
開港記念会館の向かい側、かつて「セントラルグリル」や立ち食い蕎麦屋があった場所から、関東大震災以前の建築らしい赤レンガの擁壁が現れたことは、前の記事でご紹介した。 足場を組んで何やらやっているところを見ると、どうも取り壊すのではなく保存に向けた工事を行っているようだ。 この建物はいったい、いつ頃造られ何に使っていたのか、非常に興味のあるところで、いろいろな方々に聞いて回った結果、以下のようなことが判明した。 思ったとおり、専門家の調査が入り、どうやら震災前の貴重な建築物の一部であることが分かってきたらしい。 これしか残っていないのだが、一応、保存に向けた動きもあるようだ。 そんな聞き込みと同時に、私もいろいろ文献をあさってみた。 その資料のなかで、これじゃないのかと思うものがあったのでご紹介しておこう。 それは『開港の舞台』という本である。 明治から大正にかけて横浜の中心部にあった建築物を手書きのイラストで綴っている。 ![]() これだ。 話題の現場は開港記念会館の向かい側。 左上に描かれているのが開港記念会館で、赤レンガ建築の一部が出現したのは、左下の場所だ。 それを見やすい方向から撮影すると… ![]() こうなる。 あの角地に建っていたのは「福島商店横浜支店」に違いない。 残念ながら本に描かれているのは、本町通からのファサードだけなので、側面の様子が分からないが…。 特徴的なアーチが見えない… でも、おそらくこれが出現したレンガ建築なのだろう。 そう思いたい。 ![]() |
これも本町通り側しか映っていませんねぇ。。。
側面を見たいです。
どのように保存するのか気になりますね。
あ、その前に、これは本当に震災前の建物の一部なのか、
それが問題ですけど…
横浜市の行う保存方法は、
こちらのお方が詳しいです。
http://hama80s.exblog.jp/22496652/
行き交う貴婦人 紳士
馬車に人力車
明治初期の錦絵に、そのまま出てきそうだ…
「ハイカラ」「洋行帰り」なんて言葉が飛び交っていそう。
触ってみたいな(笑)
建築物の基礎部分を化囲む様にコンクリートを流していたので現状の場所からは動く事はなさそうですね。
震災前 大事にして頂きたいです。
この場所で保存してほしいです。
私は触ってきました。
レンガも1個もらいたかったけど、やめておきました。
フットワークが軽いですね。
すぐ見に行くなんて。
私も再確認してきます。