小児アレルギー科医の視線

医療・医学関連本の感想やネット情報を書き留めました(本棚2)。

エボラ出血熱 2018

2018年09月20日 15時26分50秒 | 感染症
 5年前は「日本も他人事ではなく危ないのではないか」と危機感を募らせたエボラ出血熱。
 その後制圧され、現在は「喉元過ぎれば・・・」のパターンで忘れられつつあります。
 そんなタイミングで、録画してあったエボラ出血熱のドキュメンタリーを2つ見てみました。

BS世界のドキュメンタリー「エボラ出血熱 その謎に迫る」2014.11.28:NHK-BS



<番組紹介>
2013年末から西アフリカを中心に過去最大の猛威をふるうエボラ出血熱。そのウィルスはどこからきたのか、そして、どうやって広がっていったのか。さまざまな角度から取材し、その正体に迫る。
西アフリカ各地で感染患者の治療に当たる医療関係者が現状を報告。また、現地で感染し、未承認薬によって回復した医師や看護師がその体験を語る。
今回の流行が確認されたのは、患者第一号となったギニア共和国の少年が死亡してから14週間も経った後だった。なぜ防止対策が遅れ、患者数が急増してしまったのか。
エボラ出血熱のウィルスは、1970年代、中央アフリカからベルギーの熱帯医学研究所に届いた血液サンプルから検出された。研究者は、見たこともない紐状のウィルスの出所へと急遽向かい、恐ろしい感染症の症状と感染経路を明らかにする。エボラ熱の治療が困難な理由は、ウィルスが体内で繁殖するしくみにあった・・・。
実は15年前ウガンダでエボラ熱が流行した際、自力で治癒した免疫力の強い人々がいた。いま彼らの血液から採取した抗体を使って治療薬の開発が進められている。

原題:Ebola - The Search for a Cure
制作:BBC(イギリス:2014年)


 番組を見ながらメモした内容です;

最初の患者は2013年12月に西アフリカのギニアで発生した。
感染源はアフリカオオコウモリと考えられる。ギニアには野生動物の肉を食べる習慣がある。
ウイルスは村に持ち込まれる。最初の患者の葬儀に参加した人々に感染したのだ。
流行を認識したのが最初の犠牲者発生から3ヵ月後、初動が遅れたため、拡大阻止が困難となった。
感染者の半分が命を落とした。多くは発症から12日以内である。
エボラウイルスは遺体からも感染する。

エボラウイルスが発見されたのは40年前。1976年にイギリスで分離された。
検体はザイールのキンシャサからの血液サンプルでキリスト教伝道施設の修道女のものだった。
謎のウイルスは、近くの川の名前から「エボラ」と名付けられた。
その施設では医療機器が不足し、注射器を使い回していた。
感染拡大の一因として、遺体を参列者が洗う習慣が指摘された。
エボラウイルスは空気感染ではなく体液を介する感染である。

2014年4月にはギニアの隣国のギニアとリベリアに感染が拡大した。
2013-14年の流行以前のエボラウイルスによる死者は1700人だったが、この流行だけでその数を上回った。
以前はアフリカの地方・奥地に限定されていたが、2014年7月にナイジェリアの都市ラゴスに持ち込まれた。
エボラウイルスの潜伏期間は最大21日間あり、感染拡大防止は困難である。
当時エボラウイルスに有効な薬はなく、医師にできることは痛みを和らげることだけだった。

エボラウイルスに対する治療の研究は世界中で行われている。

ウガンダではエボラ感染の克服者の追跡調査を行っている。
免疫機能と抗体である。

カナダのコビンジャー博士が開発した薬(ウイルスが細胞に侵入する際に使う突起に対する抗体)が、リベリアでエボラを発症したアメリカ人ブラントリー医師に投与された。
その後患者はアメリカに移送され一命を取り留めた。
コビンジャー博士が使用した薬は3種類の抗体を混ぜた“カクテル”だった。
その次の段階、薬の増産が課題である。


まだ、西アフリカにおける流行が制圧できていない段階で制作された番組です。
生存者から血液を採取して、有効な抗体を見つける作業は、映画「アウトブレイク」の一場面を想起させました。

もう一つのドキュメンタリーはシエラレオネを舞台にエボラウイルスと格闘したカーン医師の闘いに焦点を当てたものです。


NHKスペシャル「史上最悪の感染拡大 エボラ 闘いの記録」2016.2.12:NHK



<番組紹介>
史上最悪となった今回のエボラウイルスの感染拡大。感染者28637人、死者11315人(12月20日現在)にのぼり、間もなく終息宣言が出される見込みだ。最も多くの感染者がでたシエラレオネで、世界から注目を集めているのが「ケネマ国立病院」だ。当時、二次感染につながるとして避けられていた定期的な点滴や検診を実施、多くの患者を救っていたのだ。さらに、感染拡大を未然に防ぐ可能性があった“警告”を発していた。しかし、国際社会から見過ごされ、資材や人材の支援が不足する中、スタッフは二次感染によって次々と死亡、病院は崩壊してしまう。国際社会や政府の無関心、住民の偏見、そしてスタッフの間に生まれる恐怖・・・・・・。命をかけて闘い続けた医師たちの知られざる日々を、膨大な現地映像や生存者の証言によって描き、グローバル化によって様々な感染症のリスクが世界に広がる中、いま何が求められているのか探る。



以下は視聴中のメモです。

2016年1月にWHOが感染終息を宣言したエボラ出血熱。
今回のアフリカ西部の感染爆発の連鎖を遡っていくと、シエラレオネのクポンドゥ村にたどり着く。
その村で感染対策に奔走したのはケマネ国立病院で働いていたウマル・カーン医師。しかし彼の訴えが国際社会に届かないうちに彼自身が感染し孤独の中で命を落とした。

