場でまとめているという設定ゆえご勘弁いただきたいってところですね。



> こういう議論もまた教育の一環でもありますからね。

ありがとうございます。

実際に学校のHRでこんな重い題材を扱うってのはすごく難しいと思いますけど,日本中が,これができるような学校だったらなという思いも。



> ただ、どこを個々で根幹としていくという事になると

> 自分で答えが見つけられない方には

> ちょいと難しいかもしれんですね。

そうかもしれないですね…。

この記事の中でいえば,小鉄君はどれに1票入れたか?ですね。



まっくさん

当記事の中では「ルールは必要に応じて人間が作ったものだから」ルールそのものが理由ではないという書き方をしました(まっくさんが仰る「何故、そういうルールがあるのか?必要なのか?」ということですね)。

そういう点でいえば,「違反者が多すぎるから」については,もともと違反に該当する人がいるからそれを禁止するためにルールをつくるわけで,当然といえば当然の話なのですが,「自分にも違反者になりかねない面があること」を考えること,大事ですね。

PS.貴ブログの元記事は『女王の教室』に関するもので,内容は即しているものの唐突といえば唐突なTBでした。失礼しました。



鳥取砂丘さん

> よって、D.D.さんの説明では「人を殺してはいけない」という当為命題の証明にはなっていません。

そうですね,最後までお読みいただいた上で恐縮ですが,このご指摘に関しましては,2/16の記事のほうを一度お読みいただきまして,それでも腑に落ちなければ改めてご指摘・ご質問いただけないでしょうか。

よろしくお願いします。

僕としては,鳥取砂丘さんが書いてくださったようなことを考えてもらえた時点でこの記事の目的はほとんど達せられたと思っているんですね。実は。

返信する
補足(少々、長いです) (まっく)
2006-08-21 17:08:26
d_d-さん、こんにちは。



>「違反者が多すぎるから」については,もともと違反に該当する人がいるからそれを禁止するためにルールをつくるわけで,当然といえば当然の話・・・



細かい点ながら言葉不足だったようです。

一つの理由に違反者が多過ぎることを挙げたのは、どのような理由で「違反」したのか?違反者が多いという現実を前に自分はどうあるべきか?などに想い馳せられるように育って欲しいためです。

「違反者の多寡」は立法にも基本的に間接関与するだけで(廃止には、時に大きく影響しますが)、違反者が少ないルールも多い中、一律に「当然」とするのはチョット無理を感じます。

頻繁に無視される道交法を例にとれば、ここでは「何故、違反者が多いのか?」やルールの目的・趣旨(さらには必要性)を「自分なりに」考え、理解して欲しいところですが、その課題まで一緒に考えるさせてしまうと考えの深度が浅くなりかねません。



p.s.

TBの件、了解しました。

私自身は「女王の教室」的方法を無碍に非難することは出来ないと考えています。

ただ、非常に似た論理に基づく、教師からの過度な抑圧(「自分がこうされたらどうだ?」みたいな、言い方は悪いですが恫喝的教育)を経験した級友が殺人未遂にまで至った経験があるので、(生徒が)「力」を得たときに歪んで出る可能性がある気もし、もっと良い方法はないだろうか?とは想います。また、この論理は「死んでもいい」という特殊状況に陥ってしまった人の殺人(たとえば無理心中)を許容してしまうことにもなります。

勿論、こういう事例は特殊事例と言うべき・・・というか、言える状況であって欲しいわけですが、私の記事は(そういう特殊事例も含めて)答えうる根拠があるか?という問いに端を発してます。
返信する
Unknown (鳥取砂丘)
2006-08-21 22:06:35
ご丁寧なお返事をありがとうございます。



>なぜそういう疑問をもったのか,

>どういう意図で質問を投げかけてきているのか

>聞いてみないと答えようがないでしょうよ。



私もこれには同意します。



よって、私の問題意識を表現するならば、「なぜ私が人を殺してはいけないのか?」となります。それを踏まえた上で…



>Q.なぜ人を殺してはいけないんですか?

>A.じゃあ,今,お前を殺してもいいんだな?



