ドキュメンタリー『ビリン・闘いの村』のロードショー公開を前に、現地ビリンから嬉しいニュース。JPMA(パレスチナ医療協会)のメルマガより転載する(記事中では「ビルイン」と表記)。
あくまで「ルート変更」「移設」であって、国際法違反の「壁」建設そのものの見直しというわけではない。グリーンラインに近い場所に移すことにしたというが、本来グリーンラインのイスラエル側に作ることのみ、法的にはかろうじて許されるべきものではないか。
それでも、現地住民の生活を著しく侵害していた壁が部分的にであれ消え失せ、農地や放牧地その他が住民の元に返ってくることは、JPMAの編集人の方が書き添えていたように、「小さな勝利ですが、貴重な勝利です」、その通りだと思う。『ビリン・闘いの村』の公開に合わせてくれたわけではないだろうが(そりゃそうだ)、映画の方にもいい呼び水になってくれることを、何となく期待してしまう。
『ビリン・闘いの村』公式サイト
なお、ビリン村に程近いニリン村というところがあり、ここでも「壁」に対する抵抗運動が続けられている。最近のデモへの弾圧の中で起きたパレスチナ人男性の虐待事件に対し、抗議のオンライン署名を募っているのが、上記公式サイト内のbbsにて、佐藤レオ監督が紹介していた。
http://www.petitiononline.com/nilin/petition.html
bbs7/24の記事に抗議アピールの文面が翻訳されているので、参照の上、署名にご協力を。見たところ日本人の署名が少ない。こういうところで存在感を見せつけてこそ、「先進国」だと胸を張れるんじゃないか、とか(まあ、僕自身別に胸なんか張りたくないんで、余計な話だけど)。
また、『ビリン・闘いの村』は現地ビリン村の住民と、ISM(国際連帯運動)のメンバーが主な出演者。このISMについては、清末愛砂さんの著書『(「母と子でみる」シリーズ) パレスチナ~非暴力で占領に立ち向かう』(草の根出版会、2006年)が、ご自身の参加体験を鮮烈に描写していて、お勧めである。
一応その本にも書いてあったことで、以下のようなことを予備知識として知っておくと、映画がよりわかりやすいかも知れない。
・2001年、パレスチナ人活動家ガッサーン・アンドーニ、イスラエル人活動家ネタ・ゴランらを中心に創設された。
・非暴力・直接行動によってイスラエルの占領に抵抗する。世界各地から参加するメンバーは、非暴力に徹するためのトレーニングを受講してから行動に参加する。
・抵抗運動の主体はパレスチナ人である、という前提を守る。その上で、パレスチナ人であれば身に危険が及ぶような場面で、外国人であることを利用して矢面に立つ。
・危害を加えられる、住居破壊に会う可能性の高いパレスチナ人の家に泊まりこんでそのリスクを減らしたり、時間稼ぎをする、などの作戦にも従事する。2003年、アメリカ人のメンバー、レイチェル・コリーが住居破壊に抗議している最中、イスラエル軍のブルドーザーにひき殺された事件はまだ記憶に新しい。
当ブログのブックマークに入っているIRREGULAR RHYTHM ASYLUMのシガ・ナオキさんも参加メンバー。同ブログにはパレスチナ以外の場所からのリポートも載っているが、やはりパレスチナ現地からの情報が生々しい。いかにテレビのニュースなどが何も伝えていないか。こちらもご参照のこと。
【7月28日(月)】
■■ビルイン村が勝利――イスラエル軍、数ヶ所で「壁」ルート変更に同意■■
同日のHaaretz(電子版)によると、イスラエル軍当局は、ようやく最高裁の命令を受け入れ、西岸地区の数ヶ所で「分離壁」ルートを変更、一部を撤去して、グリーンラインに近い場所に移設することを決めた。対象には、ビルイン村の「壁」も含まれる。
「分離壁」は、パレスチナ人「テロリスト」攻撃からイスラエル人を守ることを建前としているが、多くの場所でグリーンライン(一九六七年までの停戦ライン)からパレスチナ側に食い込み、パレスチナ人の市町村や農地を分断している。国際司法裁判所は、2004年、「壁」の撤去を勧告、国連総会も、イスラエル政府がこの勧告に従うことを求めた決議を採択した。しかし、イスラエルはこれらを無視、「壁」の建設を続けてきた。
このため、「壁」の被害を受ける地域の住民は、イスラエルの人権団体の支援などを受け、イスラエル最高裁に「壁」の建設中止や撤去を求める訴訟を起し、いくつかのケースで勝訴した。
「壁」反対闘争で国際的に有名になったビルイン村は、2007年に部分的勝訴、最高裁は「壁」ルートが安全保障上の必要ではなく入植地拡大の便宜をはかったものだと認定、ルートの変更を命じる決定を行った。
