
翌年の清明節。常生は青龍剣を持ち、仲間と解州城へ春の遊びに出かけた。城隍廟の前を通りかかると、白いヒゲの老人がサヤを売っているのが目についた。 願ってもない機会に、常生は有頂天になり、雲龍の紋が彫ってある、七色の宝石を散りばめたサヤを選んだ。さっそくその場で試してみると、まるで嘘のようにピッタリあうサヤであった。 そこで常生が老人に 「このサヤはいくらで売りますか?」と聞くと、老人はヒゲを触りながら 「目利きに出くわしたわ。民のために害を除いてくれる人なら、銭なんかいらないよ」と言い、さっさと城隍廟の方へ歩いていってしまった。 常生は、これはきっと神様が地上に現われ、自分のためにわざわざ剣鞘を届けたに違いないと思い、それから一層武芸の鍛錬に努め、国や人々のために尽くすようにと誓ったのである。 やがて常生は身の丈8尺、腕が太く腰もがっしりとした、たくましい青年に成長した。 18歳のとき、家で『春秋』を読んでいると、学塾で同窓だった李生が泣きながら訪ねてきた。話を聞いてみると、彼には許婚者がいたが、解州西関の悪党呂熊に奪われたので、仇を討ってくれと頼みに来たのだった。呂熊という男は、このあたりで悪行を重ね庶民をだましている悪名高い者で、その噂はよく聞いていた。 常生が髪を逆立て激怒すると、うしろでガタンと音がした。振り返ると、壁に架けてあった青龍の剣がひとりでにサヤから抜け落ちて閃々と光を発していた。 彼は剣を拾いあげて言った。 「あの老人は庶民の害を除くために、このサヤを贈ってくれたのだ。何を躊躇することがあろうか」 常生は闇にまぎれて呂熊を切り殺した。そして親方夫婦を巻き添えにするのを恐れて西へ向かって逃げていった。(以下つづく) このページから読み始めた方は、前号をご覧になってください。 「関羽の顔はなぜ赤いのか? (その1)」 ![]() 横浜中華街探偵団のホームページ→「ハマる横浜華街」へ ![]() (注)『横浜の華僑社会と伝統文化』(著:陳水發)から引用。 |
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