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ちょこっとレビュー:銀河英雄伝説

2015年07月24日 21時14分49秒 | Weblog
最近再アニメ化計画が発表されたり、どこかの政治家が言及したとか色々また注目が集まっているらしいなか、今更取り上げるのも少々気が引けるのだが…


個人的にはずっと敬遠してきたコンテンツである『銀英伝』(Win8.1のIMEで一発変換されてしまった(笑))。最初に勧められたのはたぶん1990年代のはじめ、仕事先で『Dune 砂の惑星』のデヴィッド・リンチ版映画の話をしていた時だった。書店で本の表紙やアニ化の告知等を目にしていたこともあり、「Duneシリーズ読んできた人間が、なんで宝塚風味のスぺオペ読まにゃならんのだ」とその時は黙殺、またその名前が耳や目に入り始めたのは、リーマンショック後、中東をはじめ国内政治と国際情勢の不安定さが更に増してきた頃のように思う。そして第2次安倍政権登場以降、俄然一種の「キーワード」として意識されるようになった。

それでもそのベタすぎる題名とヴィジュアルから、心理的な抵抗はやはり残っており、「夕飯の友」ぐらいにはなるだろうと、本ではなくアニメーション版を見始めたのがこの春先のことだった。

観始めてみると、やはり良くも悪くも予想の範疇のものだった。あの時代の懐かしい声、画、内容(脚本)で、突っ込みどころ満載ながらも、取り敢えずしばらくの間安心して観ながら飯食えるのでOK、以上のものではなかった。

それが本編中盤の50話近辺になる頃にはさすがに登場人物たちにもそれなりに愛着が出てきたし、ストーリー展開や見せ方でかなり感情移入するようになっていた。

最初に不覚にも涙が出たのは、戦力では圧倒的不利な状況からヤン達がラインハルトの旗艦にチェックメイトをかけたところで、自由惑星同盟政府から攻撃中止の指令を受け、それにヤンが従った回だった。

一度こうなると涙腺が緩くなるもので、ビュコック達の戦死、ヤンの「暗殺」以降はもう小椋佳のエンディングテーマが流れる度に目が潤むようになってしまった(笑)


110話になる本編を観終ってまず思ったのは、「長く続けることって大変だけれど大切だ」。昨今商売上の理由からダラダラ続く漫画等目立つが、それとは別に、長く続くことそれ自体が作品に更に魅力を加えることもあるのだ。

そして何といっても人間社会、政治、そしてそれを構成している人の生き方についての考察。中盤以降、特に今の日本に住んでいる者にとって痛いほどリアルに響いてくるエピソードやセリフの多いこと!

ただ、個人的にこの作品を観て一番有り難かったのは、「こんな現実」を一歩引いて見ることの助けになってくれたことだった。

特にISや第2次安倍政権にまつわる諸々の事象は、相当な長さの歴史を刻んできた人類が全く進歩していない(/する気がない)ことを改めて僕に思い知らせ、昨年後半以降結構な無力感と憂鬱な気持ちに押しつぶされそうな時期が続いていた。もちろんこれは今に始まったことではなく、そういう現実やそれを許容する考え方をずっと嫌ってきた。だからこそ、同じ宇宙を舞台にした長編シリーズであっても、人類の進化を主題に置いた『Dune』シリーズを愛してきた一方、『三国志』はじめ古今東西および現実非現実問わず所謂戦国歴史絵巻物から距離を置いてきた。が、昨年「本当に血の通った人間」を感じられる、伊東潤氏の作品を知ることができたのは幸運だったし、『銀英伝』によって、「(マクロ的に)こんな状況だけど、これはこれとして、自分が何ができるか考えよう、やってみよう」という気持ちに初めてなれた気がする。

失笑されるような話を書いてしまったが、もちろん例えば「仕事のような形での社会とのコミュニケーション」では「これ」をそれなりにうまくやって相応の成果を出してきた、と思う。だから、今回の「これ」は、従来自分の中で一線を引いてきた領域の中での問題の扱い方がようやくわかってきた、ということだ。かなり遅くなってはしまったが、もしかしたら年齢的な影響もあるのだろうが、ラッキーだと素直に思う。何故ならこれが一生できないで終わる人も実は少なくないと思うからだ。
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