四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

今、現在のCURO‥

2011-08-15 14:30:58 | CURO
今月の末に下北沢にTOMOVSKY(トモフスキー)のバンドバージョンライブを見に行きます。
彼は、元カステラのVoの大木知之くんです。
6月に17~8年振りに彼にcontact(あれ?秀ちゃん?)を取りました。

音楽の世界の体と感を取り戻す為です。
大木君は非常に驚いた反面とても嬉しかったそうです。
このやり取リはパソコンのメールでの話です。

彼はあの時代の自分を僕に謝るとともに「とても会いたかった」と言って呉れました。
そして、「カステラ」の事は自分の誇りであると言って呉れました。
嬉しかったです‥読んでいて涙が零れました‥



僕のカステラに対するマネージメントは完璧であったとの言葉も貰いました。
音楽業界の浦島太郎にはとても勇気の出る言葉でした。
僕と大木とはいや、カステラのメンバーとはライブの打ち上げ以外では酒を飲みに行った事も
プライベートで会った事も無かったと思います。

あっ、説明が抜けてます、CUROは彼等の音楽プロダクション(有)カステラの元代表取締役です。
僕はあの時代を全力で全速で体力の限りを尽くして走り切りました、何の後悔もありません。
男が全体力と愛情を掛けて育てたバンドです、大好きでした彼等の音楽が‥

でも、どんなに愛しても物事には別れがあります‥バンドの解散と供に僕は空っぽになりました。
音楽に対してスカスカになりました。
アーティストとマネージメントスタッフとの関係は恋愛と一緒です。
好きだから‥愛しているから一緒にいられるのです。

そして僕は音楽を封印して永い眠りにつきました‥
その間に世の中は大きく変わりました、僕も年を取りました。

数年前にふと「俺は何であんなに音楽が好きだったのだろう‥?」と考えました。
暫くぼけ~と考えながら月日を過ごして「ああ、そうか!」と気がつきました。

僕の音楽のスタートは「おにやんま」のステージで田んぼの松田との楽曲作りでした。
それに気がついたらあの頃の音楽が懐かしくて堪りませんでした。
それで松田とアコーステック・ユニットを組んで貰いYUSIMAで「沈下橋」をネット上で発表しました。

そして1年が過ぎ、僕はあの時代の音全部が好きで、そして欲しくて堪らなくなりました。
「田んぼ」「南風」「おにやんま」‥それを紹介するレーベルが欲しくなりました。
レーベルネームは僕の故郷の四万十川‥バタ臭いけど真実です。

松田の奔走のおかげで皆さんの参加承諾を(おっと頼むぞ松田、久保田さんの事!)頂きました。
とても幸せです、僕は音楽ビジネスのプロでしたが、このレーベルでお金を儲けようとは夢にも
考えていません、このレーベルは僕等の音楽が好きな人達が作るレーベルです。
好きになった人が勝手に応援して下さい、その為にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを
フリーにしたのです、好きにやって下さい土佐人らしく。

僕等の県の向う、太平洋には大海原があります‥そしてこの動画の世界の向うには6億の
YouTubeユーザーがいます、どうぞ皆さんの御力を貸して下さい‥
そして一度でも僕等の音楽を聴いた事がある方はその事を先ずは身近な人に話して下さい。
僕等の音楽は貴方の生活と一緒にあります‥2001年8月15日 CURO

CUROのプロフィール

2011-08-15 13:17:30 | CURO
今日は続けて投稿します、このブログを書いているCUROのプロフィールです。



1978年、高知県立中村高等学校をようやく、ようやく、土下座して卒業

1978年、「専門学校」に行くと親に嘘を言って「作詞家」になる為上京。

1980年頃?、アルバイトをしながら作詞家&音楽ライターを目指して低迷期。
この頃にどう言う偶然からからか、世田谷区は下北沢駅ホームにて「聖徳女子高校」の
女子高生の残り香をホームにて堪能していた田んぼのメインVo,橋田昭和と再会。

「CURO(もちろん本名)やないがか?」見りゃ分かるだろ!「おうっ!」
「何しようがぜ?」何とかならんかその幡多弁!「仕事、お前は?」「女の子見よった」
お前らしいわっ!「そうか、何で東京に?」「音楽をやりに」「そうか‥」と再会。

1年ほど2人で楽曲を作るがCUROにはめ込みの才能(先にあるメロディーに詞をつける事)が
無かった為作品を残せず、この間、橋田には飯を食わせて貰ったりお金を貸して貰ったりと
随分と世話になり感謝するも、酒が入るとそれを恩に着せる橋田に切れ泥酔の橋田を飲み仲間と
素っ裸にして顔に落書きし、鼻の穴に豆を詰め自宅アパートの押し入れに放置、橋田死にかける。
この時の証拠写真あります、見ます?橋田さん。