これはよく分かりませんでした。だから、私は次のように反論したいと思います。



【反論】:私はお前に殺されたくない。だが、なぜそれが「私は人を殺してはいけない」ということになるのか?
返信する
リコメントありがとうございます (d_d-)
2006-08-21 23:33:24
まっくさん

TBをつけさせていただいた元記事を考えれば

こんな安直な意図でのコメントではないと大体感じてはいたのですが,

出勤間際のかけつけ書き込みで上っ面だけの読み込み&レスになってしまい誠に失礼いたしました。



で,改めてちゃんとしたレスをお返ししようと思うのですが…どうもまっくさんの思いの“方向”は伝わるのですが,その“芯”をつかみきる確信が持てません(道交法の違反と殺人などの犯罪とではかなりギャップがあるので「違反」の意味をどう捕らえておられるのか,私の中でちょっと混乱が生じています)。ですので,ちょっと筋違いは承知で思ったことを書かせてください。



> 違反者が少ないルールも多い中、一律に「当然」とするのはチョット無理を感じます。

細かい点,というか,私の考えから言わせていただければ,最初から違反者が存在しなければ元々そのルールは必要ないんですよね。

で,一口に「違反者が少ない」といっても,罰則が厳しいから違反者が少ないのか,違反することにメリットがないから違反しない(前述の必要ないルール)のか,取り締まることが実情に合わないので黙認状態になっているのか(まっくさんの意図するところからすればちょっと脱線ですね),色々なケースがありますので,相手に考えてもらうには,イメージを正確に伝える必要があるかなと思いました。



最初のコメントにもあります

> 「何故、そういうルールがあるのか?必要なのか?」を出来るだけ色々な角度から考えさせるようにしています

については勿論同意です(当記事の中でも先生が「法律は私たちが選んだ議員が決めるのだから」云々のところが,切り口の角度は違いますが意図としては近いですね)。



> 「自分にも違反者になりかねない面があること」

これについてはですね,有名な元参議院議員の田嶋陽子さんがですね,「自分はかつて自分の親を心の中で殺そうとしたことがある。だから,現実に殺人を犯してしまった人間については決して他人事じゃない」とTVで仰ってて,だから死刑は反対だし,日本に対して近隣諸国がどんなに横暴な主張や行動をしてきても「相手を怒らせなければ解決する」という態度を崩さないのだと…。彼女の場合はピュアの度が過ぎてるところがありますが,子どもに限るなら,このくらいの思いを持つ時期が一度はあってほしいと思ったりしてます。

自分が違反者側に立つ可能性というのは,まさに大人になったときに自分のこととして考える必要がいくらでも出てくることですよね。



鳥取砂丘さん

> 私の問題意識を表現するならば、「なぜ私が人を殺してはいけないのか?」となります。

あれ?最初のコメントにはこのような話は出てこなかったような…

QAに合わせて,あえて「私(鳥取砂丘さん)の」問題意識ということで設定されたということですね?



それを踏まえた上で…

「じゃあ,今,お前を殺してもいいんだな?」

というAは,勿論「なぜ人を殺してはいけないのか」というQの説明にはなっていません。今回いただいた【反論】は,反論というか,誰でも感じる事そのまんまなんですよね。



ではなぜこんなわけのわからん事を言うのか?

質問者に考えてもらう回答なんです。



「なぜ私が人を殺してはいけないのですか?」という質問に,

「人を殺したかったら殺してもいいじゃないか」

という意味が含まれている場合のAであることにご注意を。

その質問はおかしいですよ・それに気づいてくれよ・考えろよ,という答えなのです。



一応,2/16の記事の中には,そういった意図の説明も書いてあるので,改めて読み返していただけると(ついでにコメント欄のほうも…)ありがたいです。

ではでは。
返信する
Unknown (鳥取砂丘)
2006-08-22 12:23:09
お返事、どうもありがとうございます。





>「なぜ私が人を殺してはいけないのですか?」という質問に,

>「人を殺したかったら殺してもいいじゃないか」

>という意味が含まれている場合のAであることにご注意を。

>その質問はおかしいですよ・それに気づいてくれよ・考えろよ,という答えなのです。



率直に申し上げて、私は「(私が)人を殺したかったら殺してもいい」と思っています。だから、少しもこの質問がおかしいとは感じられません。







>ちなみに私の数週間前の時点での答え

>「人を殺していいんだったら,お前,今まで生きて来れたと思ってんの?」



>自分がそのルールに守られていることを棚に上げて

>自分が殺すことばかり考えてそういうことをいう者が

>いたとすれば,たとえ子どもだろうがバカ以外の何者でもないと思います。



…私は「バカ以外の何者でもない」のでしょうか?(苦笑)



2/16の記事とコメント欄を読み返しましたが、私にはd_d-さんの主張の根幹部分が理解できません。



なぜ「私は殺されたくない(利己的欲望)」から「私は人を殺してはいけない(当為命題)」が導かれるのでしょうか?



