市民権を得つつある没落の思想
五木寛之さんの『下山の思想』(2011)幻冬舎新書という本がベストセラーとなっています。
「下山」というタイトルからすると、その内容のイメージは直接伝わってこないのですが、要するに「没落示唆本」です。要するに「もう、これ以上の成長はいい」と述べ、最終章はノスタルジアを楽しむべきだと結んでいます。
五木さんの主張そのものには是非論がありましょう。ただ、驚くべきは、この本が今日はアマゾンで26位、少し前は4位になっていたことです。これだけ多くの読者が没落思想に共感しているとは驚くべきことです。そのことの方が私には驚きでした。
世界を席巻する日本アニメ
さて、私が書いた没落本では、古代回帰の事例として、古代ローマ時代のテクノロジーを参考にエコマテリアルの開発に取り組んだフェルナンド・マルチネス博士を登場させています。
2010年5月に、キューバのサンタ・クララで博士の自宅を訪れた際、リビング・ルームに顔を出した小学生であるご子息が私の顔を見るなり、いきなり「NARUTO!」と叫びました。耳にしたこともない単語です。
何か地元の俗語かと思ったところ「息子が大ファンなので、つい」と博士がその説明をすぐにしてくれました。
『ナルト』とは、岸本斉史氏原作のアニメ漫画です。落ちこぼれ忍者・ナルトが、里一番の忍を目指して数々の試練を乗り越えていく物語で、海外の人気はすこぶる高く『ドラゴンボール』の後継作品として認知されているといいます。ナルトは米国のみならず、キューバでも放映されています。
日本人が来たということで、少年にとっては、フジヤマでもゲイシャでも、トヨタでもソニーでもなく、日本を代表する印象「ナルト」が思わず口に出たということなのです。
実際、ハバナ滞在中に何気なくホテルのテレビにスイッチを入れたところ『ハウルの動く城』が放映されていて仰天したこともあります。
わしが台湾国総統、江田島平八である!
昨年末に旅した台湾でも日本アニメは大変な人気だといいます。
「わしが男塾塾長、江田島平八である!」
という決め台詞で知られる宮下あきら氏の『魁!男塾』の人気も高いらしく、酔狂なことに、若者とともに奇態なコスプレを演じている老人の姿もネットではヒットします。
老人は台湾の若者たちから頼まれて2004年11月に江田島の役を演じたのですが、「あまりにも日本に入れ込みすぎているのではないか」と冗談のコスプレが政治的ニュースにまで発展したのは、この老人が台湾の前総統であったためです。
李登輝氏は、旧京都帝国大学で農業経済を専攻した大変なインテリです。敬虔なキリスト教徒でもあり、司馬遼太郎氏がその死の2年前に『街道をゆく』で行なった李登輝氏との対談は、今を読み返してみても新鮮です。とはいえ、さしもの司馬氏もその10年後に李登輝氏がまさかこのようなコスプレを興じるとは予想できなかったのではありますまいか。
大日本帝国時代の古きよき日本的教養をバックボーンとした親日家の象徴が李登輝氏であるとするならば、そうした過去の日本が断絶した後に、ただアニメのファンとして日本に関心を持つ若者たちは、新たな親日家の象徴といえるかもしれません。実際、今回の旅でずっと同行してくれた方は、日本語がすこぶる堪能でしたが、理由を聞くとお姉さんが、東北大学に留学し今も日本に住まわれているとのこと。そして、お姉さんの留学のきっかけ、日本語を学ぶことになる契機となったのもアニメだといいます。江田島のコスプレは、旧世代と新世代の台湾の親日家をつなぐ象徴的姿といえるかもしれません。
自国文化がこのように評価されるのはまことに嬉しいことです。
台湾は文明国である
さて、私はいったい何を語ろうとしているのでしょうか。話が飛躍するようですが、私は愛国主義者です。祖国を愛しています。江戸時代から庶民文化を発展させてきた祖先たちに誇りも持ってきました。そして、日本はまぎれもない文明国であると信じてきました。
では、文明とは何なのでしょうか。台湾が参考となります。前出の『台湾紀行』で司馬遼太郎氏は李総統との対談の中でこう語っています。
「台湾は文明国ですね。牛乳配達する人が途中でゲリラに殺されることなく、安全に届けられる。朝に新聞が無事に入り、世界中の情報が読める。これが文明だと思うのです」
夜、安心して眠れる国したい」というのが、はじめて本島人出身にして統治者になった李登輝博士の願いであり、願いはいまも続いている。戦後のある時期、ひとびとはゆえなく「国家」から襲われる危険におびえていた。その時代がおわった(P376)。
ですが、3.11以降、私の愛する日本は変わってしまいました。いえ、本当に言えば、私には見えていなかった日本という国家の本性が剥き出しになっただけなのかもしれません。
