中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

西表島横断!

2013年12月20日 | 美味しい情報(横浜以外)

 もう15年ほど前のことだが、西表島を横断したときの写真が出てきたので、今日はその話をしよう。

 一緒に行ったのは、当時私が所属していたバンドのベースマン、エヌ氏である。沖縄に行くようになったのは私の方がかなり早いのだが、訪問回数はほんの僅かだ。
 逆にエヌ氏はなにごとも集中的に行動するタイプで、沖縄を初めて体験したあとは毎年2.3回は旅するようになっていた。
 しかもただ周遊するだけではなく、シュノーケリング、ウィンドサーフィン、そして三線(沖縄三味線)まで習得してしまったという男なのだ。

 そんな彼から西表島横断に誘われた。私もいつかはやってみたいと思っていた山行である。即座に「行こう! 行くぜ!」となった。

 1999年3月某日、我々は石垣島から高速船に乗り、雨上がりの西表島仲間港に上陸した。


 当時は西表島横断のガイドブックはおろか、詳細な山岳地図もない時代。インターネットで調べても、必要とする情報はほとんど得られなかった。

 それでも探し出した僅かな資料をもとに横断に挑んだのである。

 まずは横断コースの出口となる終盤のコースや周囲の風景を確認しておくため、小雨の中を逆から遡ってみた。


 巨大なシダ、八重山ヤシなどが鬱蒼と茂っている林道。

 「横断したら最後はここを下って来るんだな」などと確認し合う。

 そんなこんなで、「西表島横断成功!」を願って酒を呑みながら、夜遅くまで沖縄について語り明かした。


 翌日。仲間川を出発。

 西表島横断の起点となる反対側の船浦地区へと向かう。


  これは途中で見たスオウノキ。巨大な根っこだ。



 カヌーに乗ってピナイサーラの滝まで行ってみる。



 海中に生えている樹木。不思議な光景だ。



 ピナイサーラの滝が見えてきた。



 カヌーを下りてジャングルの中を昇っていく。



 滝の真下に出た。
 マイナスイオンが気持ちいい!

 天候はあまり良くなかったが、いろいろと遊んでこの日は船浦地区の民宿に泊まる。
 いよいよ明日は西表島横断である。
 オリオンビールを1缶でやめて早めの就寝。


 3日目。いよいよ決行の時がやってきた。

 コースはこうだ。

 浦内川下流船着場~上流船着場・軍艦岩~マリュードの滝~カンビレーの滝~第2山小屋跡~イタジキ川出合~仲間広場~第1山小屋跡~古見・大冨分岐~登山道大富口~休憩所・東屋~ヤエヤマヤシ展望地~林道第2ゲート~大富バス停。

 前日にカヌーを借りたところのオヤジさんの話では、通常、8時間くらいのコースタイムだという。船の始発がたしか9時半くらいだったので、普通に横断しても大富バス停に到着するのは18時近くなる。
 しかし運動不足の私の場合は、もしかしたら10時間以上かかるかもしれない。そうなると最終バスに間に合うかどうか微妙なところだ。

 しかもカヌー屋のオヤジから怖い話をたくさん聞かされていたので、かなりの不安を抱えての出発となった。
 
 その怖い話というのは……

 毎年、必ずと言っていいほど遭難事件が起きているというのだ。
 最初の話は、女性の単独横断者がジャングルで迷った挙句、地元の方々に助けられたという話だ。彼女はどこでどう道を間違えたのか、同じところをぐるぐる回って、最後は滝の上に迷い込んでしまったのである。そこで前進も後退もできなくなった。それでも生きて帰れたからいい。

 次の話はすごい。
 男性がジャングルの奥地で心臓病のため歩けなくなり遭難。地元の人たちが救出に向かった……
 そんな前置きから始まったのだが、この遭難者が只者ではなかった。体重が100キロ以上あったのだ。
 彼を担架に乗せ下まで下すのに、大変な作業だったという。しかも、その人は病院に運ばれたが助からなかったそうだ。

 危険なのは道に迷っての遭難だけではない。ヒルやハブなどに噛まれるかもしれないという恐怖も無視できない!
 ヒルは樹木の上に待機していて、人間が近づくとその熱を感知し、ちょうどピッタリの移置で上から落下してくるという。だから西表島横断には傘が欠かせない、そんな話をむかし聞いたことがある。

 さまざまな恐怖を抱いてのスタートとなった。

 「浦内川下流船着場」を始発の船で出発し、「上流船着場」で真っ先に下船。軍艦岩を経由してマリュードの滝、カンビレーの滝に着くと、長髪・髭ボウボウ・黒いごみ袋に生活道具一式…という男が川辺に座っていた。どこかヒッピーかホームレスといった風体。

 我々が乗ってきた船にはいなかった人間だ。まさか反対側から横断してきたとも思えない。このあたりに住み着いているような感じだった。
 あの頃はオウム真理教の手配写真が沖縄のあちこちに貼られていたので、もしかしたらその一味だったのかも…

 そんなことは、まあいい。とにかく我々には時間がないのだ。滝の周辺で写真を撮りあっている観光客を横目に、ジャングル奥地へと進む。


 横断コースは非常に分かりづらい。

 事前に聞いていた話では、踏み跡があるからそれを辿っていけばほとんど問題はないという。ただし注意する箇所が2つ。イタジキ川出合では渡渉しなければならないのだが、ここで道を間違える人が多いらしい。
 それから古見・大冨分岐。古見方面へ紛れ込んでしまうと、こちらは廃道になっているため最後は行き詰まってしまう。

