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中華街ランチ探偵団「酔華」

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映画『樺太1945年夏 氷雪の門』

2010年12月13日 | レトロ探偵団



 65年前、日本領土だった南樺太(現ロシア共和国サハリン州)に侵攻してきたソ連軍兵士から身を守るため、9人の若い女性電話交換手が自決した。その真岡郵便電信局事件を史実に基づき映画化したのが『樺太1945年夏 氷雪の門』である。

 村山三男の監督により1974年(昭和49年)に作られ、4月から東宝系劇場で上映される予定だったのだが、当時のソビエト連邦から「ソ連の国民、兵士を中傷している」と圧力をかけられ、残念ながら北海道と九州の一部で公開されただけで、ほとんど日の目を見なかった映画だ。

 その後、自主上映するところもあったようだが、最近、この映画の助監督を務めていた新城卓さんらが昔のフィルムをデジタル化し、製作から約36年経った今年の夏より、全国で順次劇場公開が始まっている。
 11月3日からは樺太に最も近い日本の最北端の町・稚内でも上映が開始された。初日には、主演の二木てるみが舞台で挨拶をしたようである。

 映画の内容は、おおよそ次のとおり。
 太平洋戦争もあと数日で終わろうとしていた1945年8月9日。広島に続いて長崎にもアメリカ軍により原爆が投下された。
 その同じ日に、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄して樺太、千島を南下してきた。
 それから6日後の8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、天皇の玉音放送を流した。これを聞いた日本人の誰もが、やっと戦争が終わったと思ったはずである。

 ところがソ連軍は停戦するどころか、千島列島や樺太をさらに南下侵攻してきたのである。

 当時の樺太は北半分がソ連領、南半分が日本領であった。国境近くの恵須取(えすとる)村に住む住民たちは、大混乱のなか樺太南部への避難を始めた。
 人々は久春内(くしゅんない)まで歩いて来ると、そこから先は鉄道に乗って真岡で乗り換え、豊原を経由して大泊へ向かった。
 樺太地図(昭和2年)

 
▲日本が建設した鉄道。そこを旧ソ連製の列車が走っている

 当時の情報伝達は、交換台を通した電話が唯一の手段だった。現代ならば自動的に相手に繋がるのだが、その頃はまだ人の手を通してお互いの電話をつなぐという作業が必要であった。
 その業務を真岡郵便電信局の電話交換手が担っていた。


▲真岡郵便電信局はこの先にあった

 樺太の住民が次々と本土へ疎開(引き揚げ)していくなかで、彼女たちは残留を希望し、戦火の中で電話交換業務を続けた。
 玉音放送が流されてから5日後の8月20日、真岡に向けてソ連軍の艦砲射撃が始まった。樺太全土を制圧して北海道まで侵攻する計画だった。


▲真岡の港(現ホルムスク港)

 やがてソ連兵が真岡に上陸し、郵便電信局間近に迫ってくる。勤務中の交換手たちは彼らに陵辱される前に、「みなさん、これが最後です。さようなら…さようなら……」の言葉を残し、交換室内で青酸カリを飲み自決した。



 映画の基本的な流れは史実に基づいたもので、その中に交換手それぞれの事情や出来事などが織り交ぜてある。
 中心となる登場人物は彼女たちとその家族であるが、南へ南へと避難を続ける人たちのうちの何組かが悲しい最後を遂げるシーンも……。

 市街地まで侵攻してきたソ連兵が、逃げ遅れていた児童を射殺、それを庇おうとした父親も一緒に撃ち殺してしまう。
 
 小さな子供3人を連れて陸路を延々と歩き続ける母親。そこに上空からの機銃掃射。バリバリと撃ち下ろされる弾丸が彼女にあたり、幼い子供を残して死んでしまう。
 子供たちは健気にも母親を埋葬し逃避行を続けていく……。

 南下する住民たちの列は延々と続き、途中には足が動かなくなった老人が倒れている。彼は「自分も一緒に連れて行ってくれ!」と懇願するのだが、誰ひとり見向きもしない。みんな逃げるのに必死なのだ。そのうち老人は息絶えてしまう。

