中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

石川町「助一」でバンドホテルの話を聴いた後は「Art Baboo 146」にて三線を聴く

2014年03月26日 | 中華街(台南小路・太平道・その他路地)

 3月上旬のことだが、歴史好きの仲間3人と一緒に、石川町にある「いろり焼き 助一」に行った。

 美味しいものを食べるのも楽しみであったが、主な目的はかつて堀川河口にあった「バンドホテル」の話を聴くためだった
 というのも、ここの女将さんは「バンドホテル」の社長夫人だったのだ。


 まずはホタルイカ、菜の花を食べながらビールで乾杯♪


 バンドホテルは、1929年から1999年まで中区新山下にあった。建物を解体したあと、今そこには「ドン・キホーテ」が建っている。



 ホテル名のバンドというのは英語で書くとBUND、海岸という意味だ。かつては目の前に海が広がる、まさに“海岸ホテル”だったのである。
 戦前は外国人の利用も多く、いかにも横浜らしい賑わいを演出していたという。

 
 しかし、昭和28(1953)年から始まった山下ふ頭建設が、ホテル眼前の風景を一変させる。昭和38(1963)年には広大で殺伐とした港湾施設が完成し、海岸線ははるか遠くへ追いやられてしまったのだ。


 昭和35(1960)年。道路にはコンテナトラックも走っていいないし、空間的にもまだまだ広さを感じさせている。



 1970年代後半から80年代になると、首都高速が堀川の上に建設され、それがバンドホテルからの眺望を邪魔するようになってきた。


 マリンタワーから眺めたバンドホテル。



 かろうじて海が見える程度だ。 



 その目の前に橋脚が建ち始めた。



 そして、こうなり……



 こうなった……
 


 なんだか涙で眼が滲んできたのかと思ったら、ピンボケだった…



 海鮮焼き…



 玉ネギも焼いて、バンドホテルのお話を聴く。



 当初は2階建てだった。この写真は7階建てにする前のもの。昭和20、30年代だろうか。それとも戦前かな…


 1980年代の私の記憶。
 ホテルの一画に「シェルガーデン」というライブハウスがあった。
 その名前は、おそらく「シェルルーム」に因んだものだったのだろう。

 まだ若かった私たちは、しばしばそこに通っていたものだ。

 
 横浜のホテルと言えば、「ニューグランド」が様々なエピソードと共に紹介されることが多いのだが、こちらのバンドホテルはどういうわけか情報が少ない。
 そのうち冬桃さんが何かしら書いてくれることを期待しよう。


 美味しい料理を食べながらバンドホテルのお話しを聴いたあとは、最近、中華街に住みついている女性のホームレスを訪ねしばらく身の上話を聴く。
 華やかで古き良き横浜を感じさせたバンドホテルの過去と同じくらい、彼女の経歴も豪勢でセレブなものだったという。多分、妄想だと思うが……。

 このあと男性だけで向かったのは、あの「Art Baboo 146」。
 店に入ると楽器を抱えた若者がいた。沖縄の三線である。


 なんか弾いてくれる?と頼むと、「三線の花」という曲をやってくれた。



 これが、その楽譜♪

 

 沖縄の音楽を聴きながら呑む泡盛がウマイ♪



 テーブルの真ん中に置いてあるのは水タバコ。イスラム圏ではよく見かけるものだが、本物を見るのは初めて。

 これは2人用だったかな。何人かで回し飲みする場合は、マウスピースを自分用のものに差し替えて吸う。
 


 トイレの中。

 これは国籍不明。でも、なんだか落ち着くトイレである。
 「Art Baboo 146」に行ったら、ぜひ、トイレも利用しよう。


 最後に、もう一度、バンドホテル関連の情報を載せておきたい。
 ホテルが解体されたあと、その場所に「ドン・キホーテ」ができたことは最初に書いたが、跡地で建設工事が始まると、周囲には「建設反対」の幟が林立するようになった。

