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回り道を全力疾走

「人生で一番高い買い物は、タダのアドバイスだ」

2007-03-23 22:16:46 | 未分類
kojimaさんのお言葉をお借りいたしました。

84円の買い物で、レジで134円を出したところ、

「84円丁度お預かりいたします」
と意味不明な受け答えをされたfukuyamaです。

どうやら、100円玉が、50円玉に見えたのでしょう・・・。
皆さんお疲れですね。

危うく、50円をボッタクられるところでした。

もちろん、僕は50円のおつりがもらえることを前提に134円を出したので気が付きましたが、日ごろから、そんな計算をしていないといつの間にか、お金が減っていたということになりかねませんね。

僕は、1年前からずっと家計簿をつけていますが、昔のと比べて最近は無駄な出費が減ってきたと思います。

絶えず、自分と向き合う事を怠らず、継続する事を続けてきた結果でしょう。

人は、収入が増えると、どうしても出費を増やしがちです。
しかし、名著『金持ち父さん、貧乏父さん』(ロバートキヨサキ著)でもあるように、{金が入ったら金を使う}という考えは貧乏人の考えです。

経済格差、国際支援に興味のある人は、どの本よりも先に『金持ち父さん、貧乏父さん』を読むべきです。人間の8割の人間は貧乏人の考え方をしている。のですから。



今ではもう400章くらいになっている、今秋発売予定のkojimaさんのメルマガから、僕が、FUNに入部する前に読んだ、衝撃を受けた一つを紹介します。
チョット長いですが・・。以下メルマガより


■今日の一言

「人生で一番高い買い物は、タダのアドバイスだ」




最近はユニークなニュースが多いです。

★「15年後には、中高年フリーターが147万人」(そんなもんじゃ済まないだろ)

★「国家公務員志望者が20%減少」(税立大学卒業者は公務員志望禁止にしたら
いいのに)

★「社会保険庁が無断で保険料免除手続き」(理解不能の頭脳構造…)



これらのニュースに共通している社会背景は、「経済教育の不足」ではないでし
ょうか。全ての背景に見え隠れするのは、「お金」を甘く見た人々の姿です。

「日本人はジョークのセンスがない」なんて海外から言われますが、心配ご無用
。社保庁なんかは、立派に国際水準を満たしすぎたジョークを世界にぶちかます
実力があります。

世界の人々は、「これが経済大国か?」と、イメージと現実のギャップを不思議
に思い、ますますわが国に興味を持って、観光客も増えるかもしれません。



さて、FUNや仕事で僕が教えていることの半分は、「経済知識」だと思いますが、
こういう話題で学生さんと話すと、とても勉強になります。

そして、「一番」が好きな学生さんは毎回、「人生で一番高い買い物は何ですか
?」と質問してきます。

そういう時、僕は大勢の前では、一応「お約束」通りに、「1番は住宅で、2番
は生命保険ですよ」と答えることにしていますが、個別で学生さんと会った時は
、「本当の1番」を教えています。



…何なんでしょうね?「人生で1番高い買い物」って。

確かに、「一度で購入」という基準で考えれば、住宅の高さは並外れています。

教育費も、内容と人数によっては、住宅費を超える可能性があります。保険だっ
て、加入者数や契約内容によっては、数千万円に及ぶことがあります。

「見えるもの」や「値段が提示されているもの」で考えれば、住宅、自動車、学
費、保険などは、文句なくトップランクに入る「高い買い物」です。



でも、違います。人生で一番高い買い物は、それらではないのです。

FUNの学生さんだったら、ちょっと気を利かせて「じゃあ、金利か税金?」と答え
るかもしれません。

半分正解です。

それらは確かに、家よりも、保険よりも高額です。税金などは、自動車とは比較
にならないくらい高いのは、「マネー塾」に参加された方なら、よく分かったこ
とでしょう。



そろそろ答えを明かしましょう。

実は、人生で一番高い買い物は、「タダのアドバイス」です。

つまり、「値段がない意見」や、「お金を払わなくてよい忠告」ということです
。これほど高くつき、一生にわたって財布や口座からお金を抜き取る「高額商品
」は、この世に一つも存在しません。



具体的な例を挙げて、「タダのアドバイス」がいかに高いか、検証してみましょ
う。



例えば、ここに「株式投資」に興味を持っている女子大生がいるとします。

動機は「すごそう」、「儲けたい」、「面白そう」といった気持ちだけかもしれ
ません。




しかし、とにかく「自分も勉強して、株で少しは稼げるようになりたい」と思っ
ています。



彼女はある日、友達に「ねぇ、株って面白そうじゃない?」と言いました。自分
の思っていることが友達にどんな反応を呼ぶか、軽く試してみようと思ったので
す。

しかし、友達の答えは…

「株ぅ~?株ってさ、よく危ないって聞かない?株やる人って、絶対悪い人ばっ
かりだと思うな。あんた、そんなのやるつもり?」というものでした。



友達に否定的な意見を示された彼女は、さすがに気持ちが揺らいだのか、「…そ
うね。やっぱり危ないよね」と言ってしまいました。

友達は彼女の答えを受け、「そうそう、株なんてやらなくたって、理想の男を見
つけて結婚すれば、いくらでも幸せになれるんだからさ。気楽にいこうよ」とい
う言葉をかけてくれました。