ケマネ病院での最初の患者は19歳の妊婦、ヴィクトリア・イラー。点滴を刺したところからの出血が止まらなくなった。
それまではギニアとリベリアで散発し、治まりつつあったタイミング。
リベリアに向かった調査隊は、患者全員が女性であることを不思議に思い、調査を進めると発症者は皆3週間前にクポンドゥ村の祈祷師の葬儀に参加していたことが判明した。
この地域の葬儀は、遺体を素手で洗う習慣がある。その作業・儀式中に血液・体液に触れて感染したと考えられた。

カーン医師は感染者が十数人のときに、道路を閉鎖して村を隔離するよう政府に進言したが、政府は腰が重かった。

患者は約10日間で死亡していった。
2週間しのげば、回復する可能性が高くなった。
カーン医師は点滴で粘り、イラーさんは回復して退院できた。

カーン医師は患者から採取したエボラウイルスのサンプルをアメリカのハーバード大学に送り続けた。
エボラウイルスは感染中に変化するという特徴がある。

最初の患者発生から17日で、クポンドゥ村から道路沿いに感染が拡大していった。
感染を封じ込めるために患者をケネマ病院に集めようとしたが、「病院に連れて行かれると生きて帰って来れない」と搬送を拒否されることもあった。
ケネマ市でも患者が増え隔離病棟はあふれ、首都フリータウンに感染が拡大しつつあった。
このタイミングで、WHOがケネマ病院に医師を派遣した(現・豊島病院の足立拓也医師もその一人)。
それまでの流行は交通が発達していない地域であったが、シエラレオネは交通網が発達しており、致命的な感染拡大の要素を持っていた。
それをカーン医師は国際社会に訴えたが、「それはアフリカの問題でしょ」と深刻に受け止めてもらえず、支援の手は差し伸べられなかった。
その頃の人々の関心は、サッカーのワールドカップとISのテロに向けられていた。

最初の感染確認から1ヵ月。
3人の看護師が感染し、亡くなった。
これをきっかけに、看護師が職場放棄をするようになった。
患者の増加と看護師の不足。
点滴を行う優先順位をつけざるを得なくなった。
シエラレオネの各地でも患者が発生し「病院スタッフがウイルスをばらまいている」と石を投げられることもあった。

最初の感染確認から50日。
カーン医師は看護師を説得し鼓舞したが、残った看護師は12人だけだった。
その時のTVインタビューの質問「怖くないですか?」に対するカーン医師のコメント;
「もちろん私も命を失うことは怖いです。しかし闘うことを恐れてはいません」

最初の感染確認から59日目。感染爆発(アウトブレイク)。
カーン医師がエボラウイルスに感染し隔離され、1週間後に亡くなった。
ケネマ病院の機能は麻痺した。
そして首都フリータウンにウイルスは達し、はじめてエボラは大都市を襲い、周囲に感染が爆発的に拡大していった。
以降、終息宣言まで1年半を要した。

ウイルスの遺伝子変異の分析により、シエラレオネのクポンドゥ村がすべての患者の起点になっていることが判明した。
カーン医師の感染対策に従っていれば、ここまで広がらなかった可能性があった。
カーン医師がハーバード大学に送ってエボラウイルスの解析データはすべて公開され、ワクチン開発に役立っている。

ケネマ病院スタッフの犠牲者は41人。
命を取り留めた患者は211人。


2018.10.20付けの厚労省からのメール配信にエボラ出血熱の項目がありました。
2018年8月1日にコンゴで患者が発生したとのこと。
しかしそのコンゴでは約1週間前(2018/7/25)にエボラの終息宣言を出したばかり(先ごろ終息宣言が出されたエボラは1976年以降で9度目となる流行)でした。
終わりなき闘いが続きます。
記事を読むと、現時点では「国際的な脅威とならずアフリカだけの問題である」との判断ですが、シエラレオネの悲劇を繰り返さないようにしていただきたい。

◆コンゴ民主共和国でエボラ出血熱が発生しています
 2018年8月1日(現地時間)、世界保健機関(WHO)及びコンゴ民主共和国(旧ザイール)保健省は、同国北東部の北キブ州において、エボラ出血熱が発生したことを発表しました。10月15日までに139名の死亡例を含む、216例の患者(確定181例、疑い35例)が報告されています。8月8日に高リスク群に対してのワクチン接種が始まり、10月16日までに、17,976名がワクチンの接種を受けました。
 10月17日、今回のエボラ出血熱の流行に関する緊急委員会がWHOで開催されました。現段階では「国際的に懸念される公衆衛生上の危機(PHEIC)」ではない、との見解が示されましたが、今後も対策をさらに強化する必要があるとの提言がなされました。
 今回の発生地域では、反政府勢力による非人道的行為が行われており、以前より外務省から退避勧告が出されています。
 厚生労働省では、検疫や国内での対応強化のため注意喚起を行っています。発生地域であるコンゴ民主共和国(北キブ州)から帰国された方は、検疫官に申告するようにしてください。


 現在の流行状況を報告する資料をもう一つ紹介します;

厚生労働省の発表資料「コンゴ民主共和国におけるエボラ出血熱の発生状況について

上記記事の中に治療についての項目がありました;

・現地では、5月の流行時に富山化学工業株式会社から提供したファビピラビル(アビガン錠)に ついて、既に12,000錠を首都キンシャサの国立生物医学研究所(INRB)で、2,000錠を国境なき 医師団で保持している。
・9月8日までに、治療薬であるmAb114、Zmapp、Remdesivirが26名に投与されており、そのうち 15人が治癒して退院している。


日本で富山化学が開発したアビガン®が活躍しているようですね。
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