「ビギナーズラックって、やっぱり、あったんだぁ」
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20年ほど前の冬。ボクたちのジャズバンドは、宝川温泉で合宿を行った。バス停から宿までは除雪していないので、交代でラッセルして行かねばならず、楽器を抱えた身にはひどく厳しかったことを憶えている。 . . . 本文を読む
「家庭・家族機能の外部化」ということが言われて久しい。ボクが初めてこの言葉を聞いたのは、60年代から70年代にかけての頃である。核家族化や女性の有業化が進むなかで、子どもの保育は保育園や学童保育へ、食事は外食産業へ、洗濯はクリーニング店へと、それまで家庭で行っていた様々な機能が外部に委託されていった。
社会学的に見れば「外部化」は日本の近代化とともに始まったのだろうが、ボクの実感で言えば、 . . . 本文を読む
横浜スタジアムから海に向かう大きな道路。幅員は36mとか32mとか言われていますが、ここが日本大通です。
慶応2年に大火があり、居留地や日本人町の大半を焼失しました。そこで、街を再建する際、外国人土木技師であるブラントンが、防火帯の意味をこめて幅員の広い道路を計画しました。
今ではその広さを生かして歩道にパラソルとイス・テーブルが出て、ちょっとした飲食ができるようになっています。それはそ . . . 本文を読む
いわゆるホームレスの定義とは何なのか、考えさせられてしまう光景を見た。その人は新港ふ頭への入り口、税関の向かい側の空き地に住んでいた。
今まではあまり目立たなかったのだが、海岸沿いに残っている旧臨港線の高架がプロムナードになったおかげで、そこが丸見えになったのである。
乱開発のミニ住宅よりも広いくらいの敷地に、掘建て小屋が建っていた。中は暗くて見えないが、一応、リビングのようだ。
庭には . . . 本文を読む
学生時代は、ほとんど毎月、アルバイトをやっていた。当時の日当はだいたい800円位だったが、あるとき、深夜4時間で2000円というバイトが舞い込んできた。それは、新築ビルの中にエスカレータを取りつけるという仕事だった。
今でこそ重機を使って簡単にはめ込んでいけるようになったが、当時はボクらのようなバイトが滑車で吊り上げていたのだ。8階建てのビルともなると、何度も交代しながら鎖を引っ張らなければ . . . 本文を読む
いま、中華街ではフカヒレがブームだ。スープは言うに及ばず、高級な姿煮からラーメン、饅頭まで、様々なバージョンが登場している。そして、これに飽き足らないグルメな日本人が、本場のフカヒレを求めて香港・シンガポールへと繰り出している。
今日は、そんなフカヒレの歴史と現状を調べてみたい。
江戸時代の日本では、九州を中心にサメ漁業が盛んだった。肉は貴重なタンパク源として食べられ、切り取ったヒレは清 . . . 本文を読む