過去に村野瀬玲奈さんのネトウヨコメント分類学に触発されて、自分でもパターン分類を追加したりしてきたが、今回は分類よりも、彼らおよび彼らに近い一般の人々に共通する「心性」のことを考えてみたい。
昔観た、モンティ・パイソンのTVシリーズを納めたビデオで、「あなたが税金をかけたい対象は?」という街角インタヴュー(街だけじゃないけど)のギャグがあった。
セックスに税をかけろとか誰それに税をかけろとか、多種多様な人が勝手な意見を述べていく中で、1人、上半身にガッシリ肉がついたラガーマン・タイプの、しかし見るからに愚鈍そうな男が登場する。仁王立ちの彼はゼーゼーと肩から絞り出すような声で、「おいらが、税をかけたい奴は、水ん中に、突っ立っとる奴です!」と叫ぶ。叫んだ後、ハッと気づいて、慌ててジャブジャブと川の中から飛び出すという、バカバカしくも忘れられないギャグだ。
本来はインターネットに限らない話だろうけれど、特にネットの「政治系」とカテゴライズされるようなところの掲示板やコメント欄を読んでいて、僕はこのギャグを思い出してしまうことが時々ある。それは往々にして、広義の「ネトウヨ」と呼ばれる人が(広義というのは、そう呼ばれることを警戒し・そうでないふりをしている人、も含まれるということだ)、彼らにとっての「サヨク」に当たる人々を「偏っている」とあげつらう場面だ。
裏を返せば、この人達は大方、自分は偏ってない、中立だ、と思い込んでいる。時の政権の見解に同調し、サヨク憎しの気分だけでその政権を擁護することさえできるのだから、その時点で立派に偏っている、「水の中のバカ」そのものだ。
もちろん、問題は偏っていること自体ではない。自分が偏っていることは自覚できないまま、他者の偏りだけを悪しきものとする感覚が心にしみついてしまっていることだ。
いわゆる「ネトウヨ」だけの問題ではない。右翼なんてアホだね、2ちゃんあたりの差別スレにいまだに群がってる連中は病んでるね、などと普通に思っている人ですら、正しいのは「右」でも「左」でもない「中立」的な立場だ、という幻想の中で平然と息をしていられる。
たとえば、先の柳沢厚生労働相の一連の発言と、それに対する野党の(主に)女性議員らの反発、という図式を前にした時、「中立」の人はどういう考え方をするのか。
──確かに「2人以上子を産むべき」「子を産む機械」というのはいい印象の言葉ではないが、本人だって悪い言い方だって断っている。それを女性差別だの何だの、揚げ足を取るばっかで建設的なことは何も言わない野党のオバサンたちは困ったもんだ。少子化が問題だから子供産んでほしいというのは、国の立場として当然のことじゃないか。あげく国会の審議はストップしているという。やれやれ、「左」の連中はいつもこうだからな──というあたりが、平均的な「中立」の人達の考え方である(僕が見た限り)。
厚生労働省って何?大臣って何?政治家って「言葉」を知らないでいいの?建設的な議論って何?誰にとって建設的なの?動機が正しければ言動は乱暴でもいいの?少子化って、ほんとに「問題」なの?──というような、根本的な疑義を差し挟む余地は、ここにはない。これが現実だ。
こうした、「国」に対する根拠不明の信頼に根ざした思考によって、自分は「思考した」という錯覚ができるのが「中立」という立場に他ならない。だから、その「中立」がしょせんは権力を利する立場でしかないことには、全く無頓着でいられる。なにぶんこの国では、この「中立」は「マジョリティ」の同義語でもある。
マジョリティなら間違いはない、という安心感は「中立」の核心である。そう思わされているだけだ、とは夢にも思わない。そこから、「偏っている」ことは間違っている、悪いことだという感覚にもつながっている。
そんな人が、特に悪意はなくてさえ、こちらが「偏っている」ことをマイナス・ポイントであるかのように指摘する時がある。「あなたは御自分では気づいていないようだが、左翼的なバイアスがありますね」とかなんとか。それが、何かこちらにとって決定的に不利なことであるかのように。
何なら「左翼のバイアスがあるどころか、俺は前人未到のウルトラ極左翼ですぜ」と言い返してやってもいいのだ。そう言わないのは、左翼云々以前に、「弱い文明」がれっきとしたバイアスだということに気づいてくれないようなセンスのない人間に、いくら「左翼って言いますけどね─」などと説明したって、まず通じないからである。
いずれにしろ「バイアスがある」なんて、自分は中立だと思い込めるほど度し難いバイアスにはまっている人には言われたくないセリフだ。誰もが偏っていることを認め合い、自分の偏りに責任を持つのが大人の社会だと思う。
バイアス=偏りについての僕の考えは過去にホームページ(こことここ)に書いた。だが、まだまだ言い足りない。今後追加していくだろう。
えっへん!^^;)
少なくとも私は天皇礼賛者ですが、ここ最近は「自民党員」だと間違われることのほうを侮辱だと思う自分がいるのに気がつきました。いくら保守でも、自民党員でないことを誇りとする自分がいるのです。最近の自民党を私は快く思っていません。解党すべきです。
最近はそういう青臭い人間に「サヨク」だと事実無根で馬鹿にされることこそ、むしろ勲章だとおもっています。
「小泉氏・安倍氏支持」の人たちにとって、自民党以外はすべて「サヨク」なのでしょう。何とかの一つ覚えと言うのでしょう。
「皇室は最大の抵抗勢力」という小泉氏は、「さすが保守」だと思います。私から見れば考えられない矛盾です。結果的に皇室をすべて「サヨク」扱いしたことになるわけですから。
小泉氏の取り巻きになるより、サヨクと馬鹿にされながらでも現行憲法への限りない愛着を持っている天皇を支持したいと思います。
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1801#
ご意見ありがとうございました。
「保守」にはポジティヴな意味が大いにあると僕は考えています。小泉や安倍は「保守」ではなく、「保守」を宿主にした毒性の強い寄生虫、エヒノコックスのようなものに近いと思います。
>雅無乱さん
読んでみました。なかなか面白い。「確証バイアス」は確かに、重要なポイントの一つでしょうね。