開港祭初日の5月29日、横濱Bar’sデー150のカクテルコーナーでたらふく飲んだ私は、ふらつく足取りで新港ふ頭へと向かった。 普段は赤れんがパーク以外ほとんど無人のこのエリアだが、ここはかつてセンターピアと呼ばれる花形ふ頭で、北米定期航路などが就航していた輝かしい歴史を持っている。 ちなみにノースピアは瑞穂ふ頭。いまだに米軍により接収されたまま。 大さん橋はサウスピアと呼ばれていた。 その新港ふ頭からサンフランシスコ航路には「浅間丸」「秩父丸」「龍田丸」が、シアトル航路には「氷川丸」「日枝丸」「平安丸」が就航していた。 これらの乗客の利便性を考えて敷設されたのが、東京から横浜港駅を結ぶ鉄道である。そこを走る列車をボートトレインとか岸壁列車などと呼んでいた。 関東大震災後、外航ターミナルにそってプラットホームが設けられ、華やかな外国航路時代の最盛期を迎えた。そのホームが今、「赤れんがパーク」の休憩所として再利用されているのである。 戦後、外国定期航路の中心は大さん橋に移された。 1950~60年代には欧米から大型客船がしばしば来航し、大勢の外国人観光客が横浜を訪れていたという記事を、グラビア誌などで見たことがある。 70~80年代にはナホトカ行きの「バイカル号」とか「ジルジンスキー号」なんていう船もここから出ていた。テープが乱舞する出航風景が昨日のように眼に浮かんでくる。 一方の新港ふ頭だが、80~90年代には再び国際客船ターミナルの看板を掲げ、「鑑真号」「蘇州号」とかいう中国行きのフェリーが発着していたと記憶している。 現在は新鑑真号が大阪・神戸から出航しており、横浜港からは撤退してしまったが、ターミナルの看板だけは残っているようだ。 さて、前置きが長くなってしまった。この日、自衛隊の護衛艦「しらゆき」に体験乗船できるというので中に潜入してみた。 乗務員の部屋。 これじゃあ、プライバシーなんかないんだろうな。可愛そう…。 軍隊食。 太平洋戦争当時、アメリカ軍では既にこのような携帯用軍隊食(Kレーション)を多量に生産し、兵隊たちは高カロリーの食事をとっていた。 これに対し日本は戦地の軍隊だけでなく、銃後を守る国民の多くも食糧に困り、最後は草やトカゲなどを食べていたというのだから、あの戦争は負けるわけだ。 艦内の食堂。 さすがに狭くて天井が低い。 食事のメニュー。 5月29日の夕食は、うな丼・サラダ・厚焼き玉子・春巻・アサリの味噌汁に漬物と豪華だ。 診察室兼病室。 酸素マスクを付けた「けが人」。 そのマスクから吸入しているガスは… バルサン! そして輸血しているのは… ケチャップ! こんなことやって上官から叱られないのか聞いたら、上層部も皆さん了解済みとの返事だった。 なかなかさばけている艦ではないか! それでも階級の差は歴然としている。 先任下士官となると個室に大きなプレートも。 フロ&シャワー室。 洗面所。 おちゃらけ弾頭。 こんなのじゃ命中しないだろうと訊ねたら、これは展示用のものだと。 特設売店。 大日本帝国海軍の文字や戦艦のイラスト入り手拭い。 旧海軍の旭日旗は現在、自衛艦旗に引き継がれている。 「もはや戦後ではない」と言ったのは1956年の『経済白書』だったが、こういうグッズを見ていると「もはや戦前である」と思いたくなってくる。 海軍カレーのほかに、こんなのも売っていた。 ソーダの味がするそーだ。 これは打って…いや、売ってません。 見るだけ。 特設売店の横にあった「婚活コーナー」。 艦船勤務だと大変なんだろうね。 約40分間の艦内見学だった。 下船する頃にはすっかり酔いがさめていた。 こうして艦船の中を見せてさまざまな広報活動を行っているが、そのほかに隊員の募集もしている。 最近は不安定雇用の労働者や仕事のない若者が多くなっているので、さぞかし応募者が殺到しているのだろうと思っていたら、意外と若者には敬遠されているらしい。 今朝のニュースでも報道されていたが、長い航海で携帯電話が使えないとか、プライバシーがないとか、そんな理由なのだそうだ。 小さい頃から個室の子ども部屋を与えられ、学生になったらなったで大部屋の合宿生活も経験しない若者が増えているというから、これからの隊員募集はなかなか厳しい状況になるのではないか。 ところで、お見送りしてくれた広報のお姉さんの手には動物の手をかたどった手袋が。肉球も付いた手。 なんだろう、この白と黒の手は。 さて、こうして中をじっくり見学させていただいたこの日は、なんと5月29日。 体験した市民も次第に減ってきている、あの横浜大空襲と同じ日なのであった。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
誕生日でしたか!
こりゃあ、忘れませんよね。
でも、横浜大空襲の日を忘れないという意味ではよいのかもしれません。
横浜市民としてしっかり認識することで、戦争を繰り返さないことにつなげたいと思います。
艦長がさばけた人なんでしょう。
今度は体験航海してみたいですね。
何日か一緒にいれば分かりますから。
こういう空気は艦長のカラーなんですかね?
なんだか複雑で、ふ頭の位置関係が分からなくなります。
赤煉瓦パークのホームからの距離感を感じてみたかったです。
先日は大桟橋から観察しておりました。(苦笑
自分自身が体験したことなんてほんの僅か。
あとは先人たちの本やお話から得た知識だけです。
酔華さんは歴史本でもお書きになった方が良いのではありません?
忘れないうちにお書き留めを。