彼女は、励まされたのか否定されたのか分からないような気持ちながら、「やっ
ぱり、株はやめとこう…」と自分で自分を説得していることを確認しました。



人は、「自分が過去に否定したもの」を認めたがらないものです。

その後も彼女は、「株」という字を目にするだけで、「危ない危ない」とか、「
いかんね、あれだけは」と念じ、自分の昔の決意を正当化し続けました。

こうして彼女の人生では、「投資」という言葉は無用の外国語になりました。



それでも根が積極的な彼女は、後日また新しい情報を手に入れ、友達に「ねぇ、
私、社会保険労務士の資格を取ろうと思うんだけど」と相談してみました。

友達は…

「社会保険労務士ぃ~?それってさ、あたしの友達のお父さんの妹さんか誰かが
やってるらしいけど、儲からないらしいよ。あたし、知ってるもん。社会保険の
ことを扱う資格だよね」

と、冷静に聞けば「無責任・無理解極まりない意見」を返してくれました。



社労士について、簡単な予備知識はあったものの、「儲からない」という一言が
気になった彼女は、

「そういえば、私も聞いたことがある。お勤めの頃とあんまり収入が変わらない
、って話」

と言いました。



友達は彼女の答えに満足したのか…

「そうそう、別に労働基準法とか知らなくたって、それで働いてる人って多いじ
ゃん?社労士って、人の給料とか計算するらしいけど、あたしは自分の給料に関
心があるの。なんで人の給料の計算しなくちゃいけないの、って感じ」

と付け加えました。



今回もまた一つ、彼女の人生から、「法律」、「保険」、「賃金」、「査定」、
「評価」などの言葉が消え去りました。

かくして、彼女は学生時代に「やってみよう」と思ったことに対して、「やった
こと」が1割以下という、超低打率の学生生活を過ごし、就職活動を迎えました


当然、自信を持って語れることも、客観的に実力を証明できる財産もなく、選考
では「不採用通知」の山が、通販カタログのように積もっていくばかり…。

結局、一つも内定をもらうことなく、卒業しました。



卒業後も、会計や投資、法律、税金、労働基準法、賃金計算、人事評価の知識が
ない彼女は、ずっと損し続けました。

「世の中おかしい。あたし、こんなに頑張ってるのに、給料が低すぎない?」

とストレスがたまった彼女は、その解消のため借金を重ね、エステや趣味に没頭
し、全ての収入を使いきる生活を続けました。



職場でも、「ねぇねぇ、部長ってムカつかない?」と言えば、友達は「めっちゃ
ムカつく」と、連帯を確認させてくれる期待通りの答え。

「仕事って、最低限で済ませたいよね」と言えば、「うんうん、やってられない
よね、こんな安月給じゃ」という理想の答え。

「あたしもそろそろ出会うかな、運命の人に」と妄想すれば、「厄年も終わった
し、今年は勝負だよね」とドラマじみた答え。



…「気が合う」って、その時だけは幸せです。しかし「不幸」とは、大抵こうい
う始まり方をするのだと、愚か者は過ぎ去ってから気付くものです。



そして迎えた30代。

期待した「幸運」は一つも起こらず、彼女の30代は「毎年が厄年」という惨憺た
る結果に終わりました。

しかも、40代を控えて「貯金なし」、「ダンナなし」、「ボーナスなし」の三冠
王を達成しそうな勢いです。

彼女は「私の人生って、一体、何だったんだろう…」と、遠い昔の大学生活を懐
かしんだのでした。

おしまい。



…というケースは、社会のあちこちで起こっています。男女問わず。

「得られていたはずの収入」が得られなくなるのは、社会のせいでもなんでもな
く、「知識と能力がないから」です。

「飽きもせず、損失を垂れ流す」という生活も、社会のせいでも会社のせいでも
なく、「知識と能力がないから」です。



「無知」は、かくも過酷な仕打ちを、人生にもたらすのです。

危ないのは、株でも先物でも不動産でも起業でもなく、「無知」です。

「火は熱い」という知識がない子供だけ、ヤケドをします。「お金のヤケド」な
ら、今日もあちこちで起きています。



そしてあらゆる「無知」の陰には、必ずと言っていいほど、「消極的な相談相手
」がいます。

しかし、そういう人々は「アドバイスだけは積極的」という厄介な性格を持って
います。




だから、そういう人々の意見を聞くと、さも「私のことを考えてくれてるんだ」
と、勘違いしてしまいやすいのです。



貧しく消極的で、「成功」という言葉とは縁のない彼ら、彼女らは、友人や知人
が「自分のエリア」から遠ざかったり、自分のプライドを逆撫でする行為を無断
で取ることが気に入りません。

