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最近ネットを見ていると、自画自賛ならぬ自国自賛の記事が増えていて気になる。日本の公衆トイレの綺麗さや、電車の時間の正確さに○○人が驚いたとか。何故なら「俺って凄いンだぜ」と言う時は、自分に自信がなくて他人の承認を求めている時だから。当たり前の事を大袈裟に言い始めたら注意せよ。
24/7 police surveillance of Julian #Assange over 800 days has cost UK taxpayers £7.2 million govwaste.co.uk freeassangenow.org
戦争中、多くの作家たちだが、兵士として戦場に旅立ちました。そして生き残ったものたちは、帰国して後、戦場で見たものを小説に書き記しました。そこには、「慰安婦」たちの生々しい姿も刻みつけられています。有馬頼義、長谷川四郎、富士正晴、伊藤桂一、田村泰次郎、古山高麗雄、等々。
彼らは見たものを書きました。頻発する強姦、民間人・農民の無差別虐殺、狂気に陥る兵士、自分が何をされるかわからないまま連れて来られた慰安婦たち。けれども、彼らは「わたしは知っている」とは書きませんでした。「わたしが見たのはそれだけだ。他のことはわからない」と書いたのです。
古山高麗雄は、数多くの戦争小説を書き、その中で繰り返し、慰安婦を登場させました。けれど、彼は、戦場では慰安所に行こうとはしませんでした。「慰安婦は、殺人の褒賞であること」を知っていたからです。戦後しばらくたって「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、彼はこう書きました。
「彼女は…生きているとしたら…どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」
誰よりも、彼女たちの心に近かった古山でさえ、「想像の及ばぬことだ」というのだとしたら、遥か遠く、「戦争を知らない」ぼくたちは、もっと謙虚になるべきなのかもしれません。そんなことを書いてみました。ご笑覧くだされば幸いです。
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