例えば、有田一彦さんのブログのシリーズ「この国は壊れている」というシリーズを読むとそうした想いをよけいに強くします。
例えば、1月1日に地震がありました。その結果、フクシマ4号機では何らかの事故が起こったようです。カレイド・スコープの1月8日のブログを読むと、1月2日~3日にかけ、今までの10倍の量の放射性物質が出ていたのですが、1月1日はNDとなっていて、なぜか必要な情報が発信されていません。この事実をもとに、このブログでは、次のような過激な発言が述べられています。
「辛い話ですが、再び巨大な余震が福島第一原発の近くで起こった場合は、東電は、しぶしぶ発表するでしょうけれど、そのニュースがテレビを通じて私たちに届くのは、致命的な被曝してしまった後でしょう(略)。目安として震度5以上の余震が福島第一原発のすぐ近くで起こったときは、すぐに新幹線の駅へ、空港へ、あるいは車に乗って西へ南へ。どの方角かは、そのときでないと分らない」
このサイトの発言は、いささか恐怖過敏症のようにも思えるのではないでしょうか。ですが、ネットで検索すると前出の五木寛之さんが、「公共放送がとどまれと言ったら逃げる」という凄まじい意見を語っていることがわかります。
五木さんは1932年生まれですから、終戦時には13歳でした。朝鮮半島で生まれた五木少年は1947年にピョンヤンから福岡に引き上げるのですが、ソ連軍侵攻によって、お母さんが襲われ、その後死に至りました。
当時ラジオでは『治安は維持される。市民は軽挙妄動をつつしみ、現地にとどまれ』と繰り返し放送していたそうです。そこで、五木氏はこう語ります。
「以来僕は、公の放送がとどまれと言ったら逃げる、逃げろといったらとどまるというのを指針としてきました」
五木さんの没落思想の背景には、母を失ったこんなつらい幼少期の覚悟があったのです。
カレイド・スコープの1月8日のブログでは「東京都は、いよいよとなればバリケード封鎖されるはずです。すでに、その予行演習は済んでいます」と、道路封鎖されていれば、どこにも行けないとの懸念が述べられています。
このような過激な見解を支持するかどうかは個人の自由です。私自身はそこまでやるのだろうか?と首をかしげたくなるところがないわけではありません。
ですが、放射能事故があり、避難しようとする都民を避難させないために軍が動くという常識では考えられないトンデモ発言を日本人がし始めていることに私は大きな驚きを覚えます。
もし、こんなことが起こるとすれば、終戦直前に司馬遼太郎氏が、体験したことを想起させるような事態です。
当時22歳の青年であった司馬氏は、きたるべき本土決戦に備えて栃木県・佐野に戦車兵として滞在していたのですが、こう述べています。
「東京湾か相模湾に米軍が上陸してきた場合に(略)、東京から大八車引いて戦争を避難すべく北上してくる人が街道にあふれます、その連中と、南下しようとしているこっち側の交通整理はちゃんとあるんですか、と連隊にやってきた大本営参謀に質問したんです。そうしたら、その人は、すぐ言いました。
「ひき殺していけ」
(「朝日ジャーナル」昭和46年1月18日号)
この発言は作り話ではないか、という批判も多くあります。ですが、司馬遼太郎氏は、文学者の感性で当時の状況をまさにこう表現したのだと私は考えます。とするならば、もし、司馬遼太郎氏が生きていれば、李総統との対談の中で、いまの事態に対して、こう語るかもしれません。
「牛乳配達する人が途中でゲリラに殺されなくても、その牛乳は放射能に汚染されているかもしれず安全ではない。朝に新聞が無事に入っても、そこには本当の情報が読めない。夜、安心して眠れれない国。『こんな国は文明国ではない』、甲高い奇声のような響きがどこからか聞こえてきたような気がした」
さて、台湾にこだわっています。酒井亨氏の台湾分析が非常に面白かったので、『台湾人にはご用心!』(2011)三五館を買って読んでいます。この本で酒井氏は、台湾人は国家へも会社にも所属意識がないのだ。基本的には少数民族の母系社会やマレー人気質を継承しているために、中国とも韓国とも日本とも違った人々なのだ。そのために、熱心に国家を作る意識もないのだと述べています。
はたして、国家とは私たちのためにあるのでしょうか。国家は必要なものなのでしょうか。五木氏の言うように、日本という国が下山していくとするならば、国家崩壊というカタストロフィーを招くのか、それともソフトランディングができるのでしょうか。そんなことを、ジョセフ・テインターの国家崩壊論から、考えていきたいと思っています。