中華街を歩いていて、理髪店の多いことに気づいた人はいますか。これには理由があるのです。 華僑として横浜に入ってきた中国人の仕事は、仕立て屋、床屋、商館でのコック、通訳、買弁、両替商など多種多様でした。このうち、最初の三つは三把刀といって、手先の器用な中国人が得意だった刃物を使った職業です。 ここ、横浜中華街では、かつての「三把刀」のうち包丁(料理店)だけが突出していることは確かですが、結構、剃刀(理髪店)も奮闘しているのです。 これは山下町が西洋理髪発祥の地ということと関係しているに違いありません。 明治2年、居留地148番で理髪店を開いている日本人がいました。この148番という場所は、現在の横浜中華街市場通りのあたりです。 チョンマゲは「古くて野蛮」という理由で断髪令が出されたのが明治4年ですから、それより2年も前に営業していたことになります。 男の名は小倉虎吉。 彼は横浜で髪結床を営業していたのですが、外国船が入港するたびに、仲間の松本定吉らを誘って船へ乗り込み、乗組員の髭などを剃っていました。もともと手先の器用な髪結師のこと、何回も通っているうちに、虎吉は外国人の理容技術を覚えてしまったのです。 同様に松本定吉も居留地151番に店を出し、外国人を主な客にして成功したのです。妙香寺(中区)にある彼の墓石には「元祖西洋理髪師 松本定吉」と刻まれています。 ……ということで、この中華街には理髪店が多いのだと思いますが、いくら多いからといってもこういう光景は滅多にみられるものではありません。 床屋さんが2軒並んでいるのです! 正確に言えば横並びではなく、上下で別な店が営業しているのです。 ここは中華料理店が集積している街ですから、料理店が何軒も連なっていても不思議はありません。 しかし、それ以外の店舗となると、ちょっと珍しい光景となります。 たとえば2軒並びのお茶屋さんとか、「新亜製麺所(現在閉店)」と「東成軒製麺所」の2軒並びとか、これらは中華料理関連なので、まあこんなこともあるのだろうという気もしますが、それが理髪店となると「え?」っていうことになります。 このビル、1階が「理容堀内」、2階が「理容センター山口」なのです。 これは一体、どういうことなのでしょうか。 「はまれぽ編集部」に調査をお願いしたいところですが、ここは自分で取材ということで先日、「理容堀内」へ散髪をしに行ってきました。 店内は普通の清潔な理髪店といった感じ。たいして髪の毛のない頭ですが、一応希望のスタイルを告げると、まずは剃刀でササッとカットした後、ハサミを使って入念な散髪に。 その合間にご主人や奥様からお店の歴史などを取材します。 まずは一番気になっていたこと、なぜ同業者が上下で隣り合わせているのかということですが、実は無関係な店舗ではなく師弟関係の理髪店であることが分かりました。 そして見た目は60代といった感じのご主人が、実は70歳を超えていることも判明。 堀内さんはもともと、師匠である山口さんのお店で働いていましたが、やがて独立してここで店を構えると同時に、理容センター山口は2階に移転したといいます。 この道40年以上の腕は確かで、散髪し終わった私は見違えるほどのダンディーに変身しておりました。 帰りがけにいただいたサービス品。 こんな頭ですが、一応クシは必要ですので、ありがたく使わせていただきます。 理容堀内のHPは こちら。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
10余年ほど前のTVに中華街最後の1件と思われる仕立て屋さんが取材されていました。(DVD出来てます。)
仕立て屋さんのTVは見た記憶があります。
最後の1軒になった中国理髪も閉店して、
ずいぶん時が流れました。
床屋のお爺さんの剃刀の当て方は、
本当に滑らかでした。