前回のコメントと重なってしまいますが、どうしてもこれが分かりません。それを踏まえた上で反論しておくと…





>Q.なぜ人を殺してはいけないんですか?

>A.じゃあ,今,お前を殺してもいいんだな?

>以上。

>「殺してはいけない」ことに疑問をもつということは

>自分が殺されてもいいということになるでしょう。

>殺されるのがいやだからお互い殺さないようにしましょう,



【反論】:私は殺されたくない。だが、なぜそれが「私は人を殺してはいけない」ということになるのか? ――何やら社会契約説みたいなものを根拠にしているらしいが、よく分からないので反論のしようがない。便宜的に選択肢を作成したので、この中から選んで頂きたい。



【根拠Ⅰ】

「お前は殺されるのがイヤだろう? 同じように他人も殺されるのがイヤなんだ。だから、相互に殺人禁止のルールに従わなくてはならない」という社会契約



【根拠Ⅱ】

「お前が殺されたくないのならば、お前は他人を殺してはいけない。(自分がされてイヤなことを、他人に対してやってはいけない)」という倫理観



【根拠Ⅲ】

「お前は殺人禁止のルールに保護してもらっているのだから、そのルールに恩義・畏敬を感じなくてはならない」という倫理観



【根拠Ⅳ】

「もしお前が他人を殺してもいいとすれば、他人がお前を殺してもいいことになる。よって、お前が殺されたくないならば、お前は他人を殺してはいけない」という形而上学的な相互性原理。



【根拠Ⅴ】

上記以外の根拠。
返信する
さてどうしましょうか… (d_d-)
2006-08-22 12:56:29
> 鳥取砂丘さん

再三のご訪問ありがとうございます。



読ませていただきましたが…

う~ん…,

根拠Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,V(その他)の中から選ぶんですか?



私としては,全部なんですけどね…。





鳥取砂丘さん,そこまで考えが至っていれば十分だと思うのですが,

その先どこへ向かわれようとしてるのですか?

この問題,つきつめれば本当にきりがないですから

元記事でも書いたように,人に1つの正解を求める問題ではなく,人それぞれに答えを探してほしいという話(記事)なんですけど…。



「死刑になってもいい」とか「殺すのも殺されるのも個人の勝手でいいじゃないか」という人を説得するにはどうすればいいか,ということでしょうか?
返信する
これでいかがでしょう?(追記) (まっく)
2006-08-22 17:36:17
d_d-さん、こんにちは。



私の最初のコメントは、d_d-さんの記事を読んで「(一般的な)ルール教育」に視点が移っており、二回目のコメントで敢えて殺人罪とは色々な意味で異質な道交法を持ち出したのは「その流れの中」で共通した思考性を子供に持ってもらいたい、ということをお伝えするためだと申し上げたら通りが良くなるでしょうか?



なので「違反者が多いルール」に関して「違反者が多いのは・・・はチョット無理があるのでは?」というコメントになっています。これは「初めにルールありき」、つまり法(ルール)生成過程と生成後の視点が一緒になっているように想われたからです。ここでは「何故、そういうルールがあるのかを考える大切さ(法生成過程)」と、違反者が多い現実(法生成後)に対しては別に考えた方が良い、との判断があります。



新しいコメントでは、議会制民主主義が有効に機能しているか?という問題があるので、私としては本記事のような子供達の討議(考えること)自体に重きを置きたいです。

自分の中にある「違反者性」はd_d-さんが(特に)後段で仰る通りで、成長するに従い真摯に向き合う必要があると想います(TBして頂いた記事の後半で意識していた点です)。田嶋さんは・・・極端な方ですから・・・(^^;

*私は教育の専門家でも現場の人間でもないので、周囲の子供に対する姿勢を前提に書いていることを付記しておきます



話を振り出しに戻すようで恐縮ですが「A.じゃあ,今,お前を殺してもいいんだな?」を拝見しましたが、一つには二回目のコメント「p.s.」の理由から疑問が残ります(他、いくつかの疑問はありますが、いずれもフィクショナルでヨタな仮定話になりかねないので控えます)。



私の記事では「何故、殺人が絶えないのか?」から「そもそも、何故、人を殺してはいけないのか?」という再考をしていますので論旨が違ってきてしまいますが、いずれにしても、より多くの人の共感と納得が得られるモノが欲しいものですね。
返信する
ルール論についてですが (d_d-)
2006-08-22 21:00:13
まっくさん,重ねてのコメントありがとうございます。

貴重な時間を割いていただいて感謝します。



さて今回のコメントですが…

読んで「あれ?」と思いました。

「ちょっと!ちょっとちょっと?!」(ザ・たっち風に)疑問が。

> つまり法(ルール)生成過程と生成後の視点が一緒になっているように想われたからです。

ルールの評価に関しては一緒であるほうが望ましい,むしろそうであるべきじゃないんですか?

