没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

東大話法と満州国

2012年01月21日 23時31分13秒 | 崩壊論


キューバの防災の取組みが紹介されました

 1月20日販売の雑誌「エココロ」の最新号「愛しのグランマ」に枝松麗さんが「キューバの防災と脱原発」と題し、幸せ経済社会研究所が行ったオープンセミナーのリポートを秀逸な文章でまとめていただいております。

 本の書評もそうですが、優れたルポライターやジャーナリストは、著者が潜在意識として語りたいと思っていることを言葉の断片から捉え、濃縮して二次加工した表現でアウトプットすることにより、「そうか、私はこういうことを言いたかったのか」と話した本人も再納得するような処理を行うことができます。枝松麗さんのリポートもそうした優れた濃縮事例で、わずか2Pながらキューバの防災と脱原発と幸せについて考え直す機会を与えていただきました。この場を借りてお礼をもうしあげます。

 さて、このリポートでも紹介されていただいたキューバのマリオ・アルベルト・アビラさんから、「機会があれば日本でキューバの再生エネルギーについて講演をしたい」というありがたいメッセージがはいってきました。

 また、昨年の12月29日のブログでは「海を超えて広まりゆく没落コンセプト」と題して、防災本の台湾訳が決まったと報告しましたが、韓国からも「防災本」を翻訳したいとの問合せが来ました。まだ、出版してから1月強しか経っていないのに、外国から反響があるというのはまことに嬉しい話です。

 とはいえ、「だとすると、なぜだろう。なぜ、台湾や韓国でキューバの防災やエネルギー問題が関心がもたれるのだろうか」とつい考えてしまいます。

 地震がある台湾はまだしも、安定した大陸の上に乗る韓国は原発はあるにしても地震はないではありませんか。それに、あれほどの地震被害を受けてすら日本の原発事故はすでに冷温停止し、無事収束してしまったではありませんか(1月20日の降雪では都内でセシウムが検出されたという説もありますが)。

 ということは、海外ではまったく違う形でこの日本の被害が受け止められているのではないでしょうか。そう思ってネットを検索してみると奇妙な記事がヒットします。例えば、1月17日には「Peace Philosophy Centre」に「日本政府は米軍の安全を日本市民の安全より優先させた」という記事が出ています。

 また、ニューヨークタイムズが「原発事故に関する日本政府の説明に『異議あり』」という記事を書いています。

 日本国政府の主張が海外から信用されていない。これは、まるで過去の満州国のリットン調査団を思わせるものがあって、まことに気が滅入ってきます。

利潤があがっていなかった満州国

 話が飛びますが、安冨歩東大教授の「東大話法」があまりに面白かったため、続けて、「生きるための経済学」(2008)NHKブックスや「経済学の船出、創発の海へ」(2010)NTT出版も買って読んでいます。とりわけ、面白かったのが創発の海のでている満州の指摘です。

「私は満州国の金融のなかで、満州国を巡る資金の流れを徹底的に調査したが、それは実に驚くべきものであった。戦時期に膨大な投資が満州になされたが、そこからの日本への見返りは極めて限られていたのである。満洲への投資は日本社会にとって非生産的であったばかりではない。目先の戦争の役にすら立っておらず、むしろ日本の足を引っ張っていた。何の役に立ったのかというと、軍人と官僚の出世の役に立っただけというように私は感じている」(P171)。

 この満州崩壊説は、属州が帝国の役に立っていなかった、というティンター教授のローマ崩壊説とシンクロします。安冨教授の本が面白いのは、経済学を出発点に複雑系をきちんと勉強され、それを踏まえ、社会生態学を構築されようと模索されていることです。

温暖化防止という東大話法

 さて、改めてテインターです。ベストセラー『文明崩壊・下』(2000)草思社の著者、ジャレド・ダイヤモンド教授は、第14章で、こうテインターを批判しています。

「社会の崩壊を扱った書物で、おそらく最もよく引用されるのは、考古学者ジョーセフ・テインターの『複雑な社会の崩壊』だろう。古代の崩壊に関するさまざまな解釈を検討するうえで、テインターは、それらの崩壊の原因が環境資源の枯渇にあるらしいという可能性にさえ、懐疑的な姿勢を保った(略)。つまり、テインターの理論は、複雑な社会が環境資源の管理に失敗して自滅するとは考えにくいと示唆している。しかし、本書で論じたあらゆる事例から見て、まさにそういう失敗が繰り返し起こっていることは明らかだ」(P217~218)。

