
昔の新聞を見ていると、いろいろな発見があるんだよね。先月見たのはこれ、市民酒場の広告。 昭和25年8月30日の神奈川新聞に掲載された「大黒市民酒場」だってさ。ここから見えてきたことは…… この時点でもまだ「カストリ横丁」という通りの名前は一般に通用していた。以前ご紹介した「夜を稼ぐハマの子供たち」(昭和25年2月の新聞記事)にもカストリ横丁という名が使われていたよね。今回の広告はそれから6か月であるが、まだまだ名物横丁だったことが分かる。 ほかに「クジラ横丁」とか「くすぶり横丁」なんてのもあったが、詳しくはコチラで。 カストリというのはカストリ焼酎を省略した言い方で、終戦直後の日本で出回った粗悪な焼酎のことだ。 酒粕を蒸留してつくるから、こんな名前がつけられたが、実際には何が加えられていたかはよく分からない。 そんな店が並んでいたのがカストリ横丁だった。 広告には「純良焼酎の店」と書いてある。昭和25年といえば朝鮮戦争が勃発した年だ。戦後日本はこれを契機に特需が生まれ、高度成長へと進んでいく。だからカストリ焼酎ではなく、まともな焼酎を呑ませる店が増えていたのだろう。 「大黒市民酒場」というのは、いままで私が把握していなかった店である。現在、野毛に「大黒屋」という大衆酒場があるけど、もしかしたらココと関係があるのかもしれないね。あるいはまったく無関係で、「大黒市民酒場」というのは昭和20年代に消えているのか…… 新聞広告の方へ戻ろう。市民酒場の左上には「靴のデパート 大口の丸善」というのが載っている。現在、大口にはなさそうだが、ネット検索してみたらこんなのがヒットした。 なんだか関係ありそうだね。 市民酒場の上には「求女中」という広告が載っている。昭和20,30年代、裕福な家庭には女中さんという女の人がいたもんだ。 たいていが大きな邸宅だったから住み込みだったのではないかな。 女店員募集というのも出ている。広告主は伊勢佐木町3丁目のレンサン百貨店だ。勤務するのは土産品部。「多少英語」とか書いてあるので、この土産品は、たぶんアメリカ人向けなのだろうね。当時、関内周辺にはスーベニアショップがたくさんあったから、当然デパート内でも売られていたはずだ。 広告欄には「求貸間」とか「性病科」とか、どれも時代を反映するものが載っていて、見ていて飽きないね。 ![]() |
昔の広告は味がありますね。凸版なのでしょうか? 結構細かいですよね。
それにしても、女中さんを探している人が広告を出すのは普通として、貸し間を探している人も広告を出せたというのは、掲載料が安かった? それともお金がかかってもよい、切羽詰まっていた? 今見ると謎です。
むかしは活字を拾って版に組み込んで印刷していたから大変でした。
文字も小さいし。
そのぶんレタリングがいい感じですよね。
細長い広告の間に、
「○○子すぐ帰れ」とかいうのも出ていました。