猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

8月5日は「前橋空襲の日」、朝は住吉町2丁目の追悼行事に参加して、夕は熊野神社にお参り、平和を祈願していました…

2023-08-06 07:18:57 | なっからさくい生活

78年前の8月5日、前橋の街は米軍による空襲を受けました。当時の市街地の8割を焼失し、535名の市民の命が失われました。昨日は、街のあちこちで犠牲者の追悼行事が行われました。立川通の熊野神社では「平和祈願祭」が執り行われ、夕方からは参道に並べられた灯篭に灯が点されました。


朝の9時からは、比刀根橋の袂にある追悼碑の前で、住吉町2丁目の皆さんによる追悼式が執り行われました。この場所は、比刀根橋防空壕という大型の防空壕があった場所です。空襲の時に、この防空壕に逃げ込んだ地域の皆さんの多くが焼夷弾と火災の熱風で命を落としました。

 主催者の住吉町二丁目自治会長の山口さんです。「戦争は、憎悪と殺戮と破壊しかもたらさない」、あいさつの中で話されました。私はこの町内に暮らしているのではないのですが、前から、毎年、この追悼式に参加させていただいています。


今年も原田恒弘さんのお話を聞きました。空襲にあったのは7歳の時、比刀根橋防空壕に逃げ込んだのだそうです。中は逃げ込んだ人でいっぱい、熱風が吹き込んできてものすごい熱さになったのだそうです。原田さんは知らないおばさんに抱きかかえられて守られていたのだそうです。そして気を失ったんですって。気がついた時には防空壕の外、建物が燃える炎が見えたって。

 
原田さんは比刀根橋防空壕に逃げ込んだ人たちの中の数少ない生存者の一人です。「助けられて生きている私にできることな何なのかということを考え続けてきました…」。原田さんは今も考え続けています。原田さんは自分の体験を「ひまわり」という著書にまとめておられます。市の文学館と図書館に収蔵されています。私が、この街で尊敬している人の一人です。今年もお話を聞けて良かったです。

 
地元の子どもたちが平和への決意を読み上げました。住吉町二丁目の行事ですけど、市長の山本龍さんも来てお話をされました。県議会議長の安孫子哲さん、市議会議員の須賀博史さん、岡正己さんの姿もありました。

【前橋空襲の記録】
 襲撃したアメリカ軍のB29 92機
 投下した爆弾 723.8トン
   焼夷弾691.0トン、破裂爆弾17.6トン、通常爆弾15.2トン
 焼失面積 市街地の8割
 焼け落ちた家 11,518戸
 死者 535名
 負傷者600名以上

 太平洋戦争の末期、米軍は軍事施設や戦闘員でない一般市民の暮らす都市を空爆することにしました。東京大空襲はもとより、全国で200以上の都市が攻撃目標とされたのです。そして、少なくとも25万人以上の非戦闘員である一般市民が犠牲になりました。前橋の535名もそのうちなんです。当時、アメリカで日本本土空襲計画を検討していたのは国家防衛調査委員会(NDRC)でした。NDRCで焼夷弾の研究開発を担当していた責任者は「軍需工場を爆撃する精密爆撃よりも焼夷弾による市街地絨毯爆撃をおこなうべきだ」と主張したと記録されています。そして、「日本の都市はほとんどが木造住宅でしかも過密なため大火災が起きやすい、住宅密集地域に焼夷弾を投下して火災をおこさせ、住宅と混在する、ないしはその周囲にある工場も一緒に焼き尽くすのが最適の爆撃方法である」とする報告書が遺されているそうです。自治会長が言われた「殺戮と破壊」、戦争の本質です。

 


家に戻って常備菜づくりをしました。クルミ、目ヒジキ、刻み昆布、サケの中骨缶、しらす干し、人参、刻みネギ、粉末ピーナッツ、松の実、干しサクラエビを用意しました。残り物のトウモロコシと豚肉も使いました。あとは、水切りした豆腐とカオルさんにもらった黒紫アズキです。そして、6品できました。

