四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

田んぼの「カラス」出来ました!

2011-08-20 12:26:37 | TANBO
出来ちゃいました!
田んぼの「カラス」です!
ホントはもっと時間を開けて発表するつもりでしたが、久保田さんの曲に
入りたいので少し急いじゃいました、スイマセン松田君。

電話で話したようにチープでプリティな動画にしました。
松田君と橋田君に「爆弾」?を仕掛けてあります。
動画をよ~く見るとその意味が分かります、まっ茶目っ気と言う事で御勘弁を。

では、「カラス」をどうぞ!!





静かな朝

2011-08-20 08:53:03 | コラム
静かな朝です。
昨日の朝から続いた大雨は降るだけ降って止みました。
隣家の森の樹々は朝露を残し鮮やかな緑を
窓の外で見せてくれます、夏の緑です。

僕の家の窓は隣家の森の景色を借景として窓に当てはめて作りました。
2階の寝室で目覚めた時に森の景色に出逢う為です。



クラシック・バイオリンを聴きながら書いています。
バッハからベートーベンのバイオリン協奏曲に移りました。
昔は聴けなかったクラシックが今は好きになっています。
僕はバイオリン、ストリングスの音色が好きです。
神田川世代、だからですかね?
神田川や精霊流し のチープなストリングスの音色を聴くと
否応なしにあの頃に引き戻させられます、音楽はタイムカプセルです。



昨夜は動画の編集に集中し崩れる様に寝てしまいました。
次の動画は田んぼの「カラス」です。
聴きなれた曲だし、グルーブ感があって楽しいです。
なるたけチープでプリティー?な作品に仕上げようと思っています。
あの頃の勢いだけが残ればいいと思います、松田にとっても。
この曲はライブでやると楽しい筈です、演奏者が楽しめる音です。
僕も帰省していた時に酔っぱらって松田とこの曲を皆の前で演奏しましたが
とても楽しかったです、ライブを自分で数十年振りにやろうかと思うほど‥

写真のオレンジ色の小さなランプはアロマランプです。
アロマに凝ってます、色々なエッセンスオイルを調合して香りを楽しんでます。
シャワーの後にエッセンスオイルを少し掌に落して首筋に付けて
リラックスしてブログや音楽と向かい会う様にしています。
なるだけ日常の生活感を持ちこまない為です。

昨日のブログの解析データは全てに於いて今迄で1番良かったです。
徳永さんのおかげです。
でも、僕はへそ曲がりの土佐人なので逆にどうでもいい事を書いてしまいます。

カノン・バッヘルベルが流れています。
静かな朝です‥

徳永英明さんともやもや病とVOCALIST

2011-08-19 14:07:56 | 音楽業界
徳永英明さんとの事を以前にブログで少々触れたのでのでその続きです。

僕は昔所属していたライブハウス「新宿ルイード」の事を書こうと思ったのですが
とんだ浦島太郎は「新宿ルイード4」として現存している事を知りませんでした。
当然知り合いの方や僕が昔所属していた組織もあるはずなので、少し躊躇して
タイトルに使いませんでした。
迷惑をかける様な事は有りませんが何分にも浦島太郎の身としては配慮が必要だと考えたからです。

VOCALIST (通常盤)
クリエーター情報なし
ユニバーサル・シグマ


徳永英明さんとはデビュー曲「レイ二ーブルー」の発売以前からのお付き合いです。
徳永さんは新宿ルイードで「マンスリー・ライブ」をやっていました。
尾崎豊さんや、山下久美子さん等も皆「マンスリーーライブ」を経てブレイクして
世の中に出て行った方々です。

彼は福岡は柳川市の出身で、僕と初めての出会いはライブの打ち合わせに御本人が
直接1人でルイードの事務所に来られた時の事です。
僕は徳永さんの顔を知らずに彼をマネージャーかスタッフの方だと思い込み
「徳永さんは何時来ますか?」と聞いてしまいました(笑)
彼は苦い顔で「僕です‥」と答えてくれました。
彼がまだルイードの上の階の居酒屋「水滸伝」でアルバイトをしていた時期です。

余り印象の良くない出会いだったのですが、ライブを重ねるうちに彼と気が合い
良く話をする様になりました。
同じ南の男同士でウマがあった事と、彼の当時所属した音楽事務所は
「新宿ルイード」と同じ企業の傘下にあった事も互いに親近感を持てた理由でしょう?