同じ文で書かれていた「はじめにルールありき」は,生成過程の視点から逸脱してしまった状態を意味してると思うのですが…



私の頭の中の前提がそういう状態ですので,

残念ながら,まだ

> 「何故、そういうルールがあるのかを考える大切さ(法生成過程)」と、

> 違反者が多い現実(法生成後)に対しては別に考えた方が良い、との判断があります。

と書かれたような「違反者の多寡」の重要性

(まっくさんがどういう視点から重視しておられるのか)がつかみかねる状態です。



申し訳ないというか,お互いもどかしいっすね…。



> 話を振り出しに戻すようで恐縮ですが

以降については,とりあえず保留ということで

話を一旦切らせていただきます。

返信する
再整理に挑戦です (まっく)
2006-08-22 23:18:31
d_d-さんの場合は、私が前コメントで書いたように<d-d_さんの考え方に対して>「はじめにルールありき」と書いたように、ルール生成過程とルール生成後を一緒に考えた方が良い、というお考えかと想います。



ルールに関して、生成過程を考えれば、自然と生成後の状況に想い及ぶことは自然だと想います。一緒に考えた方が良いこともあるでしょう。

しかし、特に子供に一緒に考えさせてしまうと、例にとった道交法など(「マナー」になれば尚のこと)では考えを整理するのが難しくなることが多いので分けたほうが良いというのが私見です。

そこで「何故、違反者が多いのか?」というような方向に入ることを避けるためにも、敢えて「生成後のルール」の課題としては取り上げない、ということにも繋がるわけですが・・・。



「チョット無理があるのでは」は、

(1)私の考えではルール生成後の話なので一緒にすると混乱しませんか?という感想と、

(2)「違反者がいるからルールを作る」から「違反者が多いルールがある」が「当然」として導かれることが論理として分からない、

ことから出るものとご理解下さい。



*「違反者の多寡」は、元々は、それ自体が重要なのではなく「法生成前・後」の分岐になり易い目安として挙げてます
返信する
2人のずれがどこにあるのか (d_d-)
2006-08-23 03:02:53
> d_d-さんの場合は、私が前コメントで書いたように

> <d-d_さんの考え方に対して>「はじめにルールありき」と書いたように、

> ルール生成過程とルール生成後を一緒に考えた方が良い、というお考えかと想います。

う~~ん…とですね…,私は

ルール生成後「を」じゃなくて,

ルール生成後「も」,「そのルールに対する評価」は変わらないべき

じゃないですか と書いていたんですね。



で,「はじめにルールありき」の解釈も違っていたようです。

私は,既にルールがある状態で,それが妥当かどうか検証せず「ルールだから守らなければならない」とする考え方(つまり<「何故、そういうルールがあるのかを考える大切さ(法生成過程)」>が欠けている状態)を「はじめにルールありき」だと解釈していたのです。

ですが,どうやら違うようですね…?



直近コメントには

> 違反者が多い現実(法生成後)

とあり,これを「法生成過程」と一緒に考える(同一視する)べきか否かということです…よね?

どうも私は「法生成過程」のほうしか頭にない,

「法生成後」がどういうことを指しているのか解釈できてない,

だから一緒に考えているのかどうか,

一緒に考えるべきだと考えているのかどうか

お答えできる状態にない…というところですね…。



> ルールに関して、生成過程を考えれば、

> 自然と生成後の状況に想い及ぶことは自然だと想います。

この文なのですが,「考える」「思い及ぶ」のがいつの話なのかがよくわかりませんでした。

ルールを作っている最中の話なのでしょうか?

それとも…?



