1月のことだが、大原学園でちょっとした仕事をすることになった。最寄駅はJR東神奈川駅だ。校舎はここから10分もかからないところにあるという。 時間に余裕があることから、ゆっくりと付近を眺めながら歩いていくと、懐かしい神奈川スケートリンクがこんな風に変化していることに気がついた。現在はネーミングライツとかで、「横浜銀行アイスアリーナ」と改称されていた。もちろんリンクも建て直しである。 以前の神奈川スケートリンクは昭和26年(1951)、日本貿易博覧会跡地に開設された。建物は博覧会で使われていた演芸館と、霞ケ浦海軍航空隊の格納庫を転用したものだった。 私は学生時代、たまにここで滑っていたが、社会人になってから数年後、大学の後輩からアイスホッケーチームを作るから一緒にやろうという誘いを受け、うっかり「いいね!」なんて言って参加してしまい、それから週1回夜遅くの練習に通うことになった。 たまに滑っていたといってもフィギュアの靴でグルグル回るだけの初心者だ。そんな素人がホッケー用の靴を履いていきなりリンクに出たって、まともに滑れるわけがない。ましてやスティックを持ってパックを打つなんて無理というものだ。 それでも見よう見まねでやることになったのだが、やっぱり怖い この日は、横浜銀行アイスアリーナの前を通りながら、そんなことを思い出していた。 しばらく歩いていくと、古そうな親柱と欄干が現れた。しかし川が見えない。おそらく暗渠なんだろう。 昭和二年九月 復興局建造 震災復興橋だ。ずいぶん短い橋だが、こんな幹線道路に架かっているので、重要な橋だったんだろうね。 境橋。町の境界線上にあるんだろうと思ったら、やっぱりね… これは昭和30年代の地図(横浜市HP)。反町、広台太田町、二ッ谷町が接する地点にあることが分かる。しかも川は一本ではなく、二つの川がここで合流していたのだ。つまり下流から見ると、ここが2つに分岐する境目。そういう意味でも、この橋名は「境橋」でなければならなかったに違いない。 道路の反対側。これが本来の川幅かもしれないね。 さて、大原学園の校舎に入ると、いきなりこんな自販機が現れた。この奥に食堂でもあるのかと思ったら…… なんと、各種検定の受験料を支払ための装置であった。面白い♪ ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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