BATON(通常盤)
クリエーター情報なし
ユニバーサル ミュージック


徳永さんは2001年5月にもやもや病(脳血管障害の一種)の為コンサートを中断します。
厚生省の難病指定にあたる脳血管障害の一種の病気です。
当時のこの情報には治療法がない病気と書いてあって僕は徳永さんの事を心配しました。

翌年には彼はこの難病を克服しステージの上に戻ってきます。
そして2006年に発売された女性ボーカルの楽曲を集めたアルバム「VOCALIST」は
ロングセラーとなり徳永さんのライフワークとも言えるアルバム集に育ちました。

徳永さんは難病と闘いながら自分が「歌手」としての顔を持つ事に気が付いたのでしょう。
自分の死やアーティストとしての自分の事を見つめていたと思います。
このアルバムの表情はそんな大人になった彼の表情を捉えたものだと思います。


「南風」の久保田義雄さんシマレコ参加決定しました!

2011-08-18 12:50:32 | 久保田義雄
コンプリート!!!!

「南風」の久保田義雄さんシマレコ参加決定しました!

「田んぼ」「おにやんま」「南風」の四万十川レコードへの全音源参加決定!凄いね、松田君。
貴方の人脈と人望に深い感謝を覚えると供に尊敬を付加します。
ありがとね、松田。こんなに早くに皆さんからの参加承諾を頂けるとは思ってもいませんでした。

このレーベルの話を松田の家で同級生達と飲みながら話したのが6月だろ‥
その時に前に皆が集まって何かやる話「幡多セブン」だっけそんな話聞いたよね。
俺がYouTUbeを使って仕掛けたい、取りあえず俺に動画が作れるかどうかやってみるって
別れてまだ8月だぜ、ブログの初投稿日から逆算してもまだ20日だよ。

凄く速いよ進行が予定より1年以上も早い、機が熟してたのかな皆の?
全然準備が間に合っていない、コンセプトの説明資料や俺のプロ―フィルを渡さない内に
秀ちゃんなんか動画のアップになってしまったし‥
バタバタだけどこのまま走ってみるか!ホントにありがとね松田、橋田も喜んでたよ‥



by:♥serendipity

「ひと雨ごとに 春はまた遠くなるんだな 春」

このチョッと不条理なフレーズとイントロのエレキのチョ―キングが
大好き南風の「遠い春」を久保田さんの最初の動画にさせてもらおうかな‥

現在の進行状況だと9月中旬以降かなアップのタイミングは。
秀ちゃんの後に松田の「カラス」をアップした後と言う事にさせて貰おうかな?

星空‥

2011-08-16 23:02:37 | コラム
蒸し暑い夏の夜にオジサンは珍しくセンチメンタルになっているので追加ブログを書きます。
星空‥「風の」曲を御存知ですか?


photographer 工藤隆蔵


夏の焼けた砂浜
陽が落ちて熱の引いた砂浜で
アコースティックギター片手に
あの娘と海へ‥んでもって風の星空をスリーフィンガーで弾いて‥

モテたくてギターを覚えましたね、僕は。
男の動機なんて単純なものです、田んぼを組んだ松田が人気者になって
僕は「よ~し俺も!」と組みましたね、グループを。

グループ名は書きませんよ恥しくて、ミュージシャンとしての器は自分が承知してますから。
で、厚かましくオリジナルテープを作って‥ライブをやりましたね。
動員が心配なので「田んぼ」を出して‥
思えば音楽業界での仕事と同じことを高校2年生の時にやってました。
ホールのブッキング、stage制作、そしてアーティストのブッキング。
楽曲の制作とまるで同じことをすでにやってました17歳の時に。

カミングアウト!
あの時のテープの曲を僕のオリジナル曲として皆に言ってましたが
実は作曲は田んぼの松田君でした!詞は僕でしたが‥
スイマセン当時の彼女のNさん、僕は嘘つきです。

一人だけデモテープのコーラスの声を聴いて「松田」だと
分かった方がいました、同級生のM(あんまり名前を書くと怒られそうなので止めます)
さんです、「この声松田君だよね?」はい、その通り!
ついでに言います、僕はリードギター担当だったのですが実はあのテープの演奏も全部「松田」です。
度々謝ります、当時の彼女のNさん、僕はギターあんなに上手くないです。



by:Môsieur J. [version 3.0b]