 しかし、問題はルートだけではなかった。山道のほとんどが泥濘だったのである。重たい登山靴で来たのを後悔することに。これなら長靴の方が良かった。
 そんなことを考えながら泥に足を取られ、ゆっくりゆっくりと進む。標高自体は500メートルもない低山なのだが、登り降りがすごい。登りの総計は1000m以上かもしれない。

 第2山小屋跡(上の写真)で小休止。その後、問題のイタジキ川出合をなんとか渡渉し、第1山小屋跡に辿り着いたころ、私はヘトヘトに疲れ切っていた。もう、ここでビバークしたかった。

 丁度そこには○○薬科大学のワンゲル部の一団もいた。見ると、ひとりの部員が完全にダウン。地面に倒れたまま身動きできないでいた。
 これなら彼らと一緒にビバークするか、なんて考えていたのだが、エヌ氏から「さぁ、行くぞ~」と声をかけられ、疲れた身体に鞭打って出発。

 ところがこのあと、踏み跡がたくさんある場所に至り途方に暮れてしまう。どの踏み跡を行っても行き止まりなのだ。これは多くの人たちが迷いに迷って逡巡した跡なのだった。

 登っては下り、登っては下り…なんてやっているうちに、私は完全にグロッキーに。そこに単独行の若い男が追い付いてきた。元気いっぱいの彼があちこち偵察し、なんとか正しいルートを見つけることができた。

 時計を見るとすでに午後4時を過ぎている。急がないとジャングルの中で陽が落ちてしまう。そうなったら大変だ。
 やがて私はエヌ氏に付いていくことができなくなってきた。ここで彼に先に行ってもらうことに。

 N:自分は一足先に行くけど、車に乗って林道を遡って来るから、そこまでしっかりと歩いてきてね!
 私:ああぁ…
 N:決して寝込んだりしないように!
 私:ああぁ…

 ということで彼とはここで別れ別れに。展望台に着いた時には周囲は真っ暗になっていた。
 ジャングルを抜けたとはいえ、灯りのない山道を独りで下っていくのは怖い。脇のヤブからチカチカと輝く青い眼が不気味だ。イリオモテヤマネコだろうか…(そんなことを考えていたが、あとで調べたらあれは蛍の光であることが分かった)。

 この時点で時計は午後8時を回っていた。靴擦れした足が痛いし、腹は減ってきているし、もう気分は遭難だ。
 しばらくすると、下から数人の男性たちが登ってきた。手に懐中電灯を持ち、前方に向かって何やら声をかけている。

 男:薬科大学ワンゲル部の一行を探しているのですが、途中で見かけなかったですか。
 私:第1山小屋跡のあたりで一人の部員が動けなくなり、みんなで停滞していましたよ。
 男:民宿に辿り着く時間をはるかにオーバーしているので、親御さんたちから捜索の依頼があったんです。
 私:ああぁ、やっぱりね……。ビバークせずに民宿まで向かうと言っていましたから、かなり遅くなると思いますが、いずれやって来るでしょう。

 捜索隊と別れた私は、再び真っ暗な山道を一人で下って行った。
 この島にはイノシシもいるというから非常に怖い。襲われたらどうしよう、そんな不安を打ち消すように大声で島唄を歌いながら下山を急ぐ。

 21時ころ、やっとの思いでバス停に到着。もちろんバス便はない。登山靴を脱ぎビーチサンダルに履き替え、広い車道をとぼとぼと歩いて行く。

 しばらくすると向こうから車が1台やってて私の前で止まった。窓から顔を出したのはエヌ氏だった。
 これで助かったと思った。

 22時すこし前、民宿に到着し遅い夕食をいただく。オカズが何だったのか記憶も写真もないが、むさぼるようにガツガツと食べたことだけは覚えている。
 

 若いころから様々な冒険、自転車での登山などやってきたが、この時の西表島横断ほどきついものはなかった。
 やはり直前に降った大雨の影響が大きい。あれで山道が泥田になってしまったのだ。そのため登山靴がズブズブと沈み、一歩踏み出すのさえ困難を極めた。

 だから山中での写真が全くない。それが残念だ……

 今は小型のデジカメがあるから、ジャングルの中でも頻繁に撮影できる。次に行くときは動画なども交えて記録に残したいと考えているのだが、最近は体力が衰えてきているし、もう横断するのは無理かなぁ……

 

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4 コメント

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スリル (とも2)
2013-12-21 08:46:39
いやはや大変な思いをされたようですが、今となってはヨイ思い出になったことでしょう(笑) ワシも楽しく読ませていただきました。

しかし、アラフォーで西表徒歩横断とは元気だなぁ…と、思いましたが、しっかりと落ちがあったのですね。 お互い、少しは基礎体力上げときましょうね。
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最近は (管理人)
2013-12-21 09:42:08
>とも2さん
体重がぶり返してきました。
せっかく4キロも落としたのに・・・
またやり直しです。
返信する
怖い怖い!西表徒歩横断 (馬の骨)
2013-12-21 15:10:24
子供のころ読んだ、山中峯太郎 著の「敵中横断三百里」を思い出しました。
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Unknown (管理人)
2013-12-22 06:18:59
>馬の骨さん
日露戦争物ですね。
ロシア横断もいいいかな。
返信する

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