まもなく2012年も暮れようとしています。 そういえば3月以降、ずっと気になっていることがありました。 それは2月に行った東北ボランティア活動の報告です。 実は現地の方から「いまだにこんな状態ですよ。被災地の現状をなるべく大勢の人たちに広めてください」と頼まれていたのです。 それなのに、今まで仕事にかまけて、あるいは中華街ランチに入りびたり、そのことは心の片隅に引っ掛かったまま、無為に過ごしてきてしまいました。 2012年の最終日となってしまいましたが、やっと年末年始の休みに入り時間ができたので、少しずつアップしておこうと思います。 私が出発したのは2012年2月26日(日)。目的地は釜石と大槌でした。 横浜から料金の安いボランティアバスが出ているので、それを利用することも考えたのですが、やはり高齢者にはきついということもあって、東京駅から東北新幹線でゆったりと出かけることに。 これに乗っていきたいところであったが、時間が合わず断念。 新花巻駅に到着。 これが自分の乗ってきた「はやて」だ。 ここで釜石線に乗り換え。 駅前にはほとんど雪はない。 代わりに車内で「雪っこ」を呑む。 うまいっぺ。 福幸は復興にかけている。 私の若い頃の雅号が酔仙なので、なんだか親しみがあるメーカーだ。 釜石駅に到着。 ここにも津波が押し寄せたと言われているが、見たところ普通の光景が広がっていた。 この地図を頭に叩き込み、とりあえず、市内中心部を把握する。 これから川を渡って海側に行ってみることに。 でも、その前に昼食だ。 土産物屋、飲食店などが入った駅前のシープラザに入る。 釜石での記念すべき第一食目は「煮込みラーメン」。 何とも言えぬ複雑な味わい。 腹いっぱいになったら、市中心部へ向かう。 ここはJRのガード下。 津波がここまで来たことを示す汚れのラインが、微かに残っている。 ガードをくぐり振り返ると、製鉄所から活気のある煙が立ち昇っているのが見えた。 あの大震災から11か月。産業も少しは立ち直ってきたのか。 市街地に入ると、いきなりこんな光景が。 足場を組んで補修しているのではない。 解体するための養生であった。 赤いペンキが心を打つ。 上の方は何でもないのに…… 下だけ津波にやられたんだろうねぇ…… 電柱も倒れたままだ。 震災から11カ月も経っているのに…… 赤い布は解体するという印だ。 なんだか涙が滲んでくる。 ここはお店だったようだ。 でも、赤布が…… 1階の窓も天井も無くなっている。 ここも商店だったに違いない。 奥に赤布が見える。 赤い×印も解体のマークだ。 2階から落ちてきたような廃材が階段を埋め尽くしていた。 嗚呼…… ここの人は助かったのだろうか… よく見ると2棟とも赤布がぶら下がっている。 解体か……。 市役所入り口の案内が現れた。 とりあえず、どんな状況か見に行ってみることに。 なんの建物だ分からないが、よく助かったものだ。 意外と、下層部分が柱だけだったのが幸いしたのかもしれない。 でも1階の天井は根こそぎ持って行かれたようだ。 2階の壁の穴は、何かが飛び込んだときにできたのか。 本屋さんも跡形もない。 書籍も流されてしまったのだうね。 歯医者さんの入っているビル。 2階までやられたようだ。 ここも2階部分が持って行かれた。 早いところは解体し整地作業入っている。 でも、再びここに住むのだろうか……。 嗚呼…… こんな高いところまで津波が来たんだぁ…… 内部も酷いことになっている。 ここにいた人たちはどうしたのだろうか…… どの建物を見ても、心が締め付けられる…… (その2に続く) |
横浜も臨海都市なので同じように津波が押し寄せたらど
うなるのか、釜石の建築物の惨状から想像すると背筋が
寒くなる思いです。
被災地に対し何も出来ずにいる自分ですが少しでも早い
復興を願わずにはいられません。
横浜あたりだと大きな津波は来ないと、
言われていますが、油断は禁物です。
いつどこで遭遇するか分かりません。
現地の方が言っていました。
「被災地に旅行してくれるだけでも支援になる」って。
今年の旅行先は東北ですね。
ワシの具体的な動きとしては、仙台の、しかも自社の復旧だったので目線は違うのでしょうが、感じるトコロは重なっていると思います。
「できることをやる」に加えて「他のヒトができないけれど自分ができることをやる」というのも大事だと思います。
断食が終わったら、東北物産を腹一杯食べてください。
大食いによる支援ですね。
釜石、昨年8月に少しだけですが行ってきました。
大槌からの帰り道、東北新幹線に乗り換えるための乗り継ぎ駅でした。
酔華さんが訪問なさったときから半年経っていたので
いろいろな解体や撤去はそれなりに進んでいる様子でしたが、
「つぎ」はどうなるのかなという感じでした。
一時間くらいでとお願いしたタクシーの運転手さんは津波のあとビルの屋上で一夜を過ごしたそうです。
ご家族のことなどもあり、わたしが行った時(8月末)のすこし前に
一年以上のブランクを置いて復職なさったとのこと。
買い物支援、旅行支援などからでも続けて行きたいとわたしも思います。
情報&いろいろと思い出させていただき、ありがとうございました。
8月でもそんなに変わっていなかったんじゃないでしょうか。
いい話をたくさん聞きましたが、
いやな話もありました。
利権に群がる人たちはいつでもいるんですね。