というわけで上記(1)については

キーワードの意味について共通認識がとれていないので意味がわからないです…。



なんとかとっかかりになりそうな(2)について

>「違反者がいるからルールを作る」から「違反者が多いルールがある」が

>「当然」として導かれることが論理として分からない

この点は面白い(興味深い)ですね。

私が軽く「当然」と書いたり言ったりすることが読み手や聞き手に対して全然そうではないということが多々ありますので今回もそうだったかと…。



私としては色々なルールを作っていれば

適用の範囲が広すぎたり,罰則が軽すぎたりして

違反者が多いルール「も」“あって当然”,

違反者が少ないルールしかない社会というのは現実として難しい(できる確率は低い)んじゃないかと考えただけなのですが,どこかおかしいでしょうか…?



「当然」で片付けるのではなく,きちんと考える(違反者が多い現実に取り組む)べきであるという意味でしょうか?

だとすると論理の問題ではなく「当然」という言葉の使い方の違いということになりますね。



そもそもの私とまっくさんのルールに対する考えですが,

私…ルールも人間が決めたものだから「法律で決まってるから」という考え方はするべきじゃない

まっくさん…<善悪については、出来るだけ「ルール」に結び付けては教えないです。

ルールを教えるときは「何故、そういうルールがあるのか?必要なのか?」を出来るだけ色々な角度から考えさせるようにしています(こちらでの討論ですね)。>

 …最初のコメントより



ということで,基本的に全く同じ…ですよね?



で,このとき理由として書かれた

> 一つには、ルールに結び付けるには(軽微なことも含めて)「違反者」が多過ぎるからで

に対して私が「当然」と返したことが

今回の一連のコメントの発端ということでしょうか?



そういう点で見返してみると,



ルールは人が決めたものである

→適用範囲や罰則の厳しさにも色々なものがある

→その結果,「当然」違反者が多いルールもある

→だから,善悪については、出来るだけ「ルール」に結び付けては教えない。

「何故、そういうルールがあるのか?必要なのか?」を考えさせる必要がある



という具合に,私の考えとまっくさんの意見をつなげても何の問題もない(つまり同じ考えである)ような気がするのですが…。
返信する
私の前々回のコメントで「保留」しました件 (d_d-)
2006-08-23 03:18:42
2006-08-22 17:36:17の

> 話を振り出しに戻すようで恐縮ですが

の件ですが,

これは,こんな屁理屈(「じゃあ殺してもいいんだな」)を聞かされて切実にならざるを得ない方々には,

もう,ごめんなさいと言うしかないです。



最初の記事を書いたのは,

現役教師たちがテレビで思考停止しちゃってる姿を見て

「そんな質問,真面目に説明しようとしたって解決するもんか!」

と思ったのが発端なものですから

まずはブワッと風穴を空けて発想の転換を訴えよう,それができれば目的はまあ果たせた,というものなんですよね。



ですから,記事の後半で書いているように,現実には質問者の意図を確認してそれに応じた回答(もしくは質問者が自分で考えていけるような導き)をしていくことになります。

結局あの記事は,ああいうくだらない質問を提示した番組関係者に対する皮肉という意味が大きいです。
返信する
コメントの遣り取り (まっく)
2006-08-23 20:03:39
私の考えを簡単に言えば、法生成過程は「かくかくの問題があるから、かくかくのルールを作りましょう」で、法生成後は「かくかくのルールを巡ってこういう状況が生じている」ということです。



その前提で、「既存のルール」について「なぜ、そういうルールがあるのか?」を<考えさせる>と、「でも、今はこうじゃないか?」に<思い及んで>、一緒に考え始めてしまって整理がつかないことが多いので分けている、ということです。



その意味で「当然」の話も(1)の方に重きがあるのですが、こちらは取り敢えず置いておいておきます。



その上で(2)についてなのですが、

>「違反者が多すぎるから」については,もともと違反に該当する人がいるからそれを禁止するためにルールをつくるわけで,当然といえば当然の話



のコメントを私の持ち出した道交法の例に対して頂戴して、

『「もともと違反に該当する人がいるからそれを禁止するためにルールをつくる」から、直接「違反者が多い(過ぎる)のは当然」』

となっていて、単純素朴に、「当然」とするには論理が一律、一飛びし過ぎではないですか(分かりません)?ということです。



d_d-さんにとっては「当然の論理」ということで問題ないわけですが、私は「違反者が多いからルールをつくるということも意味しているのかな?」など、あらぬ考えに飛びましたので(苦笑)。子供は、むしろ「当然」で問題なく納得するのかもしれませんが・・・



そして「ずれ」の原因なのですが、直近から二つ目のコメントにある、

>ルールに対する考えですが

を拝見してハタと想ったのですが、厳密に言うと私は(d_d-さんもだと想いますが)「ルール教育」についてコメントしていて、子供の理解や反応を念頭に置いたコメントが混じったからかな?と感じました。

上の(2)などは、その典型かと想います。







保留の件、了解しました。

TVでは教室内の生徒達の前に持ち込む前提で展開したのでは、と想いますが、思考停止に陥られてしまうのは「・・・」ですね。それぞれの教師なりの答えで構わないし、その時点での取り敢えずでもいいので「それは、いけないことなんだよ」という強い気持ちを、まずは言葉にして欲しいです。

番組は見てませんが「真剣に考えたことないんですか、そういうこと?」という感じです。







p.s.