 

 昼過ぎ、岩神町の養田鮮魚店へ魚を買いに行きました。広瀬川沿いの道を行くと太陽の鐘に出会いました。

 「78年前の今日、前橋空襲があったんですよ」、「聞いてる。さっき来たおっつぁんは、広瀬川を助けを求める人や焼け死んだ人が流されていったって話していったよ」。「鐘さんは戦争をどう思います?」、「太郎に聞いた話を聞かせてあげよう…」

 「太郎はな、30歳でフランスから帰国した1940年に徴兵検査を受け甲種合格、新兵として中国に渡った。『ああ、おれは間違いなく死ぬ』と思ったそうだ。食糧、弾薬の輸送を任務とする自動車第三十二連隊に所属していたのだそうだ。太郎は、中国での戦争体験を振り返って、『わが人生であれほどむなしかったことはない』『冷凍された歳月』と総括したんだ」、「ふ~ん」、「太郎が言う通り、戦争はむなしいのだ」。
(鐘の話は、中国新聞の「被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ」(2005年2月2日)より)

 


養田鮮魚店に千葉産のイワシが入荷していました。待っていたのです、今が旬なのです。買って帰って、酢漬けと梅煮に加工しました。

 

 ユキ子さんの両親へ、刺身を届けました。イワシの酢漬け、マグロ、オオモンハタです。あとは、午前に作った常備菜も届けました。

 
その足で、熊野神社にお参りしました。北西の空が茜色に染まっていました。熊野神社の拝殿の前には前橋大空襲犠牲者追悼碑が建てられ花が添えられていました、。


追悼碑の裏には「私達は戦争の悲惨さを後世に語り継ぎ世界恒久平和の実現に邁進します」と墨書されていました。

 


冷たい汁も第40作目となりました。梅風味の冷たい素麺つゆです。昆布出汁に現在漬け込み中の今年の白加賀で味を漬けました。モロヘイヤとミョウガと青じそを入れました。爽やかな汁になりました。

 
刺身の盛り合わせはイワシの酢漬け、マグロ、オオモンハタです。イワシ旨いですね。それと常備菜の味見です。イワシの梅煮、イワシの中骨缶と目ヒジキの錦松梅風、トウモロコシと豚肉の醤油炒め、炒り豆腐、クルミちりめん、小豆昆布です。ちゃんとできてました、明日からの朝食のおかずです。

今日は「広島原爆の日」です。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、宜しくお願い申し上げます。
それから、8月12日には、国立劇場で東京新聞の主催で開かれます「第57回推薦名流舞踊大会」に出演させていただき、大和楽「鐘」を踊ってまいります。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください

第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい


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2 コメント

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Unknown (SIN)
2023-08-07 10:42:24
米軍が焼夷弾の威力を実験するにあたり、日本家屋の特長を知る必要があり、その際、帝国ホテルや後藤新平邸などを設計し、日本家屋の特長を知るレーモンド氏を協力させた、と以前NHK「映像の世紀」で見た気がします。

レーモンド氏は戦後日本に戻った際、焼け野原になった風景と、やせ細った日本人をみて、ひどく自責の念に駆られたそうで、戦後日本において、多数の施設の設計に携わったそうです。
その一つが群馬音楽センターなのですね。
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レーモンド (ヒゲクマ)
2023-08-07 13:58:57
SINさん
レーモンドの自伝には、米軍の焼夷弾効果検証実験への協力について、日本への愛情と戦争の早期終結への願いという矛盾に対する苦渋の心境が綴られているそうですね。
ただ、戦後の日本での活動のすべてが「自責」に基づくものなのかどうかは私にはわかりません。1964年には勲三等旭日中授賞を受けています。レーモンドに批判的な評価を下している人たちいます。
「デイリー新潮」2019‐8‐10の「効率よく焼き尽くせ…」という記事にはレーモンドのまた違う顔も出ています。https://www.dailyshincho.jp/article/2019/08100605/?all=1
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