弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

ストーンとムーア

2007年07月22日 | 映画
 TUP-Bulletinの7月20日付記事、独立系ラジオ/テレビ局デモクラシー・ナウ!のエイミー・グッドマンによる、ご存知マイケル・ムーアへのインタヴューの翻訳が面白い。ムーアの新作『Sicko(病人)』の封切(アメリカでは6月下旬)に合わせたもので、制作の動機や撮影の裏話、映画のシーン映像を交えながら、アメリカの誇る「医療の民営化」の惨憺たる実像について語り合っていて、なかなかに刺激的だ。アメリカの医療制度について、たとえば「国民健康保険」にあたるものが存在しないといった基本的な知識を持たない人なら、刺激が強すぎてめまいがするかも知れない。

 この映画でムーアは、WTC崩落の現場に自発的に駆けつけて作業し、有毒物質によって健康を害されたボランティアの人々を、キューバの米領グアンタナモに連れて行って治療してもらう、という壮絶な企画に打って出た。米政府がこの人達の面倒をみることを拒絶したからで、一方でグアンタナモ基地に拘留中の“テロリスト”たちは最上級の医療待遇を受けている、とされているからだ。
 相手の言うことを逆手に取るというのはムーアのいつものやり口なのだが、ムーアたち一行は実際には米領グアンタナモを逸脱して、キューバ側の医師による治療を受けることになったようだ。そこでインタヴューでは、キューバの社会医療システムの充実ぶり、同じくカナダやイギリスのそれと、米国のそれとの落差が話題になる。
(注:ちなみに、翻訳文中に登場するグアンタナモの「地雷」とは「機雷」の間違いだろう)

 いつもながらのムーア節とは別の意味で、僕がこのインタヴューを面白いと思ったのは、まさにこのキューバの話と関連がある。実は少しまえ、オリバー・ストーン監督のカストロ会見記『コマンダンテ』を観て来て、その映画との比較が思わず頭をよぎったからなのだ。
 『コマンダンテ』ははっきり言って、企画としてレアなものだということはわかるけれど、映画としてはさして魅力的なものでもなかった。カストロとキューバ革命、もしくはキューバ文化全般に興味がある人が見てすら、物足りなさが残るのではないかと思う。
 僕は昔(90年代に入った頃)、夜遅くに放映されたTVの特番で、日本のテレビ局によるカストロ会見記をビデオに録ったことがある(ビデオはどっかに行ってしまったが)。ベルリンの壁崩壊、ソ連消滅という、「東側」の社会主義の終焉を目の当たりにして、カストロは今何を思う──といった方向付けのインタヴューだったのに、「特に何も思わんよ─ウチにはウチの問題があるだけだから」というようなあっさりした反応が帰ってくるばかりなのだった。その時すでに、穏やかで理路整然とした、芝居がかったところが全くない話しぶりから、単に「知的」という言葉で言い表せない深みを持った人物という印象を持った。
 ストーンの『コマンダンテ』を観ても、やはり昔のその印象をもう一度確認するというだけで、特に新しい発見があったわけではなかった。傑出した人物の言葉はいつ聞いても面白いので、別に損ではないけれど。

 再確認と言えば、映画監督としての腕は別として、オリバー・ストーンという男はやっぱりどこかピントがズレている、中途半端な“リベラル”だという印象を再確認し、ゲンナリしてしまった。
 詳しい文脈は忘れたけれど、確か在キューバのアメリカ企業が、革命後本国に撤収する際に屈辱的な(暴力的な)扱いを受けたことに関連して、ストーンが「アメリカ人は決してキューバを許しはしないだろう」などと見得を切った場面など、どのアメリカ人がじゃアホ、とツッコミたくなってしまった。
 つまりは敗北して出て行こうとする略奪者の尻に、余計な蹴りを一発入れたくらいの話なのである。そんな程度の「被害」と、アメリカによる長い収奪の歴史、バチスタの圧制などに苦しめられ、革命後はテロや軍事侵攻も辞さない政権転覆の企図にさらされ、今も理不尽な経済制裁に苦しめられている「被害」とを、どうしたら同一線上で語れるというのか。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』や『プラトーン』の頃からそうだったが、自分とこの被害を極大視して倫理の中心に持ってくる悪癖は直ってないな、と思った(それでも『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』はジョン・ローンの好演もあって、結構好きだったけど)。
 そう、それはストーンの場合確固とした「思想」ではなく、「癖」であるに違いない。何かと言えばベトナム負傷兵という経歴を持ち出す、感傷と自己顕示欲ともないまぜのうっとおしい癖だが、ジミー・カーターが大統領の時、ベトナムの戦禍について「破壊はお互い様だ」と言ったというのほど、確信犯でもないのだろう。

 幸いなことは、アメリカにおいてはストーンのような男が唯一の良心の砦というわけでは全然なくて、同じ映画業界においてすら、マイケル・ムーアのような、はるかに率直で柔軟な人物がいることである(ギャグのセンスもあるし)。
 そのムーアにしても、「9.11」をめぐる真相究明の流れにおいては、『華氏911』なんて甘すぎる!といった批判を受けても仕方ない面がある。いい意味でも悪い意味でも雑なところがあるし、アメリカ人特有の「愛国センチメンタリズム」でお茶を濁すところもある。それでも映画というメディアを使って、労働や人権、安全と戦争などの「基本的にヘヴィーな問題」をこれだけ多くの人に抵抗なく手渡すことに成功した人はいない。
 今度の医療をめぐる問題提起も、「基本的にヘヴィーな問題」そのもので、米国エスタブリッシュメントの味わう恐怖感は『華氏911』を上回るだろう。ストーンの『コマンダンテ』はアメリカで上映禁止だそうだが、正直あの内容のどこが禁止に相当するのか、理解に苦しむ。内容に関する情報から察するに、『Sicko』の方が明らかに脅威だと思うのだが。しょせんは映画に過ぎないじゃないか、と笑い飛ばせないのがムーア作品でもあるし。

 そして、これはよその出来事ではない。周知の通り日本では、2003年から一般所得者の医療費自己負担が「2割」から「3割」に増えた。これに対して暴動の一つも起きなかったのは、多くの日本人が、このことが「先進国」にあってはむしろ特異な流れなのだという事実を知らされていないからではないか、という疑いに今さらながら思い当たる。ムーアがインタヴュー中で語っている(アメリカの一般市民に対する)「押し付けられた無知」というやつは、ここ日本でも威力を発揮している。
 自分が日頃から医療に頼ることが少なくなく、近頃は入院までしたというせいだけではないのだが、日本における医療の「米国化」の進展には神経質にならざるを得ない。この国の医療制度をアメリカに近づけたい連中が、いわゆる「改革」の名のもとで行ってきた・今も行っていることの、その本質が映画『Sicko』によって暴露されることを期待する。

P.S.
『コマンダンテ』については、カサナグのフィリピンさんの映画評が、僕が感じたことにも非常に近く、詳しく論じておられますので、ご参考に。
P.S.2
森田玄さんのブログにて、アメリカはテキサスにて『Sicko』を観た人の、現地の興奮の様子を伝えるメールが紹介されていました。これは必読です!


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