大筋、意見の違いを感じないのは同感なのですが、コメントの遣り取りで迷路に入ってしまったみたいです。すいません。

ここまでで失礼するように致します。
返信する
御丁寧にありがとうございました。 (d_d-)
2006-08-24 03:26:21
まっくさん

基本的な考えが同じ者同士なのに

立ち位置・見方・切り口・表現がちょっとずれているだけで全然違うと相手を否定・攻撃する輩が少なくない中,一貫して互いの共通点や相違点を冷静に見つめ,「これ以上踏み込んでは無意味」というラインをきちんと見極めながら話を進めてこられた貴方の意識の高さに敬意を表します。



今回頂戴しましたコメントでようやくわかりかけてきたのですが,「生成後」というのは「現状」「現実」,ルールを作るための目的とのギャップというニュアンスを含んだ意味で使われているのでしょうか?

「違反者をなくすためにルールを作っているのに,ルールを作った後も違反者が多いのは意味ないじゃん」という考え方からすれば,その現実を「当然」として片付けてしまうと「?!?!理解デキナイ!」と,私でも思ってしまいますね。

ここまで合ってるでしょうか?

合ってるでしょうか?



で,最初にいただいたコメントというのが,

「もし殺人に対する刑法の罰則規定が駐車禁止レベルしか守られない世の中だったら,『ルールだからいけないんだ』という説明には説得力がない」

という感じの話だったのでしょうか?

…意訳しすぎですね。

訂正して,

「法律には駐禁レベルしか守られないようなものもあるので『ルールだから』という説明はしたくない」

…若干ベクトルがずれている?

最初のコメントだけ読めばまずまずこれでも合格点はいただけるかなと思いますが,ここまできたら「(1)」の解釈も盛り込んでまとめたい…



「法律には駐禁レベルしか守られないようなものもあるので,『ルールだから』という説明だと『じゃあ実際に守られてないのはなぜなんだ』という話になってしまう。→『なぜいけないのか』という話ができなくなってしまう」



・現実(『法生成後』)に違反者が多い場合の評価

(まっくさん)守られないようなルールを作るのに意味があるのか?ということに考えが及んでしまうと本題の話ができなくなってしまわないか?

(d_d-)禁止することで皆が守れば理想だが,もともと違反に該当するものが存在して,それを罰するためにルールを作ったのだから違反者が出るのは当然。たくさんルールを作る中にはあまり守られないものがあっても仕方ない。「それはそれ・これはこれ」で心配ないでしょ。



…と書きましたけど,もともとまっくさんも私も「ルールだから」という説明はしない,「何故、そういうルールがあるのか?必要なのか?」のほうを重視して考えさせるスタンスで一致してますから,2人とも踏み込まないと言っている部分(つまり対立点ではない)の話を掘り下げてしまったことで迷路に入っちゃったのかなと思いました。



まとめのくせに長い。

まっくさんのほうで終了宣言出されてますので回答は求めませんが,もしこの解釈で間違ってましたら黙って笑ってやってください。

ここまでお付き合いいただきどうもありがとうございました。

返信する
ゴール・・・でしょうか?! (まっく)
2006-08-24 23:16:24
d_d-さん、こんばんは。



>…意訳しすぎですね。

はい・・・ここは、その下の御説を採って頂ければ m(__)m



元が、踏み込む要のない迷路に入ってしまいましたので、

私のコメントの拙さに、まこと、恐縮の至りです。

こちらこそ、お付き合い頂いて感謝申し上げます。



これにて、私のコメントの締めとさせて頂きます。

有難う御座いました!!
返信する
ゴールですね (^u^) (d_d-)
2006-08-25 12:35:50
互いにコンセンサスが得られたということで

本当に完了ですね。すっきりしました。

同じ考えを持つ者同士でも得られるものがあるというか,勉強になりました。

どうもありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニュース」カテゴリの最新記事