エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

今日の1日 ― 老いに抵抗(その2)

2017年05月06日 | 雑感

 2017年5月5日

一昨日の大文字登り、昨日の宝ヶ池ジョギング、に続いて今日も大文字に登った。

一昨日の銀閣寺から“大”の字まで35分から、今日は32分と3分短縮だ。これを通常の25分まで戻さねばならない。しんどさも一昨日よりは少しはましだ。

弘法大師堂に礼拝した後、眼下をのぞむ。写真は正面から見た“大”の字の右下がりの筋で、鹿ケ谷に降りる。

                           

                          

ところで、このお堂の主は弘法大師(空海)だ。

空海の本拠と云えば高野山だし、ここなら比叡山の山並みの一つ(東山)だから伝教大師(最澄)が祀られて当然だと以前から不思議に思っていた。

かぞえきれないほど登っているが、ものぐさな私はこの疑問を解こうとは思わなかった。

 

お堂のまえの階段に腰掛けていると、若いひとたちにいろいろと説明しているおじいさんがいる。年齢はわたしくらいだろうか。

なかなかよく知っている、大阪方面の○○ビルが見えるとか見えないとか、一番右手のビルは△△などということまで説明している。

 ひょっとするとこの人は私の疑問に答えてくれるかもしれないと思ったので、“なぜ最澄でなく空海なのか”を質問した。

この人も、そのわけはしらないようで、“このお堂もごく最近できたものですわ、大正時代と彫ってあるでしょう”。

たしかに弘法大師の大文字の横を指でなぞられば、大正七年の字が浮かび上がる。

大文字の送り火を管理するのが銀閣寺の隣の浄土院で、その坊さんに、“何が入っているのか”と聞いたら、“なにもないとか、弘法大師の髪がはいっているとか、あまりよくわかりませんなあ、この間はお堂の中の穴(写真)から、“ニャー”という声が聞こえましたわ“。 

”妙法の火を守っているのは日蓮宗でっしゃろ“。と話はとりとめもないが、どうやら、送り火を管理している宗派に関係していると推定される。

 帰って、ネットで調べたら、浄土院は天台宗系の寺で阿弥陀如来を本尊とするが、弘法大師も祀られているとのことで、納得した。

  大文字は私も、小学校からの友達Tも、京都随一の名所と思っている。

                        

高校時代たびたび数人で、寝袋とトリスウイスキーと食料をもって堂内で夜景を楽しみながら寝泊まりした。

今のように簡単に飛行機から都会の夜景が見られる時代ではなかった。

私らが高校3年の時、1959年に京都東山ドライブウエイが出来てやっと京都の夜景が見られるようになった

しかし地元の我々にとっては京都のすばらしい夜景は珍しいものではなかった。

写真正面奥手は愛宕山、その手前の一番目の細長い影は御所、同じ列、やや影がちぎれて再び細長い影は下賀茂神社、さらに手前の小山らしい影は吉田山。最後の大きな影は大文字の麓。

右手の明るいところは京大農学部グラウンド(アメフト、陸上のトラックなど)の夜間照明ライト。