スタンド・バイ・ミーと言う映画が好きです。
原作があのホラー小説の大家のスティーヴン・キングなのが驚きです。
スティーヴン・キングは僕も少しハマった時期があって「グリーンロード」や
「アトランティスのこころ 」等の本を読みました。
スティーヴン・キングは別のペンネーム、リチャード・バックマン名義で
「バトルランナー」なんて作品も残していますね。

今の僕はあのスタンドバイミーで過去を語る人物と同じなのかも知れません。
「ニューシネマ・パラダイス」で故郷に帰らなかった映画監督のトトかも知れません。
でも、今僕は仲間と一緒に冒険の旅に出ようとしています。

ヒノキの棒だけで盾も武器も持たないシンマイの旅人です‥
レベル1からのスタートで賢者になれる日は遥か遠くの事になるでしょう。

森秀一「魂拓人contact」完成しました!!

2011-08-16 14:48:46 | 森秀一



出来ました、秀ちゃんの「魂拓人contact」の完成です。
正直スゴク大変でした、初めての編集ソフトで使い方は分からないし
データも重くてインスツールに一晩かかりました。
しかし何ですね、アメリカの会社はどうしてこうタカビー(死語?)
何でしょうね、大事な所は全部英語だし‥
分かる訳ないです、英語が駄目で危うく校長室で一人卒業式をしそうになった男に‥

投稿用に動画を変換するやり方がどうしても分から無くて一晩中挌闘して
ああ~もう無理!!と思って初めて説明書のデータを見たら書いてありました。
当たり前か、基本情報だし。

人の言う事を聞かない土佐人気質(?あれ、俺だけかも‥)が災いして
無駄な夜を過ごしてしまいました。

YouTuneに投稿してから、×が2ヶ所と△が1ヶ所あるのに気が付きましたがもう無理。
YouTubeに投稿するのにさえ小1時間かかる重いデータです、やり直す気になれませんでした。
最高画質MPEZ‐4ファィルでHDディスク対応です。
このデータを安定させる為の方法をYouTubeが指定してたけど無理。
読む気にもなりません、根気の無い性格です。

田んぼの皆さんスイマセンね、皆さんの楽曲と画像のクオリティーが違っていて‥
先ずは動画の編集を理解する過程だったので作品が稚拙なのはご勘弁を‥
次の曲で挽回させて下さい。

え~、森秀一さん如何でしょうか、この動画は?
気に入ってくれると有難いです。
僕も曲に引っ張られて少し「自分らしくない画像」のセレクトになった事に
驚きました、凄い楽曲の力です。

YouTubeのコメントには「出前ライブ」の事も入れて置きました。
何か注文があれば連絡下さい、これからも宜しくお願いします。

※ 動画を御覧の皆様へ、情報が重いので一回の試聴だけでは画像が止まります。
  繰り返し見ればスムーズに見られます、ズルイですか?

今、現在のCURO‥

2011-08-15 14:30:58 | CURO
今月の末に下北沢にTOMOVSKY(トモフスキー)のバンドバージョンライブを見に行きます。
彼は、元カステラのVoの大木知之くんです。
6月に17~8年振りに彼にcontact(あれ?秀ちゃん?)を取りました。

音楽の世界の体と感を取り戻す為です。
大木君は非常に驚いた反面とても嬉しかったそうです。
このやり取リはパソコンのメールでの話です。

彼はあの時代の自分を僕に謝るとともに「とても会いたかった」と言って呉れました。
そして、「カステラ」の事は自分の誇りであると言って呉れました。
嬉しかったです‥読んでいて涙が零れました‥



僕のカステラに対するマネージメントは完璧であったとの言葉も貰いました。
音楽業界の浦島太郎にはとても勇気の出る言葉でした。
僕と大木とはいや、カステラのメンバーとはライブの打ち上げ以外では酒を飲みに行った事も
プライベートで会った事も無かったと思います。

あっ、説明が抜けてます、CUROは彼等の音楽プロダクション(有)カステラの元代表取締役です。
僕はあの時代を全力で全速で体力の限りを尽くして走り切りました、何の後悔もありません。
男が全体力と愛情を掛けて育てたバンドです、大好きでした彼等の音楽が‥