 そして、ダイヤモンド教授は2012年1月3日の朝日新聞の特集記事で、原発を捨てるな、と提言しているのです。

「けっしてフクシマの悲劇を軽んじるつもりはありませんが、原発事故もまた『リスクが過大評価されがちな事故』の典型例です。私たち米国人もスリーマイル島原発の事故の後、1人の死者も出なかったのに、新しい原発の建設をやめてしまいました。それはあやまちだったと思います。原子力のかかえる問題は、石油や石炭を使い続けることで起きる問題に比べれば小さい、と考えるからです。たとえ原子力の利用をやめたとしても、しばらくは化石燃料にたよらざるをえません。放射能の危険性と同時に、化石燃料の危険性も考えるべきです。二酸化炭素による地球温暖化はすでに、大きな被害をもたらすサイクロンなどの熱帯低気圧を増やしていきます。放射性廃棄物は地下深くに封じ込められますが、放出された二酸化炭素は200年間は大気中にとどまるのです。いま一度、『現実的になろう』と言わせてください。原発事故や地震で、文明が続く可能性がそこなわれることはありませんが、二酸化炭素は現代文明の行く末を左右しかねない問題なのです」

 えっ。学生時代の愛読書であったガイア仮説の提唱者、ラブロックが原発推進論者であったことは知っていましたが、ダイヤモンド教授も原発推進論者であったことは意外でした。

 環境破壊で文明が滅びるのではないというテインターの理論は間違っている
 温暖化という環境破壊で文明は滅びる可能性がある
 原発はクリーンなエネルギーである
 したがって、文明崩壊を避けるためには原発を捨ててはならない

 どうも、これは、安冨教授の言う東大話法のように思えます。もっとも、ジャレド教授は、ハーバード大学卒で東大卒ではないのですが。

 これに対して、テインターは「私たちはどのように危機を受け入れればいいのでしょうか」というインタビューでの問いかけにこう答えています。

「こうした質問がよく寄せられます。そして、以前にそうであったほど、私は楽観的ではありません。新たなエネルギー源が必要となるのは確かです。ですが、新たにエネルギーを作り出すことはそれ自身の問題を生じさせます。時間がたてば、私たちがこれに対処することになります。私たちは原子力とその廃棄物についてこれを予測できます。いわゆる「グリーン」エネルギー源でさえ、環境的なダメージが大きくなるでしょう。私たちの適合のすべては短期的です」

 そこで、エネルギー問題について、テインターが最近何を考えているのかを調べてみました。

 すると、さすが、テインターです。バズ・ホリングの複雑系理論に言及しているだけでなく、ローマ崩壊とビーバーの巣づくり、そして、葉を原料にキノコを栽培するハキリアリをエネルギー収支率(EROI=Energy Return On Investment)から分析した論文も見つかりました。ハキリアリについては拙著「知らなきゃヤバイ!“食料自給率40%”が意味する日本の危機」(2010)日刊工業新聞で紹介したことがありますし、山内昶さんの「経済人類学への招待―ヒトはどう生きてきたか(1994)ちくま新書に登場する先住民たちの労働時間や暮らしにもふれています。

 さらに、崩壊した西ローマ帝国に比べ、ビザンチン帝国が存続した理由は、組織のシンプル化であったと分析しています。

 テインターによれば、西ローマ帝国はその膨れ上がった莫大な軍を維持するため、帝国全土に増税を行い、結局軍事費に耐えきれず崩壊してしまったのですが、ビザンチン帝国も同じく軍事費の負担に耐えられなくなったとき、驚くべき戦略を取ります。

 高等教育をあきらめ基礎的な識字力と算術だけにし、同時に兵士には自給農地を配布し、いわゆる屯田兵制度による軍事費削減と防衛力、愛国心を育成したのでした。

 テインターによれば、複雑化した社会がたどる方向性は三つしかありません。

 ① 複雑さをますます高め、ある日、想定外の事態によって破局的に崩壊する(西ローマ帝国)
 ② 複雑さを維持するため、他国から資源を奪うかエネルギー補助金に頼る(西ヨーロッパ→これからはピーク・オイルで無理、原発も資源枯渇と廃棄物処理で同じ)
 ③ 複雑さを投資見返りがある程度まで、シンプル化する(ビザンチン帝国)

 経済危機当時に、当時の軍務大臣であったラウルによるキューバの軍事パレードのフィルムは見たことがあるのですが、驚くべきことにその時登場したのは、ミサイルでも戦車でもなく、自転車に乗った兵士たちでした。まるで、旧我が帝国陸軍の銀輪部隊です。これもテインターのビザンチン帝国サバイバルの戦略を想起させます。

 複雑系を意識しているかどうか。これが、東大話法であるかどうかをチェックするひとつのキーワードになるかもしれません。

 とにかく、テインターは持続性についてもまったく独自の見解を持っているので、続けて勉強しなければならないと思っています。