 ま、結果はご覧のとおりお店ができ、結構、周辺の方々も利用しているのではないだろうか。

 ところが、これには後日談があって、この場所の歴史が分かってきたのである。
 開港後、ここに英国海軍の倉庫があったというのだ。
 現場を訪ねてみると、たしかにヤブの中に古い石垣を見ることができる。
 
 場所はこの奥である。
 金網フェンスの前に小さな案内板が建っているのがお分かりだろうか。そこに英国海軍倉庫の由来が書いてあるのだ。

 ところが由来板には設置者の名称が書かれていない。誰が建立したのか長いこと分からなかったのだが、いろいろ調べていくうちに、「ドン・キホーテ」を建設した中堅ゼネコンが設置したということが分かってきた。
 
 工事中は周辺の反対運動があったことから、建物竣工後に地域へのプレゼントという意味もあったのだろうか。
 
 興味のある方は山下公園やマリンタワーに行ったあと、ちょっと足を延ばしてみてはいかがだろうか。


←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね




コメント (20)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ギャラリー&カフェ「Art Bab... | トップ | 「興昌」にてバラ丼+ワンタ... »

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
バンドホテル・・・ (STING)
2014-03-26 09:41:57
いつも楽しく読ませていただいております。

とても貴重なお話し、ありがとうございました。
横浜に実家がありまして、「バンドホテル」は全盛期のころは知りませんが、両親は「シェルルーム」でダンス、息子は「シェルガーデン」で「アナーキー」のライヴと多少なりともリアルタイムでの想い出があります。

先日も実家に行ったついでに、石川町、中華街、福富町、都橋、野毛、と周って来ましたが、ずいぶんと変わってしまいましたね。
横浜らしい「いかがわしさ」が失せて行くのは寂しい限りです。
返信する
ヨコハマ懐か史 (吉継)
2014-03-26 10:56:49
昭和戦後のヨコハマ、横浜でなくカタカナが似合うヨコハマ郷愁が漂う場所たしかに素晴らしいです。
勉強になります、、ただ現在はドン○ホ○テー....ですか!
返信する
またぜひ! (冬桃)
2014-03-26 16:58:51
「助一」はおいしかったですね。
またぜひ付き合ってくださいね。
ディープな横浜が立ち上ってきそうな気がします。
返信する
変化 (管理人)
2014-03-27 06:12:42
>STINGさん
ありがとうございます。
バンドホテルには宿泊したことがなかったのが残念です。
いつでも泊まれると思っていたから…。
横浜はすごい変りようでしょ。
ちょくちょく見に来てください。
返信する
歴史 (管理人)
2014-03-27 06:14:27
>吉継さん
「懐か史」・・・いいネーミングですね。
素晴らしい♪
返信する
バンドホテル (管理人)
2014-03-27 06:17:06
>冬桃さん
また写真を見たいですね。
部屋の中とか、シェルルームとか。
シェルガーデンの内部も写真が残っていないでしょうかね。
返信する
Unknown (いその爺)
2014-03-27 12:31:17
助一の女将さん、バンドホテルの関係者だったのですね。
知りませんでした。
シェルルームは宿泊施設閉鎖後も、しばらく営業していた様に記憶しています。

素敵な集いがうらやましいです。
ぜひとも埋もれそうな歴史に陽のあてて下さい。m(__)m
返信する
Unknown (管理人)
2014-03-28 06:14:49
>いその爺さん
シェルルームに行こうと思えば行けたのに、
当時は、なかなか足が向かず、
勿体ないことをしました。
バンドホテルに光を当てたいですね。
返信する
Unknown (赤飯番長)
2014-03-28 15:44:43
酔華さん、こんにちわ。。。

バンドホテル、懐かしいですね~!
そうなんですよ、いつでも行けると思ってたら
行けなくなってしまいました(汗)

シェルガ-デンは友達がライブを
やったので一度行きましたよ~♪
返信する
是非、 (ばんど)
2014-03-29 05:44:43
お聞きになったホテルの話し、紹介してくださいな。
拙の名前はここからいただきましたが その実体に関して
は全くと言っていいほど存じ上げていないもので。
返信する

コメントを投稿

中華街(台南小路・太平道・その他路地)」カテゴリの最新記事