だから、友人や知人が「○○に挑戦してみたい」とでも言おうものなら…。

無料で「したり顔」のアドバイスを提供し、将来に「多額の負債」をこしらえて
くれます。



彼らはいつも「親切」です。だって、どんな情報や体験談、噂、評判をあなたに
提供しても、決して「1円」のお金すらも要求しないからです。

あなたが「ありがとう」と言えば、「いいのよ、気にしないで」とか答え、大物
ぶりを見せ付けて、恩を着せます。

そういうアドバイスに支えられた情報環境に慣れたら最後、あなたは決して、「
情報」とか「考え方」という資源に、お金を払わなくなるでしょう。



それはいわば、「新しい知識」や「一歩進むための考え方」が、永遠に入ってこ
なくなる、ということです。

つまり、「18歳かそこら」の年齢で身に付けた知識や考え方で、一生を生きてい
かねばならない、ということです。

勉強していない大学生の頭なんて、「プロレスごっこの頭突き」くらいにしか、
使い道はないでしょう。



「子供のマネーセンスで大人になる」ということは、「抑え方を知らず、使い方
しか経験していない」ということですから、鍛えられていない頭脳が判断する「
お金の使い道」は、貧困を買い集める以外にない、というわけです。

収入も上がらない。

支出は増え続ける。

働いても報われない。

ストレスばかり貯まり続ける…

というふうに、「無料のアドバイス」は人生において、体力や気力が衰えるほど
猛威を振るい、その人に遠慮なく襲い掛かっては、あらゆるお金を奪い取ってい
きます。



「タダほど高いものはない」と、わが国の先人は賢明な格言を残してくれていま
す。

しかし、その本質が分かっている人は、学生の中にはほとんどいないなぁ、とい
うのが僕の実感です。



賢明な読者の皆さん。

「欲しい本」があれば、自費で買いましょう。

身に付けたい知識があれば、お金を払って学びましょう。

優れた経営者の講演会や、役立ちそうな勉強会があれば、「有料」でも参加しま
しょう。






そして同時に「タダ情報」を振りまく人の意見は、心から信頼できる友人をの意
見を除いては、徹底的に無視しましょう。

「本当にあなたを思ってくれる人」とは、一体、どういう人でしょうか。

それは、「今を一緒に楽しくすごしたい」という付き合い方ではなく、「将来一
緒に幸せになりたい」という姿勢で友情を表現し、「厳しいことも敢えて言う」
という人でしょう。



そういう場合は、「お金」ではなくとも、「礼儀」や「忍耐」という対価を払っ
ているのと同じです。

良き友達とは、本質的な試練を共有できる仲間のことです。

そして、それが「同世代」でない場合は、本を買ったり、講座に参加したりして
、有料で情報や知識を求めねばなりません。



そして、有料とは「あなたが優位に立つ」ということです。不満なら、徹底的に
文句を言ってもいいし、嫌なら本を捨てても、講座をやめても構いません。

そういう「本気」を共有できる環境で学んだことだけが、人生を切り開く実力に
つながります。

ということで、今日は「無料のアドバイス」が、家より、車より、保険より、大
学の学費より高いということが、よくお分かりいただけたと思います。

』以上。

もしかしたら、これが僕がFUNに入った動機となったのかもしれません。

『タダほど高いものはない』というのは、タダとは責任が薄いということで、そのアドバイスで損害を被っても、何もいえないということです。

そこを、数円でも払っていたら、そこで責任が生じ、供給する側も、受け取る側も真剣に成らざる得ません。

だからこそ、遊びや飲みばかりにお金を浪費し、勉強がやばくなったら、誰かにお願いしてコピーをとってもらうような人間にはなりたくないし、そんな人とは付き合いたくないですね。

また、ボランティアも、同じで、タダということは、責任が薄れる。
ボランティアだから、いつやめていもいい。では、される側からしたらいい迷惑だ。
だから、偽善的な面も出てくるし、本当にボランティアをしようと思うのなら、それなりの知識と経験と技能を身に付けておかなくてはいけない。

だからこそ、金を取ってでも仕事をしている人は、本当に必要とされている人だし、お金を払ってでもして欲しいという需要のある人こそ、すばらしい人だと思うし、そうでありたいと思う。