 映画の最後は、青酸カリを飲んで自決した乙女たちの姿を映し出して終わる。


▲現在の町の様子

 観ながら涙が止まらなかったのは私だけではない。館内のあちこちで目頭を拭う姿が見られた。たしかに可哀想な映画ではある。
 しかし、戦争が終わったというのに日本領土に攻め込み、非武装の民間人を殺していく非情なソ連軍と、彼らに陵辱される前に自決した乙女たちという構図だけで観ていいのだろうか。

 彼女たちはなぜ死ななければいけなかったのか。
 自決の背景にはあの有名な戦陣訓があったはずだ。それを考えると、彼女たちはソ連軍というよりも、日本軍によって自決させられたといえる。
 
 もうひとつ問題がある。それは終戦の日はいつかということである。日本国民はみんな、玉音放送の流れた8月15日で戦争が終わったと思っているが、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアでは、日本政府が降伏文書(休戦協定)に調印した日9月2日を対日戦勝記念日としている(当時のソ連は9月3日が戦勝記念日)。

 したがって、ソ連にとっては8月15日以降も戦争中だったというわけだ。しかし、だからといって丸腰の停戦軍使を皆殺しにしたり、非武装の民間人を多数射殺していった行為は許されるものではない。

 沖縄戦の悲惨さは幾度も語られ、映像が流されてきたが、こちら樺太での悲劇は学校でも教えられることはほとんどなかった。
 

 今月は11日から12月17日まで、東京のキネカ大森で上映されている。

 今回、36年振りに劇場公開されたこの映画が、これからもずっと日本全国を巡回していってくれることを願う。
 

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4 コメント

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抵抗が許されない守備隊の悲劇 (陸羽)
2010-12-13 21:29:53
日本の左翼思想家はロシアを絶賛していますから、ロシアに都合の
悪い映画は上映されては困るでしょうね。とにかく日本=悪でない
と気がすまないひとたちですし。
いまの民主党政権は旧社会党の連中が中枢を支配していますから、
再び圧力をかけて上映中止に追い込まれないことを祈るばかりです。
返信する
北方四島 (管理人)
2010-12-13 23:04:44
◆陸羽さん
1875年の樺太千島交換条約で、日本は樺太を放棄したのですが、
その後の日露戦争で南半分を獲得しました。
いわば戦利品ですね。
しかし、第2次世界大戦で日本は負け、
サンフランシスコ平和条約により、
南樺太を再び放棄することになりました。
同時に千島も放棄したのですが、
北方四島は千島列島ではなく北海道の一部なのに、
それもソ連に持っていかれてしまいました。
国民がアメリカと沖縄に目を向けさせられているうちに、
ソ連・ロシアによる四島への実行支配は深まり、
もはや取り返せないところまで来ているようです。
せめて、この映画がずっと上映され続けることを願いたいです。
返信する
氷雪の門 (陸羽)
2010-12-14 00:23:24
・・・と、言っているそばからロシアの副大統領がきていたという
ニュースが流れてます。日本政府も「遺憾の意」とか言ってない
で、ちゃんと抗議してほしいですね。

ところで、
>自決の背景にはあの有名な戦陣訓があったはずだ。それを考えると、
>彼女たちはソ連軍というよりも、日本軍によって自決させられたといえる。
ここは、私とは考え方違っていて、当時の日本人がもつ普遍的な
価値観が自決させてしまったのではないかと考えます。

いずれにしろ、北海道に行く機会があったら、彼女達の慰霊塔に
頭を垂れるばかりでなく、ロシアの侵攻で、命を落としていった
邦人、引き上げ船に乗ったまま魚雷に沈められた数百数千の邦人
のご冥福をお祈りしたいと思います。
返信する
北方四島 (管理人)
2010-12-14 08:49:43
◆陸羽さん
ロシアの副首相が国後、択捉に立ち入ったのは、
おそらくメドベージェフ大統領の指示でしょう。
副首相が行ったということは、
次はプーチン大統領か!?
菅さんも「遺憾」だなんて言ってないで、
抗議してほしいですね。

ちなみにメドベージェフの名前ですが、
ロシア語で熊のことをメドベーチというので、
この方は獰猛な人なのでしょうね。
返信する

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