エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 昔をふりかえった1日 - ウルトラマンと少年サッカー

2017年05月03日 | 雑感

                                                 2017年4月29日

はるかな星がふるさとだ

  ウルトラセブン、ファイターセブン

    ウルトラセブン セブン セブン

      進め銀河のはてまでも

        ウルトラアイで“スパーク!”

モロボシ・ダンの名を借りて

   ・・・・・・・・・・・・

                    

高島屋でやっているウルトラマン展に家内と行った。私の息子が幼稚園の頃に一生懸命見ていた、時代を画す名作だ。

 7階会場入り口では、ウルトラマンセブンが行列を作っている子供たちと次々に写真を撮っている。

 

                                             

 ウルトラマンにはウルトラの父や母、そして兄弟がいてその中に私の息子の名を冠したウルトラマンもいたはずだが、今回の展示はウルトラマンセブンに関するものだった。上の歌は名曲だ。モロボシ・ダンは私もよく知っている。

 宇宙からの怪獣の侵略をウルトラマンたちが防ぐ。その中で、

“地球を破壊させるのに暴力をふるう必要はない。人間同士の信頼感をなくすればよい。人間たちは互いに敵視し、傷つけあい、やがて自滅していく。どうだ?いい考えだろう”、というセリフがあった。

                     

その通りだ。1966年、50年以上前の円谷プロダクションの作だが、昔も今もそのとおりだ。信頼を築くのは難しいが、それを崩すのは簡単だ。

 

来るときの疲れも加わって少々くたびれて展示会を出た。

 来るときの疲れとは、高島屋に5キロほど家から高野川、鴨川沿いに歩いて来たからだ。最近運動が足りないので、この程度で疲れる。

 鴨川と高野川の合流点から高野川の名が消えて鴨川となるが、そのごく近くの河川敷でA子供サッカークラブがいつものように練習していた。

                    

むかし私はこのクラブのコーチだった。息子が小学校3年の時に、自分で見つけて来たこのクラブに通うのに付き添うようになり、そのうちにコーチになった。

もっとも私は中学から大学まで陸上専門でサッカーの経験はない。もっぱら基本的な体の動かし方、柔軟さを高める、ランニング、体力強化をやった。多分10年以上コーチをしたと思う。

 私と同じ時にコーチになったKさんがただ一人最後までコーチを続けていたがこのごろ見ない。

ところが、あっと驚いた。

Tがいる!私が初めて鍛えた、息子と同学年の子だ。

声をかけると向こうも私を憶えていて懐かしがった。古巣で子供たちを教えたいと思ってコーチになったという。

                      

 “お前いくつになった”と聞くと42歳だという。私が彼らを鍛えはじめたのは、彼が小学校4年の時だった。すると31年前だ。昔の私のコーチ仲間がいなくなって当然だ。

  私はいまのこの子の年齢より2歳ほど上の44歳頃にコーチをやりはじめたのだ。

  “あの頃は楽しかった”、というと、彼も“本当に楽しかった”、と言った。まるで同世代の者同士の会話のようだが、小学生だった彼の楽しさと、今の彼の歳だった私の“楽しかった”は少し違っていたのだろう。

 “よろしくお願いする”、といって高島屋に向かった。

 いまはむかし、ずいぶん歳月がすぎた。回顧の一日だった。