流学日記

2007-03-23 02:52:33 | 未分類
幻冬舎文庫 岩本悠 著
流学日記 20の国を流れたハタチの学生。

とにかくすごかった。
でも、これを紹介してくれた友達ほど感動はしなかったと思う。

これもFUNの影響だろう。

実際、遭遇した人々とのエピソードを交えた体験談。

僕がこのブログで書いた、韓国旅行記と似たところもあった。

この本を読んで、もう一度、小島さんの講義のレジュメを全て読み返したくなる。

内定の一言も全て読み返したい気持ちだ。

というのも、この著者が感じた疑問、問い、わだかまりの答えが全てFUNの講義に入っているからだ。

そういう意味で、この本は、とても重要な役割をしてくれたと思う。


では、具体的に、思ったことをつらつらしていこう。

P5
まず、旅の動機。
これは実にくだらないなと感じるし、学生らしいとも思える。
でも、きっかけなんて、結構どうでもいいことだと思うし、結局大切なのはその後だからね。

P16
『知識も技能も経験もお金もない僕でも海外でいろいろな体験ができるボランティア。』

この言葉はどうも僕にとっては納得がいかない。
ボランティアを何だと思っているのだろうか?
実際、ボランティアには、知識も技能も経験も必要であるし、ないと、そのボランティアには意味がない。

意味のないボランティアは、ボランティアではない。

そんな意味で書いたのではないというのは分かってはいるが、どうも、僕にはこの表現が気に入らなかった。

ボランティアをするにも、使命と誇りを持ってしてもらいたいものだ。

P51
ここら辺はまさにFUNで習った事で、解決ができることである。
1年生からFUNにいて本当に良かったと思う。
お金の使い方、仕事のとらえかた

P56
『本当の学校は大学の外にありました』
確かに、外にある学校もあるが、ちゃんと中にもある。
それに気が付かないだけなんですよね。
その事を著者は旅を通して気が付かれたようなきがします。

P83
スタンプ押しの話には、感銘を受けました。
FUNでならったことを遂行している。
小さな仕事を大きく語る。
僕もそんな人間になれるといいですね。

P92
途上国は、『貧困』を資源とした生活をしている。
とJICAの講演会でおっしゃっていた方がいます。
『貧困』をえさに、援助をもらう、
生活が豊かになると、援助してもらえないから、働かずとも、貧乏そうな暮らしだけをしていればいい。
そんなことを思い出させられました。

P110
メディアによる、偏ったビジョンの植え付け、
これにいたっては、しょうがないような気がする。
実際、イスラムで発展した国はなく、イスラムの文化そのものが、発展を抑止している。経済学的に見ても、効率が悪く、よくない。
資本主義国では、金が全て、仁義だとか心だとかいう偽善的な、というか、人情的な弱いものは、国際社会、現実社会では通用しない。
イスラム自体、貧富を生ませない思想だから、なお、現実離れしていて、合わなくなる。
文化を理解するが先か、戦争が先か、

P170
今まで、「政治家も官僚エリートも企業の経営者も上に立っているひとにはろくな人間がいない」と思っていたが、それは一部の人間が起こす不祥事を、新聞やニュースで・・・・思い込みに過ぎなかった。

とあるが、やはり、みんな始めは、金持ち=悪いというイメージがあるのだろうか?企業取材をしてきた僕にとっては、貧乏人=悪いというイメージしかない。
なぜなら、利益は悪ではなく、損失こそ悪であるから。
ここら辺もFUNの部員ならすぐに理解できるだろう。

著者はこのことに気付けただけでも大きな成長だと思う。

P186
「NGOがミシン教室をいくらやったところで、ミシンも製糸も仕事にならないわけです。」

これはないな。あくまで、これは、閉鎖的な経済についてしか言っていない。
ただ同然で衣類が送られてくる。??
だからどうした。世界の市場は途上国だけではないはずだ。
打開策はいくらでもある。
一番頑張らないといけないのは、よく言われるように、途上国の政府だ。
そこが頑張らない分、先進国の企業が頑張っているのに、その事にすら気付いていないことは、誠に残念だ。



とまぁ、辛口コメント、というか、違うなと思ったことをぶっちゃけましたが、
確かに、いい著書だと思います。

あくまでも、物語としてですが、これを読んで、旅に出たいと思う人の気持ちも少しは分かりますが、

やはり、どうも、なんの、目的もなく、ただ、行って何かを見つけてこよう、
と、何の準備もせずに、勉強もせずに、行く人には同感できない。

たしかに、それで学ぶ事も沢山あるだろうが、まず身の回りで、地道な努力もできない人が、突然海外に行くことで、その、払ったお金以上のことが得られるかということ事態にも疑問が残る。