でも、どんなに愛しても物事には別れがあります‥バンドの解散と供に僕は空っぽになりました。
音楽に対してスカスカになりました。
アーティストとマネージメントスタッフとの関係は恋愛と一緒です。
好きだから‥愛しているから一緒にいられるのです。

そして僕は音楽を封印して永い眠りにつきました‥
その間に世の中は大きく変わりました、僕も年を取りました。

数年前にふと「俺は何であんなに音楽が好きだったのだろう‥?」と考えました。
暫くぼけ~と考えながら月日を過ごして「ああ、そうか!」と気がつきました。

僕の音楽のスタートは「おにやんま」のステージで田んぼの松田との楽曲作りでした。
それに気がついたらあの頃の音楽が懐かしくて堪りませんでした。
それで松田とアコーステック・ユニットを組んで貰いYUSIMAで「沈下橋」をネット上で発表しました。

そして1年が過ぎ、僕はあの時代の音全部が好きで、そして欲しくて堪らなくなりました。
「田んぼ」「南風」「おにやんま」‥それを紹介するレーベルが欲しくなりました。
レーベルネームは僕の故郷の四万十川‥バタ臭いけど真実です。

松田の奔走のおかげで皆さんの参加承諾を(おっと頼むぞ松田、久保田さんの事!)頂きました。
とても幸せです、僕は音楽ビジネスのプロでしたが、このレーベルでお金を儲けようとは夢にも
考えていません、このレーベルは僕等の音楽が好きな人達が作るレーベルです。
好きになった人が勝手に応援して下さい、その為にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを
フリーにしたのです、好きにやって下さい土佐人らしく。

僕等の県の向う、太平洋には大海原があります‥そしてこの動画の世界の向うには6億の
YouTubeユーザーがいます、どうぞ皆さんの御力を貸して下さい‥
そして一度でも僕等の音楽を聴いた事がある方はその事を先ずは身近な人に話して下さい。
僕等の音楽は貴方の生活と一緒にあります‥2001年8月15日 CURO

CUROのプロフィール

2011-08-15 13:17:30 | CURO
今日は続けて投稿します、このブログを書いているCUROのプロフィールです。



1978年、高知県立中村高等学校をようやく、ようやく、土下座して卒業

1978年、「専門学校」に行くと親に嘘を言って「作詞家」になる為上京。

1980年頃?、アルバイトをしながら作詞家&音楽ライターを目指して低迷期。
この頃にどう言う偶然からからか、世田谷区は下北沢駅ホームにて「聖徳女子高校」の
女子高生の残り香をホームにて堪能していた田んぼのメインVo,橋田昭和と再会。

「CURO(もちろん本名)やないがか?」見りゃ分かるだろ!「おうっ!」
「何しようがぜ?」何とかならんかその幡多弁!「仕事、お前は?」「女の子見よった」
お前らしいわっ!「そうか、何で東京に?」「音楽をやりに」「そうか‥」と再会。

1年ほど2人で楽曲を作るがCUROにはめ込みの才能(先にあるメロディーに詞をつける事)が
無かった為作品を残せず、この間、橋田には飯を食わせて貰ったりお金を貸して貰ったりと
随分と世話になり感謝するも、酒が入るとそれを恩に着せる橋田に切れ泥酔の橋田を飲み仲間と
素っ裸にして顔に落書きし、鼻の穴に豆を詰め自宅アパートの押し入れに放置、橋田死にかける。
この時の証拠写真あります、見ます?橋田さん。

1983年、東京の音楽仲間の紹介で「新宿ルイード」に入社、実質の音楽業界人生のスタートを切る。
「新宿ルイード」はシャネルズ、佐野元春、山下久美子、渡辺美里、尾崎豊等を輩出した伝説のライブハウス。
ちなみにCUROは徳永英明のデビュー曲「レイニーブルー」時からの付き合い。
「徳ちゃん」「CURO」さんと呼ばれる関係を構築、今は無理、当然「徳永さん」

1983年暮れ、遅刻ばかりしていた為当時の「新宿ルイード」のプロデューサーの怒りが爆発!
「お前は北に行け!!」と左遷、埼玉県に飛ばされる。
しかし人間何がラッキーになるか分からない、この事件のお陰で怒涛のラッキー人生のスタート。