1983年、東京の音楽仲間の紹介で「新宿ルイード」に入社、実質の音楽業界人生のスタートを切る。
「新宿ルイード」はシャネルズ、佐野元春、山下久美子、渡辺美里、尾崎豊等を輩出した伝説のライブハウス。
ちなみにCUROは徳永英明のデビュー曲「レイニーブルー」時からの付き合い。
「徳ちゃん」「CURO」さんと呼ばれる関係を構築、今は無理、当然「徳永さん」

1983年暮れ、遅刻ばかりしていた為当時の「新宿ルイード」のプロデューサーの怒りが爆発!
「お前は北に行け!!」と左遷、埼玉県に飛ばされる。
しかし人間何がラッキーになるか分からない、この事件のお陰で怒涛のラッキー人生のスタート。

埼玉県のライブハウスでくすぶっている時に後のバンドブームと呼ばれるアーティストのライブを
手掛ける、ユニコーン、エレカシ、X,ジュンスカ、ブルハ、プリプリ,etcと全て?のバンドと出会う。

波に乗るには波が来る場所に居る必要があるByCURO,でバンドブームの波に乗り「カステラ」と
と供にメジャーシーンに乱入、カステラデビューアルバム「世界の娯楽」オリコン初登場3位。
この時点では波の来るチャゲ&飛鳥より上位の成績、イニシャル5万枚。トータルセールスス9万枚。
時代のトップグループにポジションニング、調子に乗る。

追加、Xのディレクターは友人でXの代々木オリンピック公演のコンサートを見に行った際、プリプリの
奥居香さんと再会、一緒にタクシーで六本木の「ピット・イン」にライブを見に行く。
おりっ?と喜んでいると「当時の彼氏」の雰囲気と似てたらしい、「岸谷五郎」さんか‥
そらゃ、似てるはな、彼も地元では伝説のヤンキーでしょ、今は旦那さんだし。

てな訳で、一応音楽業界のトップシーンを見て来ました。
その後引退して20年弱、今どうしてもあの頃の四万十市の音を紹介したくてしかたないのです。

四万十川レコードのクリエイティブ・コモンズ・ライセンスについて‥

2011-08-15 11:56:02 | CC(クリエイティブ・コモンズ)フリー
お盆なのに少々難しい話と、業務連絡をこのブログを通じて行います、御了承下さい。
我々、四万十川レコードの作品はYouTubeに於いて
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス・フリーの表記をしています。





また、このブログの中にもクリエイティブ・コモンズ・ライセンス利用につてのブログがあります。
では、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスと言う聞きなれない言葉の意味は一体何でしょう?
単純に言うと「この条件を守れば私達の作品を自由に使って良いですよ」と言う考えです。

URL http://creativecommons.jp/licenses/ 貼り付けて参照

普通は全ての著作物には「著作権」があります。
僕が居た音楽業界はこの著作物を売って利益を上げる業界です。
その世界から言えば著作物の版権を放棄する考え方は許されません、敵です。
でも僕は敢て業界の敵であるクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをフリーにしました。

理由は下記の通りです。
1、四万十川レコードの音源、画像は日本音楽著作権協会(JASRAC)の登録を行っていません。
2、僕は四万十川レコードの存在を非営利団体として考えています。
3、僕は一人でも多くの人に「四万十川レコード所属のアーティスト」の楽曲を知って欲しいと思うからです。

CCライセンスはインターネット時代のための新しい著作権ルールです。
僕はネットに投稿する作品はこのルールさえ守れば「著作権フリー」で良いのではないかと思います。
より多くの国や人種の壁を取り払うには情報の共有が有効であると思うからです。

砕いてい言うと「ドラゴンボール」を知っている人が増えれば増える程、「ドラゴンボール」と言う
共有アイテムに於いての会話が成立します。
「ドラゴンボール」を「政治、宗教」に置き換えるともっと良く分かるでしょう。
人間は情報の共有の無い存在をどうしても敵視します、理解の範囲内でしか思考しません。

ああ、難しい!!止めた。
要は皆が知っている事が増えれば楽しいじゃん、と言う事です。
理屈はイイですから僕等の楽曲を気に入ったら、ドンドンコピーして配っていいです。
但し、曲名とレーベル名は表記、もしくはお話下さいと。
後、勝手に販売は行けませんよと、その場合はキッチリ請求しますよと言うことです。

大変分かりにくいブログになりましたが続きがあります。

え~、田んぼの皆さん、おにやんまの森秀一さん、参加予定の(頼むぞ松田、書いたぞ、久保田さんに
連絡だ!)南風の久保田義男さんに向けて言います。
僕CUROは、上記の理由から「四万十川レコード」を発足しました。

皆さんの音楽を世界のYouTubeユーザーに向けて配信します。
その為にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをフリーに設定しました。
御了承下さい‥

??何で今頃こんな大切な事をブログでと思った読者の方、スイマセン。

余りにこのプロジェクトの進行が早くて、説明が間に合いませんでした。
実際、僕は森秀一さんにも久保田さんにも会った事無いです。
全部田んぼの松田の人脈です。
しかし、松田が田んぼのあの曲の作詞をしたあいつだと言えば少しは分かって貰えると思います。
30年以上前からあの町に僕の歌はありましたから‥