2007年2月、参謀総長に就任したガビ・アシュケナージ将軍は、政治的理由で造られる「壁」を防衛するのは軍の役目ではないとして、当時の国防相に決断をせまっていたという。政府は、最近になって、最高裁の決定に従う方針を決め、ビルイン村のほか、カルキーリヤの北部、ツフィンなどでも「壁」のルートを変更することになった。この結果、カルキーリヤでは260ヘクタール、ツフィンでは150ヘクタールの土地が住民らに返却される計算。
(7/28 Haaretz)
あくまで「ルート変更」「移設」であって、国際法違反の「壁」建設そのものの見直しというわけではない。グリーンラインに近い場所に移すことにしたというが、本来グリーンラインのイスラエル側に作ることのみ、法的にはかろうじて許されるべきものではないか。
それでも、現地住民の生活を著しく侵害していた壁が部分的にであれ消え失せ、農地や放牧地その他が住民の元に返ってくることは、JPMAの編集人の方が書き添えていたように、「小さな勝利ですが、貴重な勝利です」、その通りだと思う。『ビリン・闘いの村』の公開に合わせてくれたわけではないだろうが(そりゃそうだ)、映画の方にもいい呼び水になってくれることを、何となく期待してしまう。
『ビリン・闘いの村』公式サイト
なお、ビリン村に程近いニリン村というところがあり、ここでも「壁」に対する抵抗運動が続けられている。最近のデモへの弾圧の中で起きたパレスチナ人男性の虐待事件に対し、抗議のオンライン署名を募っているのが、上記公式サイト内のbbsにて、佐藤レオ監督が紹介していた。
http://www.petitiononline.com/nilin/petition.html
bbs7/24の記事に抗議アピールの文面が翻訳されているので、参照の上、署名にご協力を。見たところ日本人の署名が少ない。こういうところで存在感を見せつけてこそ、「先進国」だと胸を張れるんじゃないか、とか(まあ、僕自身別に胸なんか張りたくないんで、余計な話だけど)。
また、『ビリン・闘いの村』は現地ビリン村の住民と、ISM(国際連帯運動)のメンバーが主な出演者。このISMについては、清末愛砂さんの著書『(「母と子でみる」シリーズ) パレスチナ~非暴力で占領に立ち向かう』(草の根出版会、2006年)が、ご自身の参加体験を鮮烈に描写していて、お勧めである。
一応その本にも書いてあったことで、以下のようなことを予備知識として知っておくと、映画がよりわかりやすいかも知れない。
・2001年、パレスチナ人活動家ガッサーン・アンドーニ、イスラエル人活動家ネタ・ゴランらを中心に創設された。
・非暴力・直接行動によってイスラエルの占領に抵抗する。世界各地から参加するメンバーは、非暴力に徹するためのトレーニングを受講してから行動に参加する。
・抵抗運動の主体はパレスチナ人である、という前提を守る。その上で、パレスチナ人であれば身に危険が及ぶような場面で、外国人であることを利用して矢面に立つ。
・危害を加えられる、住居破壊に会う可能性の高いパレスチナ人の家に泊まりこんでそのリスクを減らしたり、時間稼ぎをする、などの作戦にも従事する。2003年、アメリカ人のメンバー、レイチェル・コリーが住居破壊に抗議している最中、イスラエル軍のブルドーザーにひき殺された事件はまだ記憶に新しい。
当ブログのブックマークに入っているIRREGULAR RHYTHM ASYLUMのシガ・ナオキさんも参加メンバー。同ブログにはパレスチナ以外の場所からのリポートも載っているが、やはりパレスチナ現地からの情報が生々しい。いかにテレビのニュースなどが何も伝えていないか。こちらもご参照のこと。
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をクリック。出てきた4列の書き込み欄のうち、上の二つ(名前とメアド)は必須、下の二つ(コメント、出身国名)は任意です。その下の
Email Address Privacy Option: (choose one)
はPrivate(署名主催者のみにメアドを教える、という意味)のままでいいでしょう。
Preview Your Signatureをクリックすると、ページが変わって、自分の書き込んだ内容のプレヴューが見れます。OKならその後、たしかConfirm(承認)だったかな、それを最後にクリックして終わりです(この最後のページにもう僕は行けないので、はっきり確認できないのですが。すいません)。
Current Signaturesのところをクリックすると、自分の署名が載っているかどうか確認できます。
署名趣旨の英文を訳したものは
http://hamsa.8.bbs.fc2.com/
で佐藤レオ監督が掲載してくれています。