埼玉県のライブハウスでくすぶっている時に後のバンドブームと呼ばれるアーティストのライブを
手掛ける、ユニコーン、エレカシ、X,ジュンスカ、ブルハ、プリプリ,etcと全て?のバンドと出会う。

波に乗るには波が来る場所に居る必要があるByCURO,でバンドブームの波に乗り「カステラ」と
と供にメジャーシーンに乱入、カステラデビューアルバム「世界の娯楽」オリコン初登場3位。
この時点では波の来るチャゲ&飛鳥より上位の成績、イニシャル5万枚。トータルセールスス9万枚。
時代のトップグループにポジションニング、調子に乗る。

追加、Xのディレクターは友人でXの代々木オリンピック公演のコンサートを見に行った際、プリプリの
奥居香さんと再会、一緒にタクシーで六本木の「ピット・イン」にライブを見に行く。
おりっ?と喜んでいると「当時の彼氏」の雰囲気と似てたらしい、「岸谷五郎」さんか‥
そらゃ、似てるはな、彼も地元では伝説のヤンキーでしょ、今は旦那さんだし。

てな訳で、一応音楽業界のトップシーンを見て来ました。
その後引退して20年弱、今どうしてもあの頃の四万十市の音を紹介したくてしかたないのです。

四万十川レコードのクリエイティブ・コモンズ・ライセンスについて‥

2011-08-15 11:56:02 | CC(クリエイティブ・コモンズ)フリー
お盆なのに少々難しい話と、業務連絡をこのブログを通じて行います、御了承下さい。
我々、四万十川レコードの作品はYouTubeに於いて
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス・フリーの表記をしています。





また、このブログの中にもクリエイティブ・コモンズ・ライセンス利用につてのブログがあります。
では、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスと言う聞きなれない言葉の意味は一体何でしょう?
単純に言うと「この条件を守れば私達の作品を自由に使って良いですよ」と言う考えです。

URL http://creativecommons.jp/licenses/ 貼り付けて参照

普通は全ての著作物には「著作権」があります。
僕が居た音楽業界はこの著作物を売って利益を上げる業界です。
その世界から言えば著作物の版権を放棄する考え方は許されません、敵です。
でも僕は敢て業界の敵であるクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをフリーにしました。

理由は下記の通りです。
1、四万十川レコードの音源、画像は日本音楽著作権協会(JASRAC)の登録を行っていません。
2、僕は四万十川レコードの存在を非営利団体として考えています。
3、僕は一人でも多くの人に「四万十川レコード所属のアーティスト」の楽曲を知って欲しいと思うからです。

CCライセンスはインターネット時代のための新しい著作権ルールです。
僕はネットに投稿する作品はこのルールさえ守れば「著作権フリー」で良いのではないかと思います。
より多くの国や人種の壁を取り払うには情報の共有が有効であると思うからです。

砕いてい言うと「ドラゴンボール」を知っている人が増えれば増える程、「ドラゴンボール」と言う
共有アイテムに於いての会話が成立します。
「ドラゴンボール」を「政治、宗教」に置き換えるともっと良く分かるでしょう。
人間は情報の共有の無い存在をどうしても敵視します、理解の範囲内でしか思考しません。

ああ、難しい!!止めた。
要は皆が知っている事が増えれば楽しいじゃん、と言う事です。
理屈はイイですから僕等の楽曲を気に入ったら、ドンドンコピーして配っていいです。
但し、曲名とレーベル名は表記、もしくはお話下さいと。
後、勝手に販売は行けませんよと、その場合はキッチリ請求しますよと言うことです。

大変分かりにくいブログになりましたが続きがあります。

え~、田んぼの皆さん、おにやんまの森秀一さん、参加予定の(頼むぞ松田、書いたぞ、久保田さんに
連絡だ!)南風の久保田義男さんに向けて言います。
僕CUROは、上記の理由から「四万十川レコード」を発足しました。

皆さんの音楽を世界のYouTubeユーザーに向けて配信します。
その為にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをフリーに設定しました。
御了承下さい‥

??何で今頃こんな大切な事をブログでと思った読者の方、スイマセン。

余りにこのプロジェクトの進行が早くて、説明が間に合いませんでした。
実際、僕は森秀一さんにも久保田さんにも会った事無いです。
全部田んぼの松田の人脈です。
しかし、松田が田んぼのあの曲の作詞をしたあいつだと言えば少しは分かって貰えると思います。
30年以上前からあの町に僕の歌はありましたから‥

八月の蜃気楼がYouTubeでゆっくりと閲覧回数を増やしています。

2011-08-13 17:18:49 | TANBO
八月の蜃気楼がYouTubeでゆっくりと閲覧回数を増やしています。
「沈下橋」は橋田さんに抜かれました‥。

良かったですね橋田さん、やっぱりイイ曲です。

でもね、橋田さん。
貴方はこのブログに来る事も出来ないので書きますが「おにやんま」の秀ちゃん、
四万十川レコードへの参加、正式にOKをくれましたよ。

僕も松田も橋田さんにこの事を言ってないですね。
今後も何かのついでがあれば連絡しますが、お盆で友達とお酒を飲むのが
忙しそうな橋田さんには言いません、飲みすぎないようにね。

実は森秀一さんの動画‥もう出来てます、寝ないで作りました。
楽曲は御本人の方からのリクエストで「魂拓人・contact」と言う曲です。
すごく力のある曲で僕も曲に引っ張られて夢中で作りました。
やっぱり秀ちゃんの声と曲は凄いです、改めて尊敬し直しました。



by:paolofefe

作り終えて一冊の分厚い本を読んだような疲労感と高揚感が残りました。
良い本に出逢えるのと同じで、良い楽曲に巡り合えた幸せを感じます。

一晩寝かせて、これで良いのか待ってます。
自分の作品と違い勢いだけで出せる方の曲では無いので慎重にしてます。

細かい所のチェックを検証してお盆明けの発表になると思います。
橋田さん、この曲は凄いですよ。
僕も動画ソフトや編集ソフトを投資して本気で作りました。
現時点のベストです、それだけの事はやりました。
橋田さんのお酒が抜ける頃に連絡します。

元おにやんまのVo,森秀一氏の「シマレコ」参加の許諾を頂きました。

2011-08-11 03:55:12 | 森秀一
嬉しいなっ!元おにやんまのVo、森秀一氏の四万十川レコード参加の許諾を頂きました。
本当に嬉しいです‥僕が音楽を始めたきっかけを作ってくれたのが中学の時に見た
「おにやんま」の幡多文化センターのコンサートでした。

四万十市の住人の方、懐かしいですねあの建物、田んぼの第一期のラストコンサートでは
あの小屋に人が入りきらなかった伝説を残しています。

もう無いんですよね幡多文化センター‥時の流れを感じます。
中高(なかこう)の昼休みにあの建物の裏側でよく煙草吸ってたっけ‥
未成年の喫煙は法律で禁じられています。

あの日に聞いた「おにやんま」や「もう海には誰もいない」
その他の曲から受けた衝撃は今も覚えています。
「俺もやりて~!」と思って音楽に目覚めたのが、僕の音楽人生のきっかけです。





そう言う意味で僕の音楽の大先輩であり、僕の音楽業界生活
(過去ですよ、今はいません)の恩人です。
謹んで参加許諾の御礼申し上げます、頑張りますのでこれから宜しくお願いします。
仲介の労を取ってくれた「田んぼ」の松田君、御苦労さまでした。

資料音源の「もう海には誰もいない」のコーラスに中高の同級生のMさんが入っていると
松田から聞いたのでチェックしたらいます、確かに懐かしい彼女の声でした。
Mさんは確かに歌が上手かった事を思い出しました。
大変お上手です、松田達とあのコーラスをやれたのは大したものです。

感動したのでご本人に直接コンタクトをとって連絡しました。
彼女は躊躇なく知らない携帯番号の僕の電話に出てくれました。

雅子さん、知らない人の電話には出ては駄目ですよ、暇な時はメール下さい。
森秀一さんの動画のアップは8月末か9月の頭で考えています。

今から動画の制作に入ります。
当分睡眠不足が続きそうですが大変嬉しい事なので寝ないで頑張ります。

四万十川、天然鰻のお重¥8750円、如何です高知県人の方?

2011-08-10 23:59:19 | 食べ物
高知県人の皆さん、郷土、四万十川の天然鰻お重が僕の町の

駅ビルの鰻屋さんでは上記タイトルの値段で売られています。

如何ですかこのお値段、食べてみたいですか?



ど~ん、と¥8750円のお重、写真はサンプルです、実物を撮り行く予算などありません。

しかし、凄いですね四万十川ブランド、高級です。
ガッチョ(手長海老を僕の町ではこう言います)は一匹幾らになるんだろ?
あんまり高くないかな?

アオサ、アオノリ、ニナ、フノリ。懐かしい響きの食べ物です。

田んぼの橋田さん、貴方の家の近くを流れる綺麗な小川には鰻はいますか?
いたら捕まえて来て僕の所に送って下さい、松田君はガッチョをお願いします。
この夏の田んぼからのお中元はそれで良いです、お願いします。

祭りの準備は出来ましたか?

2011-08-09 09:37:53 | 音楽業界
祭りの季節です、日本中で様々な祭り開催されます。

特に今年は震災の影響で日本の祭りまで揺れていました。
皆さんの地域の祭りが、無事に終わると良いですね。

僕の田舎の祭りは「太鼓台」と呼ばれるものですが過疎化の影響で
年々担ぎ手が減り開催にも苦労するようになっているみたいです。
中学の先輩が保存会を作って頑張ってくれているようです。
頭が下がります、何もお手伝いしていなくて恐縮ですが頑張って欲しいと思います。



北の祭りの花火を友人が送ってくれました。
携帯の画像だそうですが携帯でこれを撮れる事に感動します。
シルエットの親子が美しいです、良い思い出になった事だと思います。

「祭りの準備」と言うATG(アート・シアター・ギルド)の邦画があります。
1975年製作、黒木和雄監督、江藤潤主演、そして脚本の中島 丈博(なかじま たけひろ)さんは僕の中学、そして僕には高校の先輩にあたります。

中島さんのお父さんは日本画家の中島敬朝さんで、太平洋戦争の影響で京都から
僕の生まれた小さな港町に疎開されて来られたようです。
そしてあの町の持つ底抜けに明るい陽気さ、エネルギーに驚かれたそうです。
良く分かります、独特のエネルギーがあの町にはあります。

祭りの準備 [DVD]
クリエーター情報なし
ジェネオン エンタテインメント


準主演の原田芳雄さんが先日お亡くなりになりました。
どの映画にも出てる、と言うほど映画を愛した俳優さんです。
原田さんは良くライブをやられていた時期があって、片手にバーボンを持ちながら
楽しそうにブルースを唄っていました、僕も何回か一緒にお仕事させて頂きました。
淋しがり屋の原田さんは何時も自宅に友人を招待してお酒を楽しまれた方です。
まるで土佐人の酒の飲み方です、御冥福をお祈りします。 

土佐の夏は台風の夏

2011-08-07 15:26:44 | コラム
今年の土佐の台風は如何でしょうか?
こんな事言うと怒られそうですが僕は台風の海や風の音が大好きです。

強い雨や風が吹いて海が荒れると子供の頃の僕等は訳もなく興奮して
「海、見に行こう!」と自転車で友人達と海まで走ったものです。
自然の持つ棲ざましいエネルギーに子供の僕は感動していたのだと思います。

関東は土佐程強い台風が来るのはまれなので少し淋しい?です。
ああ、荒れたあの海が見たいな~。



土佐の風景ではありません。
土佐よりもっともっと上の日本の北に住む友人が送ってくれた画像です。
「緑のトンネル」と言うタイトルがありました。
澄んでいますね空気が、樹々の緑も土佐よりも薄い気がします。

土佐の太陽は全ての色を焼き尽くしてしまいます。

田舎に帰ると太陽に焼かれた色褪せた看板を見て
「ああ、帰って来たな~」と思います、空港から駅へ向かう道の景色の事です。

山桃のある家

2011-08-05 15:39:32 | コラム
この間の6月に田舎の実家に私用があって帰っていました。

その時に松田が同級生を何人か集めてくれてミニ同窓会を松田の家でやりました。

参加メンバーの中には何と30年振り?なんて女の子もいました、あいだ空きすぎです。

松田の家には「山桃」の樹があって、僕が1番好きな果実です。

高知県人はもちろん知っていますよね、何しろ県花ですから。



早く食べたくて一人だけ先に行って脚立に登って沢山食べました。

生のものを樹に登って食べるなんてこれも30年ぶり位の出来事です。

随分歳取ったもんだと思います‥

おかげ様でこのブログも毎日沢山の方の来客を頂いています。
これからも皆さまのお越